- ナノ -

■ 47.どうしても止まらなかった



こんなところに閉じ込めていたのか…

地下室の入り口にたどり着いたクロロは再び、ニヒスに殺意を覚えていた。
が、今はもうあんな奴に構っている暇はない。
手早く鍵を開け、重そうな扉を押すとそこには長い階段が続いていた。


足音は立てない。
深い理由はないが、恐らくいつもの癖だ。
階段を降りていくに従って、何やら話し声が聞こえてきた。



「ええ、まだ婚約の段階なんですけど…」

これはレイの声。
少し疲れているようにも感じるが、普通に話をしているのを聞くと、どうやら無事らしい。
だが、その話の内容にクロロは思わず足を止めた。

「おめでとう…よかったわ、私…すごく…なんて言っていいか…」

「ゾルディックの長男さんなんです…だから出会えたのも…お、お母さんのお陰です」

お母さん…
そうか、母親もここにいたのか。

仲睦まじく話す雰囲気は普通の親子となんら変わりない。
だが、彼女はレイの暗殺を依頼したんじゃなかったのか?
それなのにこんなにも穏やかに話しているとなると、誤解だったのだろうか。

「ゾルディックって…大変じゃない?
どんな人なの?
貴女に優しくしてくれる?」

クロロはその明晰な頭脳で状況を把握しようとした。
いや、正確には二人の会話の内容から意識を反らそうとした。

レイの口から聞く、イルミへの想い。
そんなものは聞きたくなかった。
でも…

「初めは怖い人かなって思ってました」

直接脳内に響いてくるようなレイの言葉。
反響して聞こえてくるのはここが地下だからか?

「私が強くなれるように修行をつけてくれたのも彼だから、実際とっても厳しい師匠でした…」

やめてくれ。 聞きたくない。
はっきり「好き」とは言わないお前の言葉に滲んでいるのは明らかな愛情だ。
むしろそれは言葉よりも、クロロを激しく傷つけた。

「だけど、私が危ないときは自分の危険も省みずに助けてくれたり、私が落ち込んでるときは何も言わずに傍にいてくれたり…」

思わず、耳を塞ごうとした。
が、聞かなかったところでそれが何になる?
聞きさえしなければそれは「なかったこと」になってくれるのか?

レイはきっと、幸せそうに微笑みながら母親に語っているのだろう。
簡単に思い浮かぶ彼女の笑顔が今は憎い。

「とても優しい人です」

結局、クロロは黙って最後まで聞いていた。
狂わんばかりの切なさで身を裂かれるような気がした。
その後も二人は何か話していたようだったが、覚えていない。

たとえようもない喪失感。
いや、喪失というのもおこがましいか。
俺は始めから、何も手にしてはいなかったのだから。


**


重力に身を任せ、そのまま階段を下る。
ぴたりと止む話し声。
代わりに響く足音。

ああ…俺か。
コツコツと規則正しく、何かの義務であるかのように足は進んだ。


暗闇の中。
警戒するように向けられていた視線が、こちらを確認するなり親しみこもったものに変わる。

「あっ!クロロさん!」

いつもなら名前を呼ばれるだけで胸が弾んだ。
だけど今は、どうしてこんなに辛いんだろう。
クロロは真っ直ぐにレイを見つめ返した。

「良かった、目が覚めたんですね?
ずっと起きなかったから心配して…あ、怒ってますよね?私が勝手に行っちゃったこと…」

空虚だ。馬鹿らしい。
そんなことはもう、どうでもよかった。



「…シャワーに毒が仕掛けてあった」

「えっ」

どうでもいいはずなのに、俺は一体何を言っているんだろう。
牢の中ではレイによく似た女がこちらを黙って見つめている。
クロロは自分の口から出る言葉を、まるで他人が喋っているかのように聞いていた。

「睡眠薬と筋弛緩剤。
あのあと、フラウが俺を殺しにきた」

息を呑み、目を見開く彼女。
心配してくれてるのか?
それとも単に驚いただけ?

知られたくはないはずの気持ちが、どんどんと吐露されていく。

「俺は…お前のためなら死んでもいいと思ったよ」

相手のために死ねること。
お前はそれが愛だと言った。
だったらわかるだろう?
俺の気持ちが。

レイは瞬きすらも忘れて、固まっているようだった。

「ク、クロロ…さん?」

「言わなきゃ…わからない?
それとも迷惑だから聞きたくないか?」

違う。
本当はこんな彼女を責めるみたいな形は望んでない。
それでも抱え込んだ想いが一度暴発すると、もう止まらなかった。

「レイ、俺はお前が好きなんだ。愛してる…」

噛み締めるように一言一言発したのは、何度も口にしたことのある陳腐な言葉。
だが本心から言ったのは初めてのことで、また、こんなに悲しい気持ちで言ったのも始めてだった。

「クロロさん…」

彼女が掠れた声で呟く。
その大きな瞳に動揺と切なさの色を浮かべて。
不意に、目を反らしたい衝動に駆られたが、ぐっと我慢して彼女を見つめ続ける。

困らせているのはわかってた。
困らせたくなかったからこそ、ずっとひた隠しにしていたのに…

「俺じゃ…駄目か?
イルミじゃなくて俺では…?」

馬鹿だと思う。
女々しいと思う。
自分で投げ掛けた質問のくせに、答えはいらないと思った。



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