■ 41.どうして傷ついているの
「よく戻ってきてくれたね、レイ」
屋敷に通されると、にこにこといかにも作ったような笑顔で待っていた男。
クロロはそれを見ただけで反吐が出そうだったが、こちらも同様本心は表に出さない。
レイは思わぬ歓待に少し驚いたようだった。
「えっと…失礼ですが、どなたでしょう?」
年の頃ならレイの父親と言ってもいいくらいだが、彼女の話では父親は太っていたらしい。
目の前の男はやせぎすで、まあ痩せたと言われればそれまでなのだが、とても話に聞いた外見とは一致しなかった。
「あぁ、そうだったね。
私はニヒス。君の父親の弟、つまり叔父にあたるものだよ」
「はじめまして、叔父様」
レイはぎこちなく頭を下げる。
それを見たニヒスは満足そうだった。
「いい子に育ったね、レイ。
…で、そちらの方は?」
「あ、クロロさんは私の恩「婚約者です」
レイの言葉を遮るようにして言うと、彼女は驚いたように瞬きを繰り返す。
何か言いたげな表情だったが、クロロが目線だけで制すると口をつぐんだ。
「婚約者…そうですか、そうですか。
レイにもそんな相手がね…。
いやいや嬉しいことですよ」
ニヒスはクロロを値踏みするように、上から下まで眺め、口元に薄い笑みを浮かべた。
「突然のことで申し訳ないのですが、今日は是非とも彼女の両親にお会いしたくて」
まさか、単刀直入に「ノートを頂きにあがりました」なんて言うわけにはいかない。
正面から堂々と訪ねた以上は、それなりにまともな用事が必要だった。
「会っていただくことは可能でしょうか?」
そう言って、クロロも負けじと作った笑みを張り付ける。
どちらも表面的にはにこにことしているものの、静かに火花が散っているように感じられた。
「そうですか…それはまた…」
「本当に急なお願いでご迷惑なのはわかっています。
ですが、そこをどうにか…僕は彼女との結婚を真剣に考えているんです」
まさか、こんなまともな台詞を口にする日が来るとはな…。
結婚。
自分には一生関係ない言葉だと思っていた。
わざわざそんな下らない契約に縛られずとも、女に不自由することはない。
イルミのように残すべき家名があるわけでもなければ、また、残したいとも思わなかった。
死とは常に隣あわせ。
そう考えるものには家族など必要ない。
だからこそ、特別誰かを愛したこともなかった。
そう
……今までは。
クロロは自分の方便に、自分で傷ついていた。
婚約者とはまぁ、よく言ったものだ。
所詮、嘘。
所詮、仮初め。
所詮…
儚い夢。
誰にも知られずクロロの心は
どんよりと重く沈んだ。
「いやいや、決してお断りしているわけではないのですよ。
ただ…非常に残念なことに…
実は彼女の父親、マクマーレン当主は半年ほど前に事故で亡くなられているのです」
「亡くなっ…た?」
ニヒスの言葉にレイは衝撃を受けているようだった。
ほとんど関わりもなく、むしろ虐げられていたとはいえ、肉親であることには変わりない。
クロロはレイを気遣いながらも、それでは…と口を開いた。
「奥様の方はどうでしょう?
お会いすることは出来ませんか?」
「義姉はそれ以来ショックで心身共に壊しておりまして…今すぐにというわけにはいきませんが、夜になら少しお話しするくらいはできるかもしれません」
「…夜に?」
「ええ、彼女は少し日光に過敏で…もともと虚弱な体質だったんですが、今では特に…」
ニヒスは申し訳なさそうに眉を寄せた。
ふむ…。
こいつは面倒臭い話になってきた。
この男、ニヒスはどうにも信用ならないと、クロロの本能が告げている。
どうする…?とでも言うように顔を見合わせた二人の注意を引くように、ニヒスはポン、と手を打った。
「まぁ、せっかくここまで来てくださったんだ。
大したものはご用意できませんが、是非夕食でもご一緒に」
「まぁ…そんな…どうしましょう」
十中八九、罠。
何しろこいつらはずっとレイを探していたのだから。
だが、虎穴に入らずんば虎児を得ず。
罠があるからといっていちいち退散していたのでは、何一つ盗めやしない。
クロロはでは…とにっこり笑った。
「お言葉に甘えて」
**
「クロロさん、どうですか?」
隣のレイが、こっそりと小声で聞いてくる。
もちろん、少し前を歩くメイドに聞こえてしまわないようにだ。
クロロは質問にはすぐに答えず、それとなく歩調を緩めた。
あのあと、屋敷内を見て回っていいかレイが訊ねると、ニヒスは快諾した。
その腹の中まではわからないが、許可を得たクロロ達は現在、遠慮なく屋敷の中をうろうろしている。
案内係だと付いてきたメイドもどう見ても一般人で、警戒するほどでもなかった。
「特に何も怪しいところはない。今のところは」
クロロは壁にかけられた絵画を眺めるふりをして、囁き返す。
だが、自分の中ではあのニヒスという男が黒であるとにらんでいた。
「それにしても…思わぬ歓待ぶりでしたよね」
「まあ、そうだろうな。向こうからすれば、俺達は飛んで火に入るなんとやらだろう」
「やっぱり…悪い人たちなんでしょうか」
殺し屋、盗賊、快楽殺人者…
「むしろ、お前の周りに良い奴なんているのか?」
クロロは茶化すようにそう言ったが、レイはきょとんとしている。
そういや、彼女は初めからそこにはこだわっていなかったな。
それは善悪を知らないからか、日常的に悪に晒されていたからか。
その元凶となった本家に来ても、レイは普段と変わらなかった。
「まぁ、とにかくお前の母親に会ってみないことにはなんとも言えないな。
はっきり言って、病気というのも疑わしいし」
「そうですね…父が亡くなっていたというのも驚きですし…」
レイはどこか他人事のような顔をしてそう言う。
それから不意に廊下を歩く足をぴたりと止めた。
「ん?どうした?」
何だろうと思ってクロロも視線の先を追うと、窓から中庭が見えた。
「あの噴水…すごい、うちにもあった…」
「お前がいたところに、か?」
「ええ、そうです」
本来ならばどちらも彼女の家であることに変わりはないのだが、やはり落ち着かなさを感じていたようだ。
ようやく思い入れのあるものに出会えた彼女の横顔は嬉しそう。
自分の知っているものがあるというのは、一種の安心感を与えるのかもしれない。
「あ、どうかなさいましたか?」
二人が足を止めたことに気づいたメイドが小走りで駆け寄ってきた。
「いえ、ちょっと、あの噴水に見覚えがあるものですから」
「そうでしたか。
あの噴水は当マクマーレン家のシンボルのようなものでございます」
「シンボル?」
マクマーレン家を象徴するものが、何故噴水なんかなのだろうか。
あくまでここは毒や薬を扱う家系で特に何の関わりも無さそうであるのに。
ようやく案内人としての存在理由をみつけだしたメイドは嬉々として質問に答えた。
「はい、何度も何度も建て直しがされているそうですが、初代の頃よりマクマーレン家には立派な噴水があったとされております。
初代の奥さまが非常にこの噴水を愛されていたそうで、デザインなどはそっくり昔のままでございます」
「へぇ…」
確かに、自慢するほどには十分に立派な造りで、大人でも余裕で水遊び出来そうな深さと広さがある。
だが、そのなかでも特に、大理石で出来た人魚の彫刻などはとても見事だ。
胸の前で両手を器のように重ね、そこからちろちろと清らかな水が流れている。
人魚の深い蒼色の瞳を見たクロロには盗賊としての興味すら沸いていた。
「あの噴水には何やら不思議な魅力があるようでして、今の奥様なども、よく噴水の縁に腰を掛けて読書なさっていました。
心がすうっと洗われる気がするそうですよ」
「そうですか…母が…」
レイはまだ見ぬ母親の姿を思い浮かべているようだった。
心なしか、切なそうに眉が寄せられる。
「あの…母は今どうしているんですか?」
「…」
恐らく、心の底から問いかけられたであろう言葉に、メイドは一瞬怯んだように瞬きをした。
「…申し訳ありません。
奥様のことは私めからは何もお話しすることはできないのです」
「…そう、ごめんなさい」
「いいえ…そんな…」
きっとそれもあの男の指示だろう。
困ったような顔をするメイドは、確実に何かを知っている。
「…きっとご夕食の際にニヒス様からお話があると思います。
すみません、お役にたてなくて…」
けれども彼女は口を閉ざし、再び案内しようと廊下を歩き出した。
「…仕方ない、ですね」
苦笑するレイも同じことを感じたのだろうか。
メイドの背中は彼女がまだ、マクマーレン家の部外者であることを静かに物語っているように思えた。
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