- ナノ -

■ 37.解放

敷地内にある建物をわざわざそれらしく改装しただけあって、式場はかなり見事な物だった。イルミの意思で急な結婚となったわりには、よくこれだけのものが準備できたなと思わざるを得ない。ただ、参列者は互いの家族のみなので、小規模と言えば小規模かもしれなかった。

「私たちは今、イルミ様とリーシャ様の結婚式をあげようとしています。その昔、神は土から一人の男を作りました。しかし一人で寂しそうにする男を憐れみ、神である主は仰せられた。人が一人でいるのはよくない、私は彼にふさわしい助け手を造ろうと。そこで神は深く眠りについた男のあばら骨を一つとり、一人の女を造り上げ……」

式の間、イルミはただじっとそこに立っているだけでよかった。今さら神や宗教などどうでもよかったが、キキョウはとりあえず形式だけでも、と思ったらしい。長ったらしいお決まりの訓戒には失笑せざるを得ないが、もし今隣に立っているのがウルだったら、少しは違った感じ方が出来たのだろうか。

彼女は結局逃げ出すことも許されず、イルミの弟たち─キルアも大人しく席に着いているようだ─と共にこの光景を見守っている。一体、その胸中はどのようなものだろうか。生憎イルミは人の立場にたって物を考える、というのが苦手なたちであったけれど、ウルが苦しいことくらいはわかる。それはこうして白いスーツに身を包んだイルミも、全く同じ気持ちであったからだ。

「それでは誓約をしていただきます。みなさま、ご起立ください」

やがて結婚というものの心得を長々と語った神父は、そう言って式場を見渡した。その言葉に空気が変わったような錯覚に陥り、みな、静かに立ち上がる。こんなものは茶番だ。でも、儀式というのは突き詰めれば全て茶番なのかもしれない。馬鹿げたことをやるからこそ、やけに厳粛に感じ、重く受け止められるのかもしれない。結婚の過程が面倒で馬鹿げているのは、きっと簡単に辞めたり別れたりしないためだ、とイルミは思った。もし辞めてしまえば何もかも無駄になる。かけた手間も、心を砕いた時間も、何もかも。誰だって自分が馬鹿だったとは認めたくないものだ。

「イルミ様とリーシャ様は今、結婚なさろうとしています。この結婚に正当な理由で異議のある方は今申し出てください。異議が無ければ今後、何も言ってはなりません」

式場は静まり返る。当然だ、こんなところで本当に異議を唱える者などいるわけがない。だから神父も大して間をおかず、参列者を席に着かせようとした、その瞬間─

ばん、と大きな音を立てて、式場の扉が開かれる。神父は最後の言葉を発したままの口の形で固まり、その場にいた全員の視線も入口に釘づけになった。「ちょっと失礼」入ってきたのはイルミと似たような白いスーツに身を包んだ美形の男で、みなその闖入者を“結婚に異議のある者”だと思っただろう。だがイルミは男の顔を見て、隣の花嫁よりも参列席に座るウルを庇おうとした。なぜなら男は化粧もせず髪を下ろしたヒソカであり、実際彼はウルのいる場所へと向かっていたからだ。

「ちょっと、どういうつもり?」
「悪いねイルミ邪魔しちゃってでもキミ達の結婚に異議はないから構わず続けてよ、ボクはウルに用があるんだ

ヒソカはそう言うと、驚いているウルを抱き上げ、そのまま式場を出て行こうとする。予想外の展開に流石のイルミも呆気にとられ、一瞬反応が遅れた。

「じゃあね、ウルは貰っていくよ
「は?何言って……ちょっ!」

追いかけなくては。

その瞬間のイルミの頭からは、今が自分の結婚式であるということも、自分がこれまでやってきたすべての苦労も、すっかり抜け落ちていた。ただ、ウルを取り返さなくてはと思って、新郎がこの場から抜けるという非常事態を全く理解していなかった。


「ちょっ、ちょっと!これはどういうことなんですか……!?」

その後、真っ先に我に返ったのは新婦の母親で、突如として消え去った新郎に憤りと困惑を隠しきれないようだった。「こんなことって……!」昔の恋人が止めに入るというケースなら、稀ながらもあるのかもしれない。だが、参列者の一人が連れ出され、それを新郎が追いかけていくというのは一体どういうことだろうか。いつもは喧しいキキョウでさえも相手方に詰め寄られ、困惑するしかないようだった。

「どういうことなんです!?せっかくの結婚式なのに……こんな……あんまりです!」
「わ、私も訳がわからなくて……イルったらどうしたのかしら……それにウルさんもあの男の方も一体……」

静かだった式場は、今や騒然としていた。が、やがてふふふ……と小さな笑い声がどこからともなく聞こえてくる。自然と声のする方に注目すれば、笑っているのは他でもない、置いて行かれた花嫁だった。

「まったくもう嫌になるわね……とんだ茶番だわ」
「茶番って……どういうことなの、リーシャ」
「でも、これで破談になっても、うちに咎はありませんよね」

リーシャの視線は、先ほどから静かなままであるシルバに向けられた。彼は突然の闖入者にさして驚いた様子はなかったし、おそらくこうなることを予め知っていたのであろう。だからリーシャは義父になるはずだった人に、この場のすべてを委ねることにした。

「あぁ、うちから謝罪させてほしい。申し訳ないが、今回の結婚は一度白紙に戻していただけないだろうか」

ざわ、と再びどよめきが走った。すぐさまキキョウはあなた!?と金切り声をあげる。けれどもシルバは動じることなく立ち上がると、申し訳ない、と新婦とその親族に頭を下げた。

「申し訳ないって、でも、そんな、」
「いいの、お母様。私もこの結婚嫌だったし」
「なっ……!?」

確かに今の花嫁の顔にはどこか吹っ切れたような、爽やかさが漂っていた。だからそれを見てリーシャの母親も何も言えなくなったのだろう。まだ少し納得いかないような顔をしていたが、やがて帰らせて頂きます、と娘と家族を連れて出て行った。残されたのは新郎側─つまりはゾルディック家の者たちばかりで、これからどうなるのだろうと、固唾を呑んで見守るしかなかった。

「あ、あなた、これは……」
「キキョウ、お前もこれでわかっただろう。イルミが本当に想っているのが誰か」
「でも、ウルさんはキルの、」
「だからイルミはこうするしかなかった。元はと言えば全部イルミ自身が提案したことだが、そう提案させてしまったのは俺達なのかもしれない」

シルバはそこでキルアの方へ視線を向けた。キルアから教えてもらわなければ、イルミの気持ちもキルアの気持ちも、父親なのに何もわからないままだっただろう。そんな自分のことを情けない、とも思ったが、キルアの青い瞳は父親の決断にきらきらと輝いていた。

「ウルと兄貴が結婚するなら、俺も嬉しい」

その言葉は、兄とおさななじみへの祝福であり、暗殺一家のしがらみからの、解放の一歩でもあるような気がした。

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