■ 29.退路なし
いつものように仕事を終えて自室に戻ったイルミは、ふと、自分の机の上に視線を向ける。そこには普段手紙など書かない彼にしては珍しく、使いかけの封筒と便箋が置きっぱなしになっていた。いつも使ったものはすぐに片付けるたちなのに、珍しいこともあるものだ。
イルミは仕舞ってしまおうとそれを手に取り、それからどこへ仕舞えばいいのかしばし逡巡した。取っておいたって、別段手紙を書く相手がいるわけではない。証拠の残る書面でやり取りすることは少なく、あったとしてもその時は全て執事が用意する。だから今回イルミが便箋と封筒を用意するよう言いつけたとき、言葉にしないまでも妙な顔をされたものだ。
ウルの居場所はヒソカからも聞いていたし、この前かかってきた電話でも蜘蛛といることは確認済み。だがそのことは自分の家族にも、ウルの両親にも伝えていない。それはイルミ自身がウルに会うことを無意識的に避けているからだった。いや本音を言えば会いたいが、今のままでは会ってもどうしようもないことがわかっているから。
ーだが、そのどうしようもない現状も、選択肢を消してやることで変わるかもしれない。
イルミは結局、手に持った便箋と封筒をごみ箱に捨てることにした。使うあてがないのもそうだし、何よりこれを見ていると嫌なことを思い出す。結婚式の招待状なんて見たことがなかったイルミは、端的に自分が結婚すること、それからウルにも結婚式に出席するようにとだけ書いた。そして慣れない結婚の文字に、最後まで他人事の気分で封をした。
ウルはもう、あの手紙を読んだだろうか。
面白がっていたヒソカのことだ、まさか渡さないなんてことはないだろう。そして手紙を読んだウルは絶対に帰ってくる。その時こそ、イルミは本当に彼女を突き放さなくてはならない。
「ウルが諦めないから悪いんだ……」
だから、イルミがこんな面倒なことをしなければならない。式は一週間後に迫っていた。
花嫁の名前は、覚えていない。
※
手紙の文字は、どこからどう見てもイルミの直筆だった。あまり文字を書くことの少ない彼だがそれでも幼い頃から傍にいて、イルミだけを見て来たウルにはすぐわかる。だからこそこの手紙の内容が嘘ではないと証明されて、ウルは大きな衝撃を受けた。
「でも、なんでなの……」
ウルの知る限り、イルミにそういう特別な相手がいたとは思えない。いや、ウルだって彼の私生活のすべてを把握しているわけではないけれど、もし前から恋人がいたのならウルが想いを伝えたときにそう言うはずだ。だからこれはきっと、彼の母親が勧めた見合いか何かだ。それなら話はわかる。でも、まさかイルミがそれを了承するなんて。
結婚式は一週間後。飛行船を使えば、ここからでも余裕で間に合うだろう。けれどもウルはかつてないほどに焦っていた。だから空港に着いてチケットを買うために列に並ぶことすら、酷く時間が惜しいように思われた。
「っ、ウル、」
ロビーに立ち尽くし、ここはお金でなんとかしよう、と考えた時、不意に名前を呼ばれて驚いた。振り返ればそこには珍しく肩で息をするヒソカがいて、二度驚く。「え、ヒソカ?」一体どうしたのだろう。確かにウルは旅団との別れもそこそこに飛び出してきてしまったが、彼が追いかけてくる理由が思いつかない。ウルが駆け寄ると、彼は少し呆れたように息をついた。
「必死なキミを追いかけるのはちょっと骨が折れたよ
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」
「どうしたの?私、何か忘れ物した?」
「ウルの飛行船のチケット、イルミが用意して無いわけないだろう
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?それにボクも一緒に行くよ、ボクは彼の”トモダチ”だからね
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」
手渡されたチケットは狙いをすましたように次の便のものだった。そういえばヒソカはこの手紙をことづかってきたくらいだし、式にも招待されているのだろう。だがウルはただその式に参列しに行くわけではない。ようやく落ち着いたらしいヒソカは、浮かない表情のウルをただ黙って見下ろしていた。
「ヒソカは……イルミと連絡をとってたの?」
「うん、たまにね
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彼はあの通り心配性だろう?」
「じゃあ、なんでこんなことになったかわかる?イルミが結婚なんて……」
「さぁ、親に勧められたんじゃないのかい
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?」
違う、そんな月並みな答えが欲しいのではない。
ウルは小さく頭を振ると、ヒソカの瞳を正面から見据える。
「今までだって見合いの話はあった。でも、イルミは断ってたの、まだ結婚なんてするつもりないって……だから、」
「じゃあ、結婚したいと思える相手に出会ったんじゃないのかい
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?」
ヒソカの言葉にウルは大きく目を見開いて固まるしかなかった。唇が言葉を探すように震えるが、呼吸すらもきちんと行われているかどうか疑わしい。ウルが一番恐れていたのはまさにそのヒソカが言った一言で、つん、と鼻の奥が痛くなった。
「そんな……でも、私がいなくなってからまだそんなに……」
「時間は問題じゃないよ、 ウル
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」
「もし、もしもそうなら……私、行けない……行きたくない」
いやだ。イルミが結婚するなんて、そんなの嫌だ。政略結婚でもなく、愛のある結婚なのだとしたら、一体ウルはどんな顔をして祝えばいいのか。どうしてイルミはそんな残酷な場にウルを招待したのか。堪え切らなくなった涙が、空港のロビーを濡らす。急いでいたはずなのに、ここから一歩も動きたくないとさえ思った。
「……ウル、仮定の話じゃないか、泣かないでおくれよ
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それにボクはこれが望まない結婚だと睨んでる
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」
「でも……」
「またそうやって、家出したときのように逃げるのかい
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?」
「っ……」
ウルは唇を噛みしめた。「逃げたって、何も変わらなかっただろう
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?キミのイルミへの想いが薄れることもなければ、イルミがウルを追いかけてきてくれることもなかった
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それどころか、状況はもっと悪くなってる、違うかい
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?」ヒソカの言うことが正しすぎて耳が痛かった。耳だけでなく、胸も痛い。
「じゃあ、どうすればいいの……」
「ウルのいいところは簡単には諦めないってことだろう
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まだイルミの考えを確かめてもいないのに、キミらしくもない
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」
「確かめて……それでもし駄目だったら……?」
「その時こそ、逃げればいい
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もしくは相手の女を殺すか
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ウル、厳しいことを言ったけど、ボクはキミの真っ直ぐなところが気に入ってるんだ
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ほら、特別なものをあげよう
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」
そう言ってヒソカは泣いている名前に、手のひらに収まるほどの小箱を手渡した。促されるままにそれを手に取り、中身を見る。そして驚きに濡れた目を見開いた。
「これっ……!?」
「ウルが欲しがっていた指輪さ、正真正銘あの博物館にあったものだよ
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」
「どうして……」
「イルミの指に嵌めればいい
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効果のほどは知らないけれど、確かにその指輪からは念を感じるし効くのかもね
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」
指輪は確かにウルが欲したもの。本当に、これを嵌めれば幸せになれるのかもしれない。だが対になっているそれを見ると、ウルはどうしてもイルミの選んだ女性のことを考えずにはいられない。祈るように、小箱を握りしめた。
「……わかった、逃げるのはもう少し後にする」
イルミに会うのも怖い。だがそれよりもウルは彼の花嫁に会う方が何倍も恐ろしかった。
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