- ナノ -

■ 22.素晴らしい思い付き

「……は?」

言われたことがいまいち理解できなくて、思わず聞き返してしまう。「……好きな人?」確認するようにそう問えば、目の前の彼女はますます赤くなって頷いた。

「どういうことだヒソカ」

本来ならばウルに直接聞くべきなのだろうが、こうなってしまった彼女と上手く意思疎通できる自信が無い。ひとまず事情を知るはずのヒソカに説明を求めれば、ヒソカは珍しく悩むような素振りを見せた。

「うーん、ややこしいんだけど、とりあえずウルはゾルディックの跡取りの婚約者でね。近い将来、家族になるってとこかな」
「……じゃあその跡取りってのがイルミなのか?」
「いいや、それも違うねぇ。他人の家のことだから詳しくは言えないけど、恋愛には色々あるんだよ」

「なんつーか、お前が恋愛語るとか気持ちわりーな……」

フィンクスの正直なぼやきに全員が同意したところで、クロロはふむ……と考える。確かゾルディック家には兄弟が何人かいたはずだし、跡取りの婚約者であるウルは他の兄弟が好きだという話なのだろう。ウルの気持ちはともかく、婚約者という肩書なら問題なく口利きしてもらえそうだ。

「ウル、」
「はい、なんでしょう?」
「じゃあそのイルミでも婚約者の男でもどっちでもいいから、連絡は取れるか?」
「え……まぁ、婚約者のほうなら……元ですけど」

携帯を取り出したウルは、こちらが何か言う前に既に電話をかけ始める。「あ、もしもし?ウルですけど……キルアに代わってもらえますか?」相手が相手なだけにみな固唾を呑んで見守ったが、当の本人はあまり気にした様子ではなかった。

「もしもし?うわ、バカって……ごめん。うん、元気だよ。え?今?幻影旅団と一緒にいるけど……」

『はぁっ!?』

通話口から大音量で聞こえた、驚愕の声。
耳に響いたのか、ウルは携帯を少し離して顔をしかめる。『お前、なに考えてんだよっ!?』よかった、皆が皆ウルのように能天気ではないのだろう。当然のように旅団と共にしていることを告げたウルに、向こうが驚くのは無理もない。こちらだって、ウルがゾルディック家と関わりがあると知って、かなり警戒したのだから。

「え、大丈夫だよ捕まってないし。これから仕事なの。え?だから何もないって。ちょっと戦ったけど、うん、それだけ」

ちょっと戦っただけ、か。本当に考え方が無茶苦茶過ぎて、ここまでくるといっそ清々しいとさえ思う。
意外と婚約者の声が幼いな、と思いながら代わってもらえるタイミングを伺っていれば、不意にウルの表情が強張った。

「……っ、なんで……」
「どうした?」

なにやら様子がおかしい。「イルミ、」ウルの口から紡がれた名前は確か彼女の焦がれる相手だったはずだが、ここから見える表情は決して幸せそうではなかった。





訓練の合間。たまたま執事邸に訪れていたキルアに、予期せぬ人物からの電話が繋がれた。

「っ、ゴトー!本当か!?」

実家からも出て行ったウルが、自分から連絡を寄越してきた。しかも兄のイルミにではなく、キルアにだ。慌てて受話器を受け取り、聞こえてきた彼女の声に、キルアはほっとするやら腹が立つやらで何と言っていいかわからなかった。

「バ、バッカじゃねーの!」

言うべきことは他にあっただろうに、最初に出てきたのがそんな子供じみた言葉でつくづく自分が嫌になる。しかし安否を確認した後、今どこにいるんだと聞いたキルアは、ウルの返事に驚愕するしかなかった。

「お前、何考えてんだよっ!?」

幻影旅団といえばあのA級賞金首の集団。前に親父が戦った話は聞いたが、あの親父に割に合わない仕事だったと言わしめる相手なのだ。そんなところにウル単身で、どう考えたって危ないに決まってる。だが、当の本人は全く気にしていないようで、説得しても大丈夫だよなんて甘いことを言うばかり。

だが、キルアはイライラしながらもこの電話で何かが変わってくれるかもしれないと期待していた。
どうせウルが家を出たのだって、彼女の性格的に単なる思い付きとヤケでしかない。キルアとの婚約は一応解消されたのだし、家同士の対面なんて気にせずに帰ってきてほしい。

「で、ウルはいつ帰ってくるんだよ」

結局、帰ってこいよ、とまでは言う勇気がなくて、一番言いたいことを中途半端にぼかしてしまう。
しかしウルの返事を聞く前に、受話器はキルアの手から離れることになってしまった。

「……っ!」
「ウル、遊びは終わりだよ」

いつからそこにいたのか、不意に現れたイルミは強引に電話を代わってそう言った。抗議の声をあげるにも、一見無表情に見えるその横顔が仄かにいらだちを滲ませていて、とてもじゃないが言える雰囲気ではない。

「ダメ。馬鹿なこと言ってないで帰っておいで」

そして、ウルがどんな反応をしたのかはわからないが、キルアの言えなかったことをイルミはあっさりと言ってのけた。

「前に言ったはずだよ、蜘蛛には関わるなって。どうして言うことが聞けないの?ウルは盗賊じゃなくて暗殺者なんだから、おかしいってわかるよね?そもそもキルとの婚約も勝手に解消したの、オレは認めてないよ。ウルは家の為にもキルと結婚して子供をつくってそれで……ちょっと、ウル聞いてる?」

どうやらウルは自分から電話を切ったらしい。イルミは溜息をつくと、受話器を乱暴に置いた。そしてまるで今しがたキルアの存在に気付いたかのように、無機質な瞳でこちらを見下ろす。

「なに?」

はっきり言ってそれはこっちの台詞だと思ったが、キルアだっていつまでも黙ってばかりではいられなかった。

「……そんな言い方で、ウルが帰って来るかよ」
「言い方?オレ何か間違ってる?」
「ま、間違ってるだろ!だってウルは、結婚が嫌で家を出たんだぞ?ウルはイル兄のことが好きだから、それで……」

わかってるくせに、なんで言わせるんだよ。

悔しいけれど、ウルは目の前のこの男が好きなのだ。だが、イルミは頑なにキルアと結婚させようとする。それはどこまでも『家』の最大幸福を考えるイルミらしいといえばイルミらしかったが、その『家』を形作る『家族』は─キルアやウル、そしてイルミ本人は─誰一人幸せにはなれない。
キルアは相手が自分でなかったとしても、ウルには幸せになって欲しかったのだ。

「じゃあ、オレがいるから帰ってこれないってこと?」
「違っ!そうじゃなくて、」
「キルの言うことは要領を得ないね……」

けれどもイルミは顎に手をやり、小さく溜息をつくだけでキルアの話に耳を傾けようとしない。それどころか、わざと聞くことを拒否しているようにも見えた。

「なんでなんだよ!イル兄だってずっとウルのこと、」
「わかったよ」
「……え?」

視線が絡み合い、兄の無機質なはずの瞳にほの暗い感情が揺らめく。その光景はなぜか胸をざわつかせ、突発的に喉の渇きを感じさせた。そしてそんなキルアを見下ろし、イルミは言う。

「ウルが帰ってきやすいように未練をなくしてやればいいんでしょ?」

キルアには何のことを言っているのか、全く理解できなかった。
次の、兄の言葉を聞くまでは。

「オレが他の奴と結婚すれば、ウルだっていい加減諦めるよ」

そうでしょ?と呟かれた言葉は、まるで素晴らしい思い付きをしたかのように、異様なくらいに弾んで聞こえた。それでも同意を求めていると言うより、どこか自分に言い聞かせているようであった。

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