- ナノ -

■ 51.どうしてこんなやつ選んだんだ




「…レイ、まだオレと結婚してくれる?」


クロロは聞こえた『返事』に苦笑いした。
血で汚れた服を着替え、病室に戻ろうとすれば、聞こえてくるイルミの声とそれに答えるようにコンコン鳴らされる音。
レイは目を覚ましたようだった。

別段、盗み聞きなんてするつもりはなかったのだが、クロロには二人で成り立っている会話に割り込んでいく勇気もなかったのだ。


**



「レイ、大丈夫だ!お前は死なない!死なない体なんだろ!」

少しでも意識を取り戻させようと、クロロは彼女を運びながら、懸命に声をかけ続けていた。
リネルは覚束ない足取りで、フラウを呼びに行き、イルミはというと魂が抜けたみたいにただぼうっと突っ立っているだけだった。

「レイ、頼む!死ぬな!死ぬなんて俺が許さない!」

彼女は勿論、気を失ったまま。
それでもクロロは懸命に名前を呼び続けた。

「どうして…一体何が」

駆けつけたフラウはレイを見て一気に青ざめる。
だが、一瞬にして状態を見てとると、こちらへ!とクロロを部屋に誘導した。
そのまま台の上に乗せられるレイ。
もうクロロにしてやれることなんてない。

「とにかく止血。
それから輸血しないと!」

「レイはA型よ」

クロロはABだ。
当然輸血してやることはできない。

「少しは血液パックがあるけど、足りるかどうか…俺はBだし」

「私はAよ」

「だけど、そんなフラフラの状態じゃ…!」

早口で交わされる会話。
クロロは無力な自分に腹が立ち、情けなく思った。

「イルミ!お前、血液型は!?」

黙ったまま部屋の入り口に佇むイルミにクロロは詰問する。
彼はまだぼんやりとした表情で

「Aだけど」と言った。

「…お前がやれよ」

くそ…なんで、こいつはいつも…

「オレ?」

きょとんと首を傾げるイルミに抱いたのは、嫉妬混じりの苛立ち。

「当たり前だろ!このままじゃレイが死ぬ!いいのか!?」


「…わかんない」

珍しく困りきった顔で
聞きようによっては泣き出しそうな声で
イルミはぽつりと呟いた。

「くそっ…どうしてお前なんだ!!」

手加減なんてすっかり頭から抜けていた。

「…っ!!」

衝撃で、後方に大きく吹っ飛ぶイルミ。
部屋を出た、突き当たりの廊下の壁に、背中をしたたかに打ち付けたようだ。
彼は自分が殴られたことに驚いて、ぱちぱちとまばたきを繰り返していた

「…何すんのさ」

「腹が立った。だから殴った」

「…は?」

「なんでレイはこんな奴を選んだんだ…」

訝しげな顔をするイルミに、嫌だけれども伝えなくてはならない。
クロロはちらりと振りかえって、レイの様子を見た。

「レイの熱がどうしてお前にだけ発動しないか、わかるか?」

「…」

イルミは何も答えず、ただこちらを見つめている。
殴られた頬は酷く腫れていたが、それを確かめることすらせずに、床に座り込んだままだった。

「…それはな、あいつがお前に殺されてもいいと思ってるからだよ」

「…」

「…お前のことを愛してるからだよ」

「え…」

クロロの言葉に、もともと大きなイルミの目はさらに大きく見開かれる。
やり場のない想いをもて余して再び拳を握ったが、それはイルミの顔のすぐ横の壁に穴を開けただけだった。

「…レイが、オレを?」

すぐ横の壁がぱらぱらと崩れても、イルミに気にした様子はなかった。
ゆっくりとまばたきを繰り返し、言葉の意味を必死で理解しようとしているのか、なんども小さく呟く。

「このままじゃレイは死ぬぞ」

「…嫌だ」

「お前が殺すことになる」

「嫌だ、違う、オレは…レイに…違う、そんなこと望んでない…」

「だったら…!」

クロロは乱暴にイルミの腕を掴むと、無理矢理立ち上がらせた。

「ごめん、レイ…オレ…」

「早くしろ。時間がない」

「…わかった」

そう返事したイルミの目は、もうしっかりと焦点が定まっていた。
それを見ると、緊急事態とは言え、自分は何をしているのだろうと思ってしまう。

これじゃあまるで、敵に塩を送ったようなもんだな…
クロロは複雑な気持ちで、指示されるままにレイの隣に寝転ぶイルミを見ていた。




***



「あれ…クロロさん…?」

恐らく、レイの体を綺麗に拭いてやろうとしたのだろう。
タオルを抱えて戻ってきたリネルは病室の外で佇むクロロの姿を見て不思議そうな顔をする。
だから、静かにという意味で、クロロは顔の前に指を一本立てた。

「レイ、目が覚めたの?」

「ああ…」

小声で交わされるやりとり。
二人はどちらからともなく、病室を離れた。

「そう…」

リネルは安堵したように呟く。
それから、ためらいがちに「良かったの…?」と聞いてきた。

「仕方がない。あいつの決めることだ」

「それもそうだけど…なんだか見てたら、あなたの方がレイを大事にしてくれそうな気がして」

正直にもそんなことを言うリネルは母親の顔をしていた。
無理もない。
目の前で娘が殺されかけて、しかも娘はその男と結婚するというのだ。
不安にもなるだろう。
クロロは久しぶりにくつくつと喉をならして笑った。

「それは光栄だな。
だが俺も実際、あいつとあまり変わらない裏の世界の人間だよ。
レイはそんな奴からばかり好かれる星の元に生まれたらしくてな」

「普通の人じゃないことぐらいは薄々わかるけれど…そうだ、これ」

リネルはなにやらごそごそとすると、握りしめた手をクロロの目の前で開いて見せた。

「これ、探しに来たんじゃないかしら」

「それは…」

リネルの手の中には、深い深い海のような蒼色の宝石が2つ。
それは紛れもなくあの人魚像の瞳にはめられていたものだった。

−−殺せる者が現れたとき、死なない
者は初めて安寧を得るだろう。

流す涙は宝石となり、この世のどんな宝にも優るだろう。

「あの後、中庭に行ってみたら、これが人魚像の目から落ちたの」

涙、と書かれていたが、実際には瞳そのものが宝だったのか。
リネルの話では、本家の人魚像だけにこの蒼い宝石がはめられているらしかった。
しかもその造りは仏像などと同じ「玉眼」となっており、内側から石がはめられていて、普通は外れない。

「…どうして?」

「人魚像はレイの血で真っ赤に染まっていたわ。おそらく、それが『殺せる者が現れた』証明になったんじゃないかしら。
…仕組みはわからないけれど、とにかく昔からあの人魚像は不思議だったのよ。噴水は建て直ししても、人魚像だけはなぜか劣化しなかったし…」

それならあくまで推測だが、念が込められていた可能性が高い。
人魚は愛する人と引き換えに捨てた海の色の宝を、自分と同じ運命を辿るであろう子孫に残したのか。
珍しくそんなセンチメンタルなことを考えたクロロだったのだが、そこで大事なことに気がついた。

「いや、そうじゃない…なぜ、俺がこれを探していると知っているんだ?」

もちろんリネルに話した覚えはないし、牢で会ったときの様子を思い出してみれば、レイが喋ったとも考えられない。

クロロは値踏みするかのように、リネルをまじまじと見つめた。

「貴方達は初めから、本の存在を知っていた…。
マクマーレンが全ての伝記を保有しているわけじゃないから、どこかでその残りを貴方達が読んだのだと思ったの。
伝記に書かれているのは、主に『死なない者』とこの『宝石』のこと。
既にレイと一緒にいる貴方が欲しがるとしたら、宝石しかないと思ったのよ」

「ほう」

なかなかにこの女は頭がいい。
クロロは少し感心して、ふっと笑った。

「確かに、初めはこれが欲しくて探していたんだが…今は別にいい。
レイが持っていた方がいいだろう」

もちろん、素晴らしく価値があるものだし、クロロだって興味がないわけじゃない。
だが、やはりここはレイが持っているべきなのではないだろうか。

「いいえ…たぶん、あの子は貴方が受け取ってくれるまで引かないと思うわ」

しかし、再度断ろうとしたクロロにリネルは強引に宝石を握らせた。

「…まぁ、あれでなかなか頑固だからな」

「…私に似たのね」

リネルはくすりと微笑み、その笑顔がレイそっくりだった。
そのため、クロロも何となく受け取ってしまう。


「マクマーレンの女は罪作りだな」

「え?」

「今ならあの忌々しいニヒスの気持ちもわかるような気がするよ」

クロロの言葉に、リネルはきょとんした。
どうやら気づいていないらしい。

「何でもない。
俺はここでおいとまさせてもらうとするよ」

お別れだ、レイ。
どうせもうすぐヒソカも除念師を連れて帰ってくるだろう。
あいつとお前を賭けて戦うなんて言ってみたりもしたが、きっとどちらにも手に入らない。

お前と過ごしたこの数ヶ月間はとても穏やかで幸せな日々だった。

クロロは隠れ家の方向へと歩き出した。
手には蒼い宝石。
いつもなら愛で飽きたら売り払ってしまうのだけれど、これは一体いつになったら飽きられるのだろうな。

まだ薄く月が見える夜明けの道でクロロは一人、苦笑した。



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