■ 45.どうして依頼したの
「俺って悪い奴だな」
フラウはそう呟いた。「父さんの言うことを聞かないなんて、反抗期なのか…」
どくどくと血が巡るような感じがして、体がひどく熱い。
痺れていた指先に感覚が戻るのを感じて、クロロは驚いた。
「お、お前…!」
「もうすぐ動けるようになると思う」
「…何故だ?」
フラウが注射したのは解毒剤。
いくらでもクロロを殺せたはずなのに、彼はそうしなかった。
「別に、父さんと俺の意思が一緒だとは限らないだろ。
もちろん、俺だってマクマーレンを繁栄させたいけど、こんなやり方は望んでない」
クロロはゆっくりと身を起こすと、確かめるように手を握ったり開いたりした。
「俺は自分の研究に誇りを持ってる。
だから、レイみたいな犠牲を払って得た成果には興味がない 。
君は、ここに来るまでにマクマーレンの歴史について調べてみたかい?」
「ああ…少しはな」
「だったらわかると思うけど、『死なない者』は常にいる訳じゃないんだ。 現れなかった時の、つまり間期のマクマーレン家は自分たちだけの研究でこの家を守ってきた。
父さんはレイに頼りすぎなんだよ」
初めて見せる、フラウの不満そうな顔。
彼は『死なない者』がおらずとも、自分ならいい研究はできるのだ、と言う。
「父さんが探している本は、マクマーレン家の始まりの一冊なんだ。
そこにはたぶん、いつ、どのようにして『死なない者』が現れたのか、記されているんだと思う」
「まさか、ニヒスはそれを使って…」
「そう。レイみたいな生け贄を人工的に造ろうとしてる。
だけど、それは禁忌だ。
やっちゃいけないことだ」
すらすらと語るフラウの瞳はとても真っ直ぐで、初めて会った時の軽薄な印象はそこにはもうなかった。
「俺はマクマレーンのこんな歴史を終わらせたい。
って言えば聞こえは良いけど、俺はズルしたくないだけなんだ。
自分の実力だけでこの家を繋いでいきたい」
シャワーに仕込まれた毒を作ったのも彼。
そう考えると、ビックマウスだと一笑にふすのは気が引ける。
フラウの研究者としての才能は確かに大したものだった。
「だから、早くレイを連れてこんなところから逃げろよ。
ヨークシンで、ウチの奴らがやられた。あれも君の仲間だろう?
君こそ…何者なんだ?」
すっかり体が動くようになったクロロは彼の疑問にそこで初めてくすっ、と笑った。
秘密めいた微笑。
それは男ですらも魅了する。
「別に、ただの片想い中の男だよ」
少しだけ切なさを滲ませ、クロロは立ち上がった。
このまま、レイを連れて帰るだけではきっと彼女が納得しない。
そんな恐ろしい計画を聞いてしまった後では、何としてでも本を手に入れなければならなかった。
Pipipipipi…
そう覚悟を決めたとたん、鳴り響く携帯。
「もしもし?」
クロロは疑問に思う間もなく、ほとんど無意識で通話ボタンを押していた。
***
地下牢での気まずい沈黙。
不安と期待と喜びと恐怖と、様々な気持ちがせめぎあって相応しい言葉を見つけられない。
ニヒスはそんな二人を一つの牢に残したまま、自分はさっさと地上へと行ってしまった。
「レイ…」
名前を呼ばれた。ただそれだけで息が止まりそう。
顔を上げたレイと母の視線はばっちりと絡み合った。
「あの…私は、あなたの…」
「お母さん、なんですよね…」
自分で発した言葉がやけに大きく聞こえる。
母はびくりと体を震わせた。
「ええ、そうよ…」
「はじめまして、になるんでしょうか…」
「覚えてるわけ、ないものね…私の名前はリネルよ」
リネル…と口の中で呟いた。
お母さん、と呼ぶのには少しまだ抵抗がある。
だが教えられた名前は、暗に「お母さん」と呼ぶなと言われているような気がした。
レイは会話が始まったことで、ようやく相手をちゃんと観察することができる。
本当に自分とよく似た面立ち。
でも、確かにこの人が事実上私を捨て、イルに暗殺の依頼まで行ったのだ。
こちらがたとえ恨んでなかろうと、向こうは私のことを快く思っていないかもしれない。
レイがそんなことを考えて会話を続けられずにいると、母は冷たいコンクリートの上で、ゆっくりと座り直した。
「…ごめんなさい。許してもらえるなんて…思ってないけれど…本当にごめんなさい…」
「え」
しばしの沈黙のあと、口を開いた母は絞り出すように謝罪の言葉を述べていく。
レイは突然のことに驚き、どうすればよいのかわからなかった。
「母親だなんて図々しいわね…。
貴女に何もしてあげられなかった…
それどころか、ずっと貴女が酷い目に合ってるのを知ってて、見てみぬふりしてきたんだもの」
ほとんど独白のような言葉に、レイは黙って耳を傾けるしかない。
けれどもその想いはしっかりと胸に届いていた。
「私は別に…恨んでなんかいませんよ…」
ようやく伝えることのできた気持ち。
母はハッとしたようにこちらを見たが、許す側には感動はなかった。
ただ、誤解だから訂正をしたまでだ。
不思議と、母親との再会に涙は出てこなかった。
懐かしむにも憎むにも、相手のことを知らなさすぎる。
けれども目の前で自分によく似た女性が泣きそうな顔をしているのは、やっぱり放っておけなかった。
「聞きたいことがあるんです。
私の出生のこと…ゾルディックに依頼した理由…そしてマクマーレンの始まりの本のこと…」
そう、そのためにレイはここに来たのだ。
本当はもっと他にも聞きたいことが山ほどあったが、聞いてしまうのが怖い。
ー私のことどう思ってるの?
残酷な答えを受け入れる準備など、いつまでたってもできそうにない。
自分の役目に集中することで、「自分」であることから少しでも目をそらしたかった。
「出生…たぶんこれは3つ目の本のこととも関わりがあると思うの。
だけど、先に言っておきたいのは、貴女も普通に私たち夫婦の間に生まれてきた、ということ」
どうやらレイは、生まれは普通の子供だったようだ。
まさか自分を人でないと疑っていた訳ではなかったが、はっきりと産んだ人間にそう言ってもらえて、心のどこかでホッとする。
「マクマーレンに生まれた子供は皆、生まれてすぐに試されるの。
方法は簡単、子供を傷つけようとするだけ。
貴女はそれを不幸にもクリアしてしまった」
「…」
「後は貴女の知る通りよ…いえ、むしろ私は知らないんだわ」
母は少しだけ笑った。
それは紛れもなく自嘲の笑み。
レイはとうとう我慢ができなくなって、「辛かった?」と尋ねた。
「辛い…?私が?
そうね、貴女の受けた仕打ちに比べたら生易しいかもしれないけれど…
初めての愛する人との子供を取り上げられたんですもの…
気が狂うかと思った…」
「そう、ですか…」
自分に向けられたストレートな愛情に、不意に泣きそうになる。
嬉しい、という気持ちとはまた微妙に違った。
ただ、胸がきゅっと締め付けられて苦しかった。
「でも、それじゃあどうして暗殺を依頼したかって…思うわよね」
「ええ、私はどうせ殺せない体なのに」
その点が疑問だったからこそ、今回の件に母が絡んでいるのだと予想していた。
まさか本気で殺そうだなんて思ってなかったと信じたいが、暗殺を依頼するに足る動機は欲しい。
「ある意味、賭けだったのよ…」
母はぽつり、ぽつりと理由を話してくれた。
ゾルディックなら、なんとか依頼を果たそうとレイを保護してくれるだろうと。
そして、そこには叔父の恐ろしい計画のことも。
母の思惑通りレイは、ゾルディックに匿われる形となり、今まで叔父も手を出せないでいたのだ。
まさかそんな深い訳があったとは思いもよらず、レイは呆然と話を聞いていた。
「じゃあ、本当は私を守るために…?」
夫を殺され、自分の身にも危険が迫っている状況で尚、娘であるレイのために最善の行動を取ってくれたのだ。
もし、母が何もせずにいれば、レイはそのまま本家へと移され、計画は進められていたのだろう。
そして、私は一生被験体のまま。
イルやその他のたくさんの仲間に出会うことすらできなかった。
「…そう受け取ってもらえるなら嬉しいわ」
レイは、切なげに微笑む彼女が確かに自分の母親なのだと、今ようやくはっきりと感じることができた−。
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