- ナノ -

■ 50.どうしても確認したかった


「レイ、しっかりしろ!!」

腕の中でぐったりとする彼女にクロロは取り乱す。
彼女の首に深々と刺さった針は、僅かに急所から外れていたものの、尋常でない血の量が赤く大地を染めていった。

「レイ!どうして避けなかったんだ、この馬鹿!」

視界の隅では、リネルがへたりこんでいた。
無理もない。
目の前で娘が死にかけているのだ。

クロロはなんとか出血を止めようと
必死で傷口を手で押さえた。

「そうだ!お前の血だ!お前の血を自分で飲めばいい!そうすれば、こんな怪我…!!」

後から後から流れてくる血で、必死に彼女の唇を濡らすが、彼女は弱々しく微笑むだけ。
クロロのワイシャツが血を吸ってずっしりと重みを増し、それでも止まることを知らない血液は、白い人魚像の尾びれまでをも染め上げた。

「イルミ!お前、なんてこと…!!
なに考えてるんだお前は!このままじゃお前の大事なレイが…!!」

「…死ぬの、レイ?」

ぽつり、と発せられたその言葉にはいつも以上に抑揚がない。
クロロはゾッとして、思わずイルミを見つめた。



レイが紅く染まっていって、とっても綺麗だった。

闇夜には白く浮かぶ銀髪は、オレが受け継ぐことの出来なかった色で。
それが自分の慣れ親しんだ紅で塗りつぶされていくのは、悪い気がしなかった。


「レイ!しっかりしろ!」

クロロが取り乱すなんて珍しいよね。
イルミはただぼんやりと、その様子を眺めていた。

頭の中は空っぽ。
心も空っぽ。

他人事みたいな顔をして
他人事みたいな目でクロロがレイに血を飲ませようとしているのを眺めていた。

「イルミ!お前、なんてこと…!!
なに考えてるんだお前は!このままじゃお前の大事なレイが…!!」

不意に名前を呼ばれ、我に返る。
クロロの責めるような瞳は、どうしてオレにむけられているの?
そして、レイはいつまでそうやってクロロに抱かれているの?
イルミは焦点の定まらない虚ろな目で、ぐったりとする彼女を見つめた。

「…死ぬの、レイ?」

その言葉にクロロが青ざめるが、今はそんなことどうだっていい。

ああ…
君はとうとうオレだけの物だ
やっと、言うことを聞いてくれて嬉しいよ

イルミは薄く笑ったつもりだったが、闇色のその瞳はいつもより暗く沈んでいた。



**


どけないと死ぬよ。
彼はそう言った。
脅しにしては目が本気で、針が空気を裂く音がして…

それでも私は動かなかった。

イルに私の熱が発動しないことは知ってる。
彼はプロの暗殺者。
いくら私の治癒能力が優れていようとも、即死では役に立たない。

真っ直ぐにこちらに向かってきた針は、月の光を浴びて煌めいた。
直後、鋭い痛み。
そして衝撃。
背中から誰かが抱き止めてくれて…
ああ、私の後ろにいたのはクロロさんだったね…

「レイ!しっかりしろ!」

流れ出る血を温かく感じる度に、今度は逆に寒気がした。
うっすら目を開けると、クロロさんが焦った表情で、私の唇に血を塗っている。
そのすぐ横で、地面にへたりこむ母の姿が見えた。

ごめんね…
早速、親不孝だ…

クロロさんは『彼』がいるであろう方向に向かって怒鳴っていた。

「死ぬの、レイ?」

薄れゆく意識の中でイルミの声が聞こえる。
ねぇ、貴方はその言葉を一体どんな気持ちで言ったの…?



***




「レイ、死んだ?」

白い天井、白い壁。
そして、よく知る薬品の匂い。
レイはまだ意識がぼんやりとしたままだったが、イルミの声が聞こえたので仕方なく目を開けた。

「レイ?」

…生きてるよ

そう答えようとして、声が出ないことに気づく。
喉元に巻かれた包帯。

レイは返事の変わりに、ベッドの柵をコンコンと叩いた。

「あ、生きてる?
よかった…」

まったく、貴方のせいで死にかけたのに…
そんなちょっとした非難の気持ちは、彼の安堵したような声にかき消される。
ちらりと目線だけずらすと、何故かイルミまで隣のベッドに横たわっていた。

どうして…?

声が出ないので直接尋ねることはできないが、よく見ると彼の腕からは長いチューブが伸びていて、それは私の腕にも繋がっていた。
すぐに、輸血が行われているのだと理解した。

「今は…喋れないみたいだね。
声帯は傷ついてないようだから、しばらくの辛抱だと思う。
レイ、これからは『はい』の時は一回、『いいえ』の時は二回、『どちらともいえない、もしくはわからない』は三回、柵を叩いて返事して」

コン。
とてもありふれた意思疎通の方法だったが、他にどうしようもない。
お互い天井に視線を向けたまま、この奇妙な『会話』が始まった。

「…まず、どうしてあんな馬鹿なことしたの?」

イルミの質問に、レイの手は止まる。
いきなり、はいかいいえでは答えられない質問だ。
仕方なく、レイは強めに4回柵を叩いた。

「え…なに?4回?
…それは『馬鹿なことしたのはオレ』だって言いたいの?」

強めに4回叩いたのは、非難の気持ち。
案外とすんなり伝わって、レイは微かに微笑む。

「…だって、レイがクロロを庇ったりするから…だから」


また、4回。
当たり前でしょう、の気持ちを込めて強めに叩いた。

「ちょっと、レイ非難多くない?」

コン。
質問が悪いのだから仕方がないと思った。
でも実際、自分でもよくわからない。

イルミからクロロさんを庇ったのか
クロロさんを殺そうとしたイルミを庇ったのか
似ているようでこの2つ、本質的には異なっている。
だが、話すことのできないレイはイルミの質問に黙って『答える』か、目で訴えなければならなかった。

「あ、これ?」

よく見ると、横顔しか見えないイルミの頬は大きく腫れていた。
見つめることで質問をすることができたレイは満足してコン、と鳴らす。

自分が意識を失っている間に何があったのだろう。
イルミは淡々と「クロロに殴られた」と答えた。

「不幸中の幸いって言うか、ここには薬も器具も揃ってる。
もちろん、レイ自身の治癒能力もあったんだけどね。
レイをここまで運んで、手当てして、それからクロロに思いっきり殴られた」

コンコンコンコン。
弱めに4回。

「自業自得だって?」

コン。
これで意外と伝わるんだから、不思議で仕方がない。
でも、腫れを見る限り、イルミはどうやら絶状態で一撃を食らったらしい。
それがわざとなのかそうではないのか、レイに訊ねる術はなかった。

「すごく怒られた。あんなに怒ったクロロ初めて見た。
…でも、正直目が覚めたよ」

ぽつり、ぽつりと呟くイルミの言葉は、ほとんど独白に近いもので。
レイはその時の様子を想像しながら、黙って耳を傾けていた。

「あのね、レイが死ぬかもって思ったとき、ちょっと嬉しかったんだ。
クロロに取られるよりはいいと思った。
でも、殴られて…青い顔して横たわるレイを見てたら、すごく怖くなった。
…死んでほしくないって思った」

レイは驚いて、瞬きを繰り返した。
なぜならイルミの声が微かに震えていたからだ。

わざわざ彼がチューブで繋がっているのも、彼なりの謝罪なのかもしれない。
そう考えると、自分の中に流れ込んでくる血液すら愛しく思えた。



「ねぇ、もうひとつだけ聞いてもいい?」


コン。

今まで好き放題に質問していたくせに、イルミは急にそんなことを言う。
レイはすぐさま了解の合図をした。

「…そう、ありがと」
コン。

自分から聞いていい?と言ったくせに、イルミはなかなか質問を言わない。
真っ黒な瞳で天井を見つめたままなにも言わないから、もしかして寝てるの?と心配になった。

「合図は覚えてるよね。
今度は3回と4回は無し。
1か2で答えて」

コン。

だから早く言えばいいのに。
不思議に思うレイに対して、イルミはすうっと、大きく息を吸った。



「あのさ…レイ、まだオレと結婚してくれる?」



コン。

たった一つの音は、とても嬉しそうに病室に響いた。





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