- ナノ -

■ 42.どうしてこうなるの



広く、きらびやかな装飾が施された広間。
テーブルの上にずらりと並べられた豪華な料理の数々…
到底必要だとは思えぬほど用意されたフォークを一瞥して、クロロはこっそりため息をついた。

どうやらフォークには毒は塗っていなさそうだ。
もちろん大本命は料理の、それも香草などをふんだんに使い、臭いをごまかした一品だろうが、確認しておくに越したことはない。
まさか一切料理に手をつけないわけにもいかないだろうから、こういうときのために元から解毒剤くらいは持ってはいた。

が、果たして本当に効くのか。
曲がりなりにも相手は毒のプロである。
そんな分かりやすく殺したりはしないだろうが、到底楽しく料理を堪能する気分ではない。

「どうぞ、遠慮せずに召し上がってくださいね」

「はい」

何が遠慮せずに、だ。
遠慮どころか、お前の用意した料理など願い下げだ。

クロロは、わざと戸惑ったような笑みを浮かべて見せた。
まぁ、仕方がない。
これもレイのためだ。
たとえ毒が入っていようと、食べてやろうじゃないか。

そう覚悟を決めたクロロ。
テーブルの下の、その太ももの辺りに
何かがそっと触れるのを感じた。
ニヒスに悟られぬよう、そっと視線だけ下にずらすとそこにあるのはレイの手。
何か、気づかれずに渡したいものがあるらしく、クロロもさりげなく手を下に下ろす。

「あの、食事の前にすみません。
母は…やっぱりこの場には来られないんでしょうか?」

レイがそう訊ねるとナイフへと手を伸ばしていたニヒスの動きが少し止まった。

「ああ、彼女はあまり部屋から出ないんだよ…すまないね、レイ。」

「いえ…それは本当に心配ですね…」

話すことでニヒスの注意を俺から反らせるつもりなのだろう。
レイの手がクロロの手の中にすっぽりとおさまる。
それだけで、自然とクロロの意識は全て手に集中した。

「では、今は叔父様がマクマレーンとしての仕事を全てなさっているんですか?」

「そうだね、取引などの意味ではそうかもしれない。
後で紹介したいんだが、私には息子がいるんだよ。
親バカと言われるかもしれないけれど、これがなかなか優秀な科学者でね。
彼がマクマレーンの未来を担っている」

「まぁ、それは素晴らしい。ご自慢の息子さんですね。
私の…従兄弟にあたるのかしら」

小さなレイの手はひんやりと冷たい。
それなのに自分の体は熱くなり、触れた手から激しい動悸が伝わってしまいそうだ。

誰にも知られてはならない。
そう思うからこそ、この秘密めいた状況に胸が高鳴った。

「そうだね、従兄弟だ」

「会うのが楽しみですね」

彼女はニヒスの方を向いたまま、クロロに小さな丸い粒を手渡した。
そして、それと同時に離れていくレイの手。
クロロはとっさに、渡されたものを反対の手に移した。
そして彼女の手に強く指を絡め、自分でも気づかないうちに引き留めていた。

「…!」

彼女はこちらを向かなかった。
けれども横から見える瞳は驚いたように揺れている。
もちろん、こちらを向いてしまわなかったのは正しい選択だったのだが、クロロは絡むことのない視線に切なさを覚えた。

「…レイ?どうかしたのかい?」

レイが渡したのは彼女の血を念で薬へと変えたもの。
赤く輝くそれは、前にホームで見たものよりもずっと綺麗に透き通っていた。

「いいえ、なんでもないです」

そう言われたクロロは我に返って手を離す。
彼女はするり、と手を抜いて、そのままナイフへと手を伸ばした。

レイは俺に薬を渡したかっただけ。
それ以上でもそれ以下でもない。
そんなことくらいわかっているのに、どうして引き留めてしまったんだろう。
ニヒスが少し怪訝そうな顔をしたので、クロロは取り繕うように微笑んだ。
そしてこっそりと料理に結晶を忍ばせ、何事もなかったかのように食事を始める。

「とても美味しいです」

「そうですか、お口に合ったようでよかった…」

このタイミングで渡したことを考えると、どうやらある程度の時間なら先に飲んでおいても効果があるらしい。
ようやく食事を始めたクロロをニヒスは食い入るように見ていた。



「呼んだ?」

不意に扉が開き、若い男が顔を覗かせた。
白衣を羽織った彼は、透明な防護用ゴーグルを無造作に外すと、そのまますたすたと部屋の中に入ってくる。

「おい、フラウ。白衣で出てくるなと何度言えばわかるんだ。お客様の前だぞ」

あれだけ自慢していたにも関わらず、息子の姿を見るなりニヒスは苦い顔になった。

「大丈夫だって。出るときにあんだけ殺菌消毒のオンパレードなら、むしろ俺の方が清潔だよ」

「そういう問題じゃない」

「そう?まぁなんでもいいよ、どうせ飯を食いに来た訳じゃないしさ。
俺は呼ばれたからここに来ただけ」

フラウは父親の言葉を全く意に介さず、近くにあった椅子にどっかりと腰かける。

「君が…レイ?
想像してたより、悲壮感がないね」

「え…?」

「もっと、死んだ魚みたいな目をしてるのかって思ってた」

初対面でいきなりそんなことを言われ、レイは面食らっている。
含みがある父親に対して、息子の方はどうやらあけすけな性格らしい。
彼はレイが何も言えないでいるうちに、今度はクロロの方へと視線を向けた。

「誰?」

「あ、僕は「彼はレイの婚約者だ」

わざわざ婚約者、の部分にアクセントを置いて紹介するなんて嫌な男だ。
そう思って思わず睨むと、ニヒスはいかにも意味ありげな様子で息子に目配せをしていた。

「へぇ、そうなんだ。
じゃあ遺伝子的に相性がいいか、見てあげよっか」

ニコニコしながらクロロの方に手を伸ばす彼に悪意は感じられない。
だからこそクロロがどう対応したものか考えあぐねていると、ニヒスから「おい」と咎めるような声がかかった。

「やめなさい、お客様に失礼だぞ」

「失礼か…、どうせレイと結婚するんなら家族なんだからOKだろ」

「だからと言ってその態度は…」

ニヒスは途中まで言ってため息をついた。

「すみません、性格の方はとても変わってましてね。
私の方から失礼をお詫びさせてもらいます…」

「あ、いえ…でも本当に面白い方ですね」

レイが慌てたようにフォローしても、当の息子は気にしていない。
相変わらずクロロの方を向いたまま、好き勝手に喋っていた。

「変わってるって言ったって、そもそもうちの家が普通じゃないんだから仕方ないよなぁ。
だいたい研究さえできれば俺はどこだっていいんだし。
あ、そういやうちの飯、美味しい?」

「ああ…とても美味しいですよ」

「そうなの?へぇー、そう。
俺は嫌いなんだよ、うちの飯。
君、どうせなら養子に来たら?」

「あ、いや…」

フラウの登場は間違いなく場の雰囲気を変えた。
それが良いことなのかどうかは定かではないが、誰しもが彼のペースに呑まれ、呆気にとられている。
父親ですらため息をついて、時折咳払いをするほか無いようだった。

「そうだ、後で俺の研究室来る?
楽しいよ、興味ないかな?
毒とか薬とか。
あー、でもレイは嫌か。
嫌なこと思い出しちゃうよな」

「…え、いや…その…」

「まあ、せっかく来たんだしゆっくりしていけばいいよ。
今晩泊まるんだろ?なあ、親父?」

「「えっ」」

急な展開に思わず、レイとクロロはハモってしまう。
だが、ニヒスは落ち着いた表情で微笑んだ。

「もちろん、そのつもりだよ。
義姉さんに会うにはとても遅くなってしまうから…そんな夜更けにお帰りいただくなんてこと出来ないからね」

「え、でも…そんなご迷惑では…」

「そうですよ、そこまでしていただくわけには」

夕食だけでもこんなに面倒なのに、この上敵地で宿泊なんて冗談じゃない。
口ではやんわりと断りながらも、クロロの目は真剣だった。

「いいえ、そんな訳には。
是非泊まっていってください」

「どうしましょう…クロロさん」

「どうするって…」

ちょっと待て、レイ。
なんかお前、心が揺れてないか?

「でも母に会うには仕方ないんですよね…泊まり、ます?」

「いや、でもな…」

正気か?
こいつらは一応敵かもしれないんだぞ。

「泊まっちゃえ、泊まっちゃえ」

無責任なフラウの煽り。
気づけば、クロロは3人からの熱い視線を浴びていた。

「クロロさん、ダメですかね…?」



…はぁ。

「…わかった。
じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」

「よし、じゃあ飯食い終わったら、研究室に直行だな!」

くそ、なんでこうなるんだ…
ちらりと横目でレイを睨むが、困ったように微笑まれると、文句も言えない。
惚れた弱味か、どうもレイの頼みは断れなかった。

「じゃ、早いとこ食べちゃって」

「お部屋については後でメイドがご案内させていただきますよ」

「わかりました」

クロロはもうどうにでもなれ、と思いつつ、せめてもの抵抗でわざとゆっくり食事をとった。

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