- ナノ -

■ 足して割って@

そもそものきっかけは、今年6歳になる娘の一言だった。
いつも訓練でへとへとになって、お風呂から上がればすぐに眠そうにするくせに、毎晩きっちり絵本を読んでやらねばリルは寝つかない。

普段はちょうどイルミがこれから仕事、という時間帯になるので絵本を読むのはレイの役割だったのだが、この日は珍しく仕事がなく、イルミは可愛い娘のために本を読んでやることにしたのだった。

「毒には様々な種類があり、実質毒、腐食毒、血液毒……その他様々ですが、本項では主に吸収後、主として神経系をおかす神経毒について詳しく解説しています。まずそもそも神経毒はアミノ酸数60〜74くらいのポリペプチドであり、その作用機序から」「パパ、ママと交代!」

せっかく人が読んでやっているのに、リルは本を掴むと無理矢理ベッドの外へ放り投げた。図や写真も多く、子供でも比較的わかりやすそうな本を選んだのに心外である。
イルミはもう一度掛け布団を肩までかけてやると「もう眠いの?」と首を傾げた。

「パパのせいで眠くなくなった!ママは?ママがいい!」

「たまにはパパでもいいじゃない。なんでそんなワガママ言うかな……」

レイはとても大人しい性格なのに、リルは誰に似たのかお転婆だ。そしてこれまた彼女に似ずに訓練も大嫌い。
ちょっと目を離すとすぐにエスケープするから、それが最近のイルミの悩みの種でもあった。

「やだー!ママがいい!パパつまんない」

「つまんないって何さ、これはリルに必要なことなんだよ」

「だってお勉強と訓練ばっかり。遊びたい!」

せっかくかけてやった布団もまた足で蹴っ飛ばしてリルはぐずり出す。「もう、リルいい加減に」これならまだキルアの方が扱いやすかったかもしれないと思いながら押さえ込もうとすると、シャワーを終えたレイがちょうど子供部屋を覗きに来た。

「あれ、絵本読んで寝かせるんじゃなかったの?」

「あぁ、それがさ」「ママー、私、旅行生きたい!」

ぐに、と肘で頬を押され、言葉を途中で遮られる。しかもどこからそんな話になったのか、リルは唐突にレイに向かってねだり始めた。

「ねぇママ、いいでしょ?」

「え?パパがそんなお話してくれたの?」

「してなっ」「うん!わたし、いい子にするから行きたい行きたい!」

「そうねぇ……」

この世界のどこに、父親の顔に肘鉄をくらわすいい子がいるのだろうか。しかも都合が悪いからか先程より強く押され、思わず舌をかむ。
レイは頬に手を当てると、少し困ったような表情になった。

「私も行きたいけれど、パパ忙しいし……」

「じゃあママ二人で行こうよ」

「ちょっと待った。それ酷くない?」

ぶーぶーと文句を言う娘の口を、今度はイルミが塞いで制止をかける。せめて行くなら家族旅行。それだけは絶対に譲れない。
そもそもレイは騙されやすい性格をしているので、この二人でどこかに出かけるとリルはワガママ放題なのだ。
母親はレイの方でも、箱入り娘の彼女より幼い頃から暗殺一家の子供として育ったリルの方が世間を知っている。
祖父母にあたる親父達も孫には甘いしで、親バカになると思われたイルミは、今やこの家族におけるリルの唯一のストッパーだった。

「二人だけで行くのは絶対に反対」

「でも、どこにも連れてってやらないのは可哀想かなぁなんて」

「甘いよ、リルには厳しいくらいで十分。女の子なんだし、外に出す癖をつけて変な虫がついたら大変だろ」

「…うーん、確かに毒虫なんかは怖いわ。私の血が流れてるからリルもある程度は耐性あると思うけれど……」

「……そうでしょ?」

そういう意味じゃなかったのだが、まぁ特にレイに必要な知識でもない。
イルミも反対、レイも反対なら、流石にリルもどうしようもないだろう。

「はい、この話は終わり。おやすみリル」

「もーパパ嫌い」

「なんとでも言いな、とにかくオレは反対だからね」

強引にベッドライトを消し、明日もまた訓練だからねと言い含める。
リルはひたすら不満そうだったが、やがて諦めたのか、拗ねて頭まで布団をすっぽり被った。

「ほら、オレ達も部屋戻ろう」

「ええ……」

おやすみなさい、とレイが声をかけたが、リルは結局返事をしないままだった。




「遅い。とっくに時間過ぎてるんだけど」

訓練の時間になってもやってこない娘に、イルミは痺れを切らして部屋まで押しかけた。
中に入れば昨日最後に見た時のまんまで、ベッドのところがふわりと膨らんでいる。ご丁寧に気配まで消しているようだが、どこにいるかはひと目で丸分かりだった。

「ほらリル、いい加減にしなよ」

いくらなんでも寝過ごした、なんてことはないだろうから、きっとまだ拗ねているのだろう。
だが、初めはまだ優しめに諭していたのにそれでも彼女は強情で出てこない。
だからイルミは仕方なくほんの少し殺気を向けたのだが、ベッドの膨らみは微動だにしなかった。

「……?リル?」

いつもはどんなにわがままでも、これをすると飛び上がるのに。
イルミはいよいよおかしいと思って勢い良く布団を剥いだ。

「なっ……!」

ベッドの中はもぬけの殻。身代わりに枕だなんて古典的な……と呆れるが、とにかくリルが逃げ出したことには間違いない。
しかしたった6歳の子が一人でこの監視の厳しいゾルディック家から逃げ出せるとは思えなかった。

「まさか……」

イルミは嫌な胸騒ぎがして、すぐさまレイを呼びに行った。



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