- ナノ -

■ 23.汚す楽しみ

「イルミ……」

次第にウルの表情が強張り、唇を噛みしめていたかと思うと、やがて彼女は何も言わず通話を切ってしまった。クロロを含め、団員たちはもちろん周りでその様子を伺っていたのだが、なんだか声のかけづらい雰囲気である。漏れ聞こえた僅かな会話から電話口の相手がウルの恋い慕う相手であることはわかったが、甘い雰囲気などはかけらもなく、それどころかウルは今にも泣きだしそうだった。

「どうかしたのか」
「……ごめんなさい、今は駄目みたいです。仕事が終わったらもう一度かけなおしますから……」

軽くきしむ音がするほど携帯を強く握りしめて、彼女の力を知るこちらとしては壊れてしまわないか気になってしまうほどである。とてもじゃないが今はゾルディックに紹介してもらえそうにない。だが、クロロも特別急いでいるわけではなかった。彼女がゾルディックの縁者であって、なおかつ自分の手元にあるうちはそう急がなくてもいい。それより今はウルを懐柔して、後にも先にも旅団の役に立てる方が得策と言うものだろう。

クロロはウルの返事に、わざと何でもないことのようにそうか、と頷いた。

「では先に、次の仕事についての話に移るとしよう。ウルはヒソカの代わりということで戦闘員として動いてもらうが構わないな?」
「ありがとうございます!私、頑張りますね!」
「おいおい、お前だって怪我してんのにちゃんとやれんのか?」

呆れたと言わんばかりに呟くフィンクスだが、その顔にははっきりと『心配だ』と書いてある。もちろん本人は決して口に出しては言わないだろうが、彼の性格をよく熟知しているクロロは彼の望む命令を与えた。

「そうだな、ウルだけでは勝手がわからないこともあるかもしれない。フィン、お前が一緒に行動してやれ」
「おう。で、どこに何を盗りに行くんだ?」
「シュテルンバーニ博物館。そこにある、”失われた神託”という書物だ」

「えっ、シュテルンバーニ博物館?」

おそらく大半の団員は、盗み先がどこであろうと気にしない。それよりも気になるのは盗む対象そのものだったり、またはどのくらい暴れられるかどうか。だからクロロが告げた行先に素っ頓狂な声をあげたのは他の誰でもないウルで、みな一様に彼女に注目した。

「何か問題でもあるのか?」
「い、いえ、有名だからびっくりして……」
「意外だな、ウルも”失われた神託”のことを知ってたのか?」
「いや、失われたものをどうやって盗むのかなーとは思ったくらいでそっちは知りません。私が知ってるのは、シュテルンバーニにある”悠久の指輪”のほうで……」

それを聞いて、おそらくピンと来たのはクロロとシャルくらいの物だろう。お宝探しに余念がないクロロは、もちろんその指輪のことも知っていた。が、特に興味をそそられる代物ではない。”悠久の指輪”は対になっており、それを嵌めた男女を永遠に幸せにするというジンクスがあったが、そんなものは盗む気にならないほどどうでもよかった。

「へぇーなるほどねぇ、ウルってば乙女だなぁ」
「か、からかったって何も出ませんよ!」
「いや、オレも出るとは思ってないけど……」

シャルは苦笑して、ちらりとクロロを見る。言いたいことはわかった。どうせ同じ所へ行くのだし、クロロにもその他の団員にも必要が無いものだ。

「ウル、別に欲しければ勝手に盗っていい。ただし、邪魔な警備を始末した後での話だが」
「えっ、でも……」
「殺しはできるのに盗みは嫌か?」
「……」
「別に無理強いしたいわけじゃない、好きにしろと言っている」
「はい」

ウルはややあって頷いた。その表情から察するに、まだ迷っているのだと思う。いやはや、考えてみればおかしな話だ。どこの法律に照らし合わせたって、盗みより殺しのほうが悪いに決まっているのに。

もっとも蜘蛛はその両方をやるのだが、暗殺者として育てられたウルは盗むなんてしたことがないのだろう。ゾルディック家と縁談が持ち上がるくらいだ、それなりに裕福で金に困ったこともないはずである。だからこその迷いであり躊躇いであり、生きることに必死だったかつての自分たちには無かった葛藤。

話の流れで偶然こんな形になったとはいえ、彼女に盗みをさせることはクロロの胸の内に暗い喜悦を呼び起こした。ただ、命令してそうさせるのでは意味がない。あくまで彼女の意思で盗んで初めて、ウルはクロロ達と同じ位置まで堕ちてくる。ヒソカの代役として仕方なしに、と仕事に加えた彼女だったが、クロロは本人すらも自覚しない内にウルを気に入りかけていたのだった。

「ではこれから細かい指示を出していく。シャル、博物館の見取り図を」
「はーい、これね。今のところセキュリティシステムが落ちるのは5分だけだから、その間に侵入して警備室から潰して後は順々に」

配られた地図に全員が目を通し、やるべきことを頭に叩き込んでいく。クロロだけが地図に目を落とさず、団員たち一人一人の表情をなんとはなしに眺めていた。

「出発は1時間後だ。それまでは自由にしてていい」

旅団は盗む物の難易度に関わらず、いつもきちんと計画を立てた。それはひたすらに無力で、ただ周りの世界に翻弄されるしかなかった頃の癖でもある。
皆が同じ目標に向かって真剣な顔つきをしているのを見て、クロロは自然、流星街で身を寄せ合っていた日々のことを思い出していた。

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