■ 39.気持ちの在り処
「ヒソカ、いい加減にしないと怒るよ」
広い敷地とはいえ、どちらも本気の追いかけっこ。ただ、ヒソカはウルを抱えているうえに、この土地に慣れてもいない。イルミは式の間ですら忍ばせていた針を、ヒソカめがけて迷うことなく投げた。
「イルミもしつこいなぁ
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」
「当たり前だろ、返してよ」
間をおかず、小気味よい音を立てて木の幹に刺さる針。間一髪で交わしたヒソカはこのままでは後ろから攻撃され続けると思ったのか、ようやく止まる気になったようである。けれども依然としてウルは抱き上げたままであり、イルミにしてみれば特に抵抗もしていない彼女も気に入らなかった。
「ウルも大人しく捕まってないで、逃げたらどうなの」
「イルミ、私……」
ウルの様子からして、別にヒソカと示し合わせていたわけではないのだろう。式の途中にあんな形で抜け出すくらいなら、その前にこっそり逃げればいい。つまりウルは彼女自身の意思で式に参列していたのだ。
イルミへの想いが本当であると証明する、そんな下らない事の為に。
だが彼女も本心では逃げ出したかったのだろう。その証拠に、ヒソカに黙って連れ去られている。そのほうが楽だからだ。
ずるい、とイルミは思った。好きだと言っておきながらそうやって逃げるのか。そんなの許さない。なんとしてでも彼女を連れ戻さねばならない。一人で苦しむのはごめんだ。それが愛なのか呪いなのかわからないが、たとえウルを苦しめてでも傍に繋ぎ止めておきたい。そうでなければ意味がない。
彼女が苦しいのはイルミのことが好きだからだ。だからその苦しみから解放してしまえば、イルミは彼女の想いに確信が持てなくなる。嫌いにまでなられずとも、いつか忘れられてしまう。そういえば私、イルミのことすごく好きだったよね、なんて思い出なんかにしないでほしかった。ずっとずっと傍で苦しみ続けてほしかった。それが酷いことだというのはわかっていても、自分を想って苦しむウルの姿に救われていたのだ。
「ウルはオレのことが好きなんでしょ」
だからこそ、イルミはウルを苦しめる。だが実際、内心は言葉や態度ほど自信に満ちているわけではなかった。これはイルミにとっても最終手段であり、ウルが一言、「もういいの」と言えば終わってしまう。そんな危うい賭けにも似た脅しだった。
「ウル、戻っておいで」
「……イルミ、キミってほんと……
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」
「ヒソカは黙っててよ、これはオレとウルとの問題」
「はぁ、キミはそうやってすぐ自分の世界に籠りたがるけど、大事なこと忘れてないかい
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?」
「忘れる?何を?」
「肝心の花嫁、放ってきてるケド
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」
一瞬、イルミは何を言われたのか理解できなかった。
それほどまでに目の前のことに頭がいっぱいで、むしろ何をわけのわからないことを、とヒソカを疎ましくさえ思ったほどである。しかし目の前のヒソカは白いタキシードを着ており、見下ろした自分の格好もそれとよく似たものである。
結婚式。花嫁。そうだ、自分は……式の途中で……。
「花嫁を放って追いかけて来るなんて、よっぽどウルのことが大事なんだねぇ
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」
間延びしたヒソカの声が耳に響いて、イルミはようやく我に返った。言い訳をしようとしたが、咄嗟に言葉が出てこない。自分のこの行動はしてはいけなかった。間違っていた。いくら世間の物事に疎いイルミでも、式の途中に他の女を追って新郎が出て行くというのがどんなにまずいことであるかくらいわかる。花嫁が傷つこうが知ったことではないが、体裁だけでもこの結婚は円満でなければならないというのに。それなのに、ウルが式場から連れ出された瞬間、イルミの足は動いていた。
「今から戻っても、もう結婚式は台無しだね
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キミの気持ちがどこにあるのか、あそこにいた全員が証人だ
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」
「……」
「認めなよイルミ、キミの負けだ
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キミはキミ自身に負けたんだよ
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」
珍しく、そう言ったヒソカの顔は笑っていなかった。いつもの彼ならば、イルミを出し抜いたことに心底嬉しそうな表情を浮かべるだろう。そしてこちらの神経を逆なでるように、揶揄したり同情してみせたりするのがヒソカという男だ。
けれども今日に限ってからかうわけでも勝ち誇るわけでもなく、どこか諭すような声色をしていて、だからこそイルミはうるさい、といつものように突っぱねることができなかった。
「お望み通り、ウルは返すよ
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次の結婚式こそ、ボクも招待してね
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」
「は……そんな祝う気のない格好してよく言うよ」
「これはボクなりの正装だよ
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」
言葉とともに地面に降ろされたウルは、それでもその場所から動かなかった。イルミに駆け寄るべきなのか、いや駆け寄ってもいいのかわからないのだろう。期待と困惑がないまぜになったような表情で、ただイルミを見つめている。
それでも、もうほとんど気持ちがバレてしまっていても。
「……オレがどれだけ苦労したと思ってるのさ」
イルミはこれまでウルに一度も好きだとは言ってこなかった。どれほど言ってしまいたくても、ずっと想いを押し殺してきた。「ウル、おいで」そう言うとウルは少し嬉しそうな顔をして駆け寄ってくる。こんな状況で嬉しいはずがないのに、きっと無意識なのだろう。ウルは昔から、イルミが呼べば嬉しそうにやってきた。呼ばなくたっていつも、イルミイルミとうるさいくらいにまとわりついてきた。
「私、イルミのことずっと好きだよ」
「……ずるいね、ウルは。いつもそうやって簡単にさ」
「うん……でも、イルミは言ってくれなくていいよ。追いかけてきてくれて嬉しかった。だからイルミがここにいろって言うならここにいる。一生好きでいる」
「……ごめん」
その謝罪が一体何に対しての物なのか、イルミ自身わからぬままに口走っていた。情けなくてみじめだ。ここまで言われていてもなお、まだ好きだと言えない。それは頭のどこかに“家”のことがあって、ウルの気持ちに応えられないのは自分が力不足だからだ、という考えが離れないからである。そして意外なことにウルもそれを察したのか、両想いだとわかってもはしゃいだりしなかった。その代わりただ黙って、イルミの手を取った。
「戻ろう、イルミ」
「うん……でも、キルアと結婚しないで」
「え?」
「待っててよ、オレ頑張るから」
才能ではきっと、到底キルアには及ばない。そんなことは昔から、痛いほどにわかっている。それでもウルが欲しい。欲しいから、貰えるように努力する。ウルは不意に泣き出しそうな雰囲気を見せたが、それでもにっこりと笑った。
「うん、ずっと待ってる」
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