■ 48.どうやって始まったの
「クロロさん…私「悪い。冗談だ」
「えっ?」
驚いて、思わずまじまじと彼を見つめてしまう。
そこには先程までの切ない表情をした彼はおらず、代わりに普段通り優しく微笑む彼がいた。
「えっ、え?冗談…?」
「危なかったな。ここでお前がもし色よい返事をしていたら、即刻イルミに殺されるところだったぞ」
「…待って、どういうことなんです?」
「からかっただけだよ」
にこにこと悪戯っ子のように微笑むクロロさんは、私でも見抜けるような嘘をついていた。
自惚れなんかじゃなく、あれは本気だったと思う。
だって、とても胸に響いたから。
だって、とても苦しそうだったから。
それなのに、貴方はまた笑う。
「どうして…」
「レイ」
私の言葉を遮ったのは母。
わかってる。
気づかないふりを、知らないふりをするのもまた優しさだってことくらい。
でも本当は違うの。
優しさなんかじゃなくて逃げただけだよ。
気まずくなるのを恐れて。
嫌われるのを恐れて。
なんにも知らないふりをするんだ、私は。
…最低だ。
**
カチャ…
無言のまま鍵は開けられ、重かった枷からも解放される。
オーラを吸収され続けていたせいか、外されたとたん、ぐらりと体がかしいだ。
「…おっと」
抱き止めてくれたクロロさんの胸は暖かい。
応えるつもりがないなら、本当はこうして寄りかかっちゃいけないんだ。
「…ありがとう」
実際、立ち上がってみるとふらふらだったけれど、レイは気丈に振る舞った。
「大丈夫か?」
「ええ…」
その後の言葉が見つからない。
「悪かったな…」
なぜ謝るの?とも聞けなかった。
「あんたがレイの母親か」
「そうよ…私はリネル。貴方は?」
「クロロだ…レイの保護者ってところかな」
クロロさんは一瞬表情を曇らせたが、すぐさま母の鎖も解いた。
「簡潔に言うと、私はレイの味方よ…信じるかどうかは別だけど」
「そうだな。だが、味方でも敵でも本の有りかを知っているならどっちでもいいさ」
さっきのことなんてなかったみたいに続けられる会話。
レイは一人取り残されたような気分だった。
「本の有りかなら…知っているわ。
私が隠したの。というより、何かがあったときにはそこへ隠すようにと本に記されていた」
「どこだ?」
「…案内するわ」
もしも、本当に私のような死なない体の人間を造る方法が記されているのなら、そんな本は燃やしてしまった方がいい。
きっと見る人が見れば勿体ないと嘆くのだろうし、人類のために有効活用してくれるかもしれないが、所詮犠牲を生まずには成しえることのできない研究。
呪われた風習はいい加減滅びるべきだった。
「初めから…この屋敷にあるのよ」
どれくらい前から閉じ込められていたのか定かではないが、やはり母もふらついている。
レイは自分の足元も覚束ないのことを忘れて、母の体を支えた。
「大丈夫?」
そう聞いてきたのは母の方。
きっと私は今青ざめた冴えない表情でもしているのだろう。
小さく頷いて、クロロさんの背中を見る。
物を言わない貴方の背中は、言葉以上の想いを伝えてきていた。
**
「ここよ…」
案内されて着いたのは中庭。
嫌でも目につく大きな噴水が、クロロ達を待っていた。
「これは…盲点だったな」
「…これ、動くのよ」
リネルはレイに支えて貰いながら、噴水の足元へと座り込む。
本来ならばレイも立っているのが苦しい状態で、クロロが彼女達を支えてやるべきなのだが、あんな醜態を晒したあとでは迂闊に触れることもできない。
手を差しのべることのできないもどかしさだけが、クロロの胸のうちで渦巻いていた。
ゴゴゴゴゴ…
仕掛けがあったのか、リネルが離れると噴水は動き始めた。
中央に据えられた立派な人魚像が、ゆっくりと噴水の縁へと移動する。
待ち望んだ瞬間であるはずなのに、その場にいる誰の表情も陰惨としたものだった。
「…これよ」
人魚像の台座には一見しただけではわからないような収納スペースがあった。
そこから取り出された赤い背表紙の分厚い本。
クロロはちらりとレイの方を見てから、黙って受け取った。
***********
昔々あるところに二人の学者の兄弟がおりました。
彼らは決して裕福ではなかったので、仲良く助け合って生活し、とても勤勉なことで有名でした。
そんなある日、採集に海へと来ていた弟は一人の女に出会いました。
女は下半身の部分が鱗で覆われ、先端には大きなヒレがついていました。
つまり、人魚だったのです。
弟は彼女を一目で好きになりました。
それはもう、彼女に出逢ってから他のことが何も手につかなくなるほどに。
とうとう抱えた想いに耐えきれず、弟は兄に気になる女性がいるのだ、と相談をしました。
もちろん、人魚だということはふせたまま。
けれども
「勉強の邪魔になる」 結局兄から告げられたのは、その一言だけでした。
弟は悩みました。
兄の言うことはもっともであると。
真面目な弟は、泣く泣く彼女のことを忘れようとしました。
自然と海の方ばかりを眺めるようになりましたが、それでも女の元を訪れることはなくなりました。
そうして、しばらくの月日がたちました
ある日、弟が行かない代わりに海へ採集に行っていた兄が、一人の女を連れて帰ってきました。
そしてそれは紛れもなくあの彼女でした。
海水から3日以上離れると足に変わり、また濡れるとヒレに戻るそうで、見た目はなんら普通の人間と変わりありません。
兄は「人魚」が研究に協力してくれるのだと言い、彼らの家に住まわせることにしました。
弟は恋い焦がれた相手との再会に驚きましたが、彼女と一緒に暮らすことができるのだと思うと、幸せで胸がいっぱいでした。
その日以来、3人はとても仲良く暮らしました。
そして、兄のにらんだ通り、「人魚」の血液にはどんな病も治してしまう効果がありました。
しかも必要な血液はほんの少しで良かったおかげで彼女も快く提供し、見た目には何事もない平和な日々が続いていました。
けれども弟はやっぱり彼女のことが好きでした。
そして一緒に暮らすうちに、その想いはどんどんと強くなっていきました。
弟は悩みに悩んで、とうとうある日の晩。
想いを伝えようと、彼女の部屋を訪れました。
しかし、肝心の彼女の姿が見当たりません。
兄の部屋に行くと、兄の部屋も空っぽです。
結局、不審に思って探しに出た弟が見たものは、仲睦まじくよりそう二人の姿でした。
弟の目の前は真っ暗になりました。
初めからよく考えればわかることだったのに…
人魚は兄のことを好きだったからこそ家に付いてきて、研究に協力してくれていたのです。
兄は当然、弟の想い人が彼女だと言うことは知りませんでした。
兄もまた兄で、人魚のことを好きになったのです。
不幸だけれど、誰が悪いわけでもない。
しかし、弟の心には真っ黒な染みが広がりました。
僕には諦めろと言ったくせに、自分はちゃっかり彼女と仲良くしている。
僕の方が先に好きになったのに…
許せない
許せない
許せない!!
弟は次の日の晩、兄に毒を、彼女に睡眠薬を盛ると、眠っている彼女をさらって逃げました。
まさか、弟に殺されるとは夢にも思わず、兄は呆気なく死んでしまいました。
目が覚めた人魚は、当然弟を拒絶しました。
もともと弟のことが嫌いだったわけではありませんでしたが、愛する人を奪われたのでは、いくら優しくされても心が動くことはありません。
想いが伝わらなかった弟は人魚にひどいことをするようになりました。
愛情は簡単に憎しみに変わります。
どんなに傷つけても死なない彼女が段々と憎くなってきたのです。
いっそ殺してしまえたら自分のものにできるのに、と弟の行動はますますひどくなるばかりでした。
そんな日々が長い間続き…
とうとう弟は諦めて、研究に専念することで彼女への想いを忘れようとしました。
そのおかげか弟の研究は成功し、莫大な富を築くことができました。
けれども結局、二人の間に子供ができようとも、年老いて死が近づこうとも、最後まで彼女の心を手に入れることはできませんでした。
弟は死に際に、残った一族を集めて遺言を残します。
人魚の血を濃く受け継ぐものが、我が家の繁栄の鍵となる。
死なないものが生まれたら、決して自由を与えるな。
彼女は永遠に私のものだ。
兄弟の名字はマクマーレン。
これが全ての始まりでした。
しかし、どこで歯車が狂ったのかは結局誰にもわかりませんでした。
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