- ナノ -

■ 49.どうして庇うの?


「これが…全ての始まり…」

いつの間にか隣へきて本を覗きこんでいたレイが、ぽつりと呟く。
…人魚。
魔獣だって全ての種類が確認されているわけではない今、そういう生き物がいたとして何の不思議があるのだろう。
人魚の生き血や肉を食べれば、不老不死となる伝説だって聞いたことがある。
クロロはなぜ気づかなかったんだろう、と頭の片隅で思いながら、レイを見つめた。

「これが秘密…」

「ああ、そうらしいな…」

ずっと知りたいと思っていたことだった。
最初は、単なる好奇心から。
そして後は、好きな相手のルーツが気になったから。
でも今は、謎が解けた喜びよりも胸を満たすのは、心を読まれたような居心地の悪さだった。

クロロには「弟」の気持ちがとてもよくわかった。
なぜ、自分には彼女を殺せないのか。
どうして、殺して自分のものにできないのか。

狂ってる。
わかってる。
それでも想いは止められない。

もしも今、あの細く白い首に手を伸ばせば、全部終わらせることができるのだろうか…


「やめたほうがいいわ…」

控えめながらも、はっきりと忠告するようにかけられた声。
リネルの言葉に、クロロはハッと我に返った。

「…すまない」

吸い寄せられるようにレイへと伸ばされた手。
彼女は目を大きく見開いたまま、固まっていた。

「クロロさん…たぶん私のこの熱は…」

「ああ…わかったさ」

長く苦しい年月の中で、人魚の血を引く者が自衛の手段として備えたもの。
愛する人から以外の、殺意は受け付けない。
歪んだ愛情を拒む方法。
拒絶。

説明されるまでもなく、そんな理由が頭に浮かんだ。
レイを殺せるのはイルミだけということは、すなわち、レイが愛しているのはイルミだけであるということ。
それでもクロロはいつものように笑った。

「試すくらい、試させてくれよ」

レイは泣き出しそうな顔をした。
クロロがレイの方へ手を伸ばしたその時

ドゴォォォォンと大きな音がして地面が揺れた。


三人はその場で固まり、何が起こったのかを必死で理解しようとする。
ビュッ、と風を切る音がしたのと同時にレイはクロロを突き飛ばした。

「危ないっ…!!」

咄嗟のことに、押されるクロロ。
その頬のすぐ横を針がかすめていった。

「イルミか…!」

「ねぇ、今レイに何しようとしたの?」

先ほどの大きな揺れは、どうやらイルミが私用船を本家にぶつけた音らしい。
彼は念の使えないクロロにも、容赦なく禍々しいオーラを浴びせてきた。

「ねぇ、答えなよ。レイに何をしようとしたの?
返答次第じゃ許さないけど」

「イル、やめて。今のクロロさんにそのオーラは…」

同じく、念の使えないリネルも青ざめている。
二人を庇うように、レイが前に出た。

「イル、いい加減にして」

「…ふーん、庇うんだ?」

「一人はお前の暗殺をオレに依頼して、もう一人はたった今お前を殺そうとしてた。
それなのに、レイはオレが悪者だって言うの?」

「違っ…それは誤解なの!」

「何が誤解なの?」

「俺に関しては誤解ではないな」

クロロは恐らく苦しいだろうに、気丈にもそう言ってきた
それがなおさら気にくわなくて、イルミはクロロをきっ、と睨み付ける。

ほら、やっぱり。
クロロはレイを手にかけようとしてた。

それなのに

それなのに…

レイは怒った顔つきで邪魔するように目の前に立ちはだかっている。

―私…今、イルミさんになら殺されてもいいかなって…

首を絞めてしまったときのレイの言葉が、頭の中で反芻された。
じゃあ今、クロロを拒絶しなかったレイはクロロに殺されてもいいって思ったってこと?

激しい嫉妬の炎がイルミの身を焦がした。

「本当はね、この屋敷にいる全員を殺したっていいんだよ?
途中で出会った男はもうボロボロだったのに生かされてたから、何か理由があるのかと思って捨て置いたけどさ」

「ほう…お前にしてはまともな判断だったな」

「クロロさん、貴方もこれ以上挑発しないでください」

ムカつく。

ムカつく。

ムカつく。

レイに庇われているクロロが許せない。
クロロを庇うレイが許せない。
イルミはゾッとするような冷たい目で、レイを見据えた。

「どいて」

針を構える。
クロロはここで殺す。
そのためには目の前のレイが邪魔だった。

「レイ、どいて」

「嫌。やめて」

「どけ。これは命令。
わかるよね?」

「従えないわ」

「…そう」

レイはオレのこと愛してないの?
オレよりクロロなの?
それならどうしてその指輪をはめているの?

―『きっとレイは優しいから、断れなかったんじゃねーの?』

キルアの言葉を思い出した。

レイはきっとオレを愛してない。
自然、イルミの針を持つ手に力が入った。

「どかないと死ぬよ」

一言だけそう言った。
祈るような気持ちでそう言った。
イルミの手から放たれる針。

どけて。

どけて。

レイ、お願いだからどけてよ
後ろにいるクロロの心臓を狙って投げた針は、真っ直ぐにレイの首の辺りを捉える。

彼女は微動だにしなかった。
それがレイの答えだと思うと、余計に憎しみが募る。

イルミは複雑な気持ちで、針が彼女の体に埋まっていくのを眺めていた。

「レイ!」

クロロが叫ぶ。
全て、一瞬の出来事。
あんなに必死な顔しちゃって、バカみたい。

ぐらり、と傾くレイの体。
衝撃で後ろへのけ反り、その体をクロロが抱き止める。
どくどくと流れる血の赤。
とっても綺麗。

イルミの瞳には、倒れくレイの姿がスローモーションのように映った。



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