- ナノ -

■ 40.欲しいもの

式場に戻ると、そこにはもう花嫁やその家族はおろか、神父までもがいなかった。
待ち受けていたのはシルバとキキョウ、それからキルアの三人のみ。両親だけならまだしもキルアがいるということは、もう何もかもバレてしまっているのだろう。イルミはウルの手を引いて、静かにバージンロードの上を歩いた。その先にはキルアがいて、これじゃまるでキルアの為にウルを連れて来てやったみたいだ。

そこまで考えて、イルミは唇をきゅっと強く結んだ。いや、もうキルアに渡すつもりなど毛頭ない。周りに気持ちを悟られてしまい、ウルにあそこまで言わせたのだから後には引けない。何よりもう、イルミ自身が限界だった。とっくに捨てたはずの感情が、ウルを思えば思うほどすり切れて悲鳴をあげていた。

「結婚式、台無しにしちゃったね」

この沈黙をどうやって破ろうか。そう考えた割には、さほど普段と変わらぬ調子で話せたように思う。元から叱責を受ける覚悟であったためか、険しい顔つきの父親を目の前にしてもいやに心が凪いでいた。なるほど、こういう心境を開き直りというのかもしれない。
台無しという言葉に、隣のウルが小さく肩を竦めた気配がした。

「イルミ、お前は自分が何をしたかわかってるのか」
「うん……あと少しだったんだけど、失敗した」
「結婚は、」
「破談だよね。いや、いいんだ、もう。オレに結婚する気はないから。ちゃんと尻拭いは自分でやるよ」

イルミの、見かけにはまったく反省の見られない態度に、まぁ……と小さくキキョウが声を漏らした。だが決して反省していないわけではなく、これもまた彼の虚勢に過ぎないのだ。いつからか、平静を装うのが癖になっていた。特にそれが自らの弱みや痛みに触れる話であればこそ。

「ごめんなさい」

だがそんなイルミのちっぽけな虚勢をも打ち破るように、ウルがぽつりと言葉を発した。

「ごめんなさい、私のせいで……おじさんも、おばさんも、イルミの結婚楽しみにしてたのに」

それを聞いた瞬間、どうしてウルが謝るのだ、と思わずにはいられなかった。
ウルは悪くない。式が台無しになったのはここを抜け出したイルミのせいであるし、もっと言うならあんな乱入を果たしたヒソカのせいだ。しかしイルミがウルを制止するよりも先に、ウルはシルバに向かって大きく頭を下げた。そして驚く皆の目の前で、大きな声を出した。

「ごめんなさい、でも私やっぱりイルミのことが好きで……!キルアとの縁談も蹴ったくせにどの面下げてって言われるかもしれないけど、でもやっぱり私が好きなのはイルミだけだから、こんな家出なんかするような女、ふ、相応しくないのはわかってますけど……でもその私に、いつかイルミさんを私にください!!お願いします!」

しどろもどろになりながらウルが言った台詞は、聞いているこちらが恥ずかしくなるくらいに想いがこもっていた。まさかここでそんなことを言われるとは思ってもみなかったので、かっと身体が熱くなった。羞恥のみではない、どうしてウルがそれを言うんだという苛立ちと、不甲斐ない自分自身への怒りでもあった。「っ、ウル、やめなよ」しかしこの場を取り繕うにも、丁度いい言葉が見当たらない。なんて直球馬鹿。これだから強化系は、と大して根拠のない決めつけをして、慌ててウルの口を塞ごうとした。その時、

「イル兄、笑ってる……」
「え?」

キルアの指摘に、イルミはつられて口元に手をやった。言われてみれば確かに口角が上がっているかもしれない。キルアは珍しいものでも見るように、小さく口を開いていた。

「お前は詰めが甘いな」

驚いてシルバの目を見れば、そこに険しさは微塵もなく、むしろどこか微笑ましそうな目をしてこちらを見ている。詰めとは?と聞き返す前に、欲しい答えは与えられた。

「どんなに取り繕ったって、結局お前は無意識のうちに彼女を追いかけ、無意識のうちに笑ってる」
「それは……」
「何が問題なんだ、イルミ。どうして素直に向き合わない?どうして彼女に“いつか”なんて言わせるんだ」

その質問に答えるのは、酷く勇気のいることだった。自分で常々感じていた“劣等感”を口に出すのは酷く醜いことに思える。そんな自分は嫌だ。嫌いだ。傷つきたくない。
それでも、隣にいる彼女の為に下らない自己愛は捨て去らなければならないと思った。


「今のオレじゃウルを幸せにも、この家の為にも何もできない……」
「だからキルアを勧めたのか」
「そうだよ。キルアならこの家を継ぐしウルを幸せにしてやれる。キルアとウルの子ならきっとうちも安泰だ」
「……」

実際、ウルの両親だってその方がいいだろう。同じゾルディックとの繋がりなら、後継者のほうがいいに決まっている。「下らんな」しかし、血を吐くような思いで選んだイルミの選択は、シルバのそんな一言によって一蹴された。

「キルアが産まれたとき、俺は後継ぎをキルアにすると決めた。それは今でも覆すつもりはない」
「……」
「だが、それでイルミやミルキを大事に想わなくなったわけではない。お前はいつだってよくやっていた。お前だって俺の自慢の息子だ。だから、」

シルバの言葉に、キキョウも小さく何度も頷いた。ウルがイルミの手をぎゅっと握った。握ってもらって初めて、自分が震えていたことを知った。

「だから、ウルさんにイルミはやれん。イルミは俺の大事な息子だ。欲しかったら嫁に来い」
「っ、はい!」
「イルミ、お前も欲しいものは欲しいと言え。仕事と生活を一緒にする必要はない」
「……うん、わかったよ、親父」

─でも、欲しかったものは今全部手に入ったんだ。

イルミはウルの方に向き直ると、視線が合うように身をかがめた。

「待たせてごめん」

今から思えば、よくもまぁ彼女が愛想を尽かさなかったものだ。もちろん、イルミだって同じだけの時間思い続けてきたわけだが、色よい返事を返すわけでもなく冷たくしてばかりのイルミを、彼女はずっとずっと想ってくれていた。そうすぐに自分の抱えていたものを“下らない”とまで思えなかったが、それでも今のイルミの気分は晴れやかだ。救われた、という表現が正しい。そして今の自分なら、気持ちを伝えても許されると思った。

「ずっと……ずっと好きだったよ、ウル。結婚してほしい」

久々に見た、泣き笑いではない彼女の心の底からの笑顔に、イルミもつられて頬を緩めた。

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