- ナノ -

■ 40.どうしてそんなに天然なんだ

コツコツ…と階段を降りてくる音がする。
リネルはその足音の主が誰であるかわかると、盛大に顔をしかめた。

「やあ義姉さん、ここでの暮らしにはもう慣れましたか?」

鉄格子ごしの男の表情は無駄に明るく、それだけでもこちらの気分が滅入る。
鎖でこそ繋がれていないものの、地下牢での生活はお世辞にも快適とは言えなかった。

「実は、義姉さんにいいお知らせがありましてね」

相手はこちらの隠しもしない不快感など意に介さず、終始笑顔を絶やさない。
少し勿体ぶるように間もあけると、いかにも困った、という表情を作ってみせた。

「…どうやらレイはゾルディックにはいないそうですよ」

「…!?」

「ヨークシンで目撃情報があったらしくて、感動の親子の再会もそう遠くはないんじゃないかな?」

口調は柔らかいが、人を小馬鹿にしたような声音に苛々とさせられる。

レイがゾルディックにいない?
そんな…どうして?

彼らにレイの暗殺を依頼したのは他でもない、母であるリネルだった。
だが、レイは殺されない体。
そのうえ無期限という条件をつければ、うまくゾルディックに置いてもらえると思っていたのに…。
リネルは動揺を押し隠し、その代わりに夫の弟であるニヒスを睨み付けた。

「怖いなぁ。私はただ、レイに本家に戻ってほしいだけですよ」

「夫を殺したのは貴方なんでしょ!」

「残念だけど、あれは事故ですよ」

「ふざけないで!」

この義弟は昔から嫌いだった。
ずる賢くて、そのくせ愛想だけは良くて、いつだって私の邪魔をする。
しきたりだといって、 リネルからレイを取り上げたのもこの男だった。

「貴方はただ、レイの血が欲しいだけよ!
どうせ息子と結婚させて、マクマレーンをのっとるつもりなんでしょう!
それで…邪魔だったからあの人を…!」

現在、マクマーレン家は当主が死んだことにより、非常に不安定な状態だった。
順当にいけば、次に家を継ぐとするならニヒスになるのだろう。
だがマクマーレンという特別な世界では、どうしても「死なない者」の存在を無視することはできない。
だからこそリネルは自分達の身に危険が迫っていると感じるやいなや、ゾルディックにレイを託したのだ。

「可哀想に…レイ。
まさか母親から暗殺を依頼されるなんてね…」

こちらの意図もわかった上で、神妙な顔をするこいつが憎い。

「まあ、もともと貴方に母親としての資格があるのかはわかりませんが」

「…」

それは言われるまでもないことだった。
リネル自体、生後何ヵ月か一緒にいたくらいで、娘との思い出もあまりない。
それでも常に娘のことは考えていたし、彼女に行われているはずの仕打ちを思うと、罪の意識が頭を離れることはなかった。
だからこそもういい加減に幸せになってほしいと思った。

「マクマーレンなんか…くそくらえよ」

このまま潰れてしまえばいいのに…。
今までの呪われた歴史もろとも、無くなってしまえばいいの。

リネルは吐き捨てるようにそう言った。




***





「案外と近かったんだな…」

クロロは目の前に広がる大きな屋敷を見ながら、呆れたように呟いた。

「そうですね、私も初めて来ました」

レイはきょろきょろと先程から落ち着きがない。
不安と期待でいっぱい、というのがわかりすぎて面白かった。

「さてと…」

あのあと、シャルから届いた地図を見て、 クロロは驚いた。
マクマーレン本家はなんと隠れ家から車で2時間と離れていない距離。
常人なら「え?近いか?」と言いたくもなるだろうが、クロロとレイにとってはこんなぐらいの距離、車で行くほどでもない。
二人は今、少し離れたところから屋敷の様子を窺っていた。

「しかし、こうやって見ると、お前の家も大概だよな…」

「え?何がですか?」

「何がって…」

家の回りに張り巡らされた厳重な警備。
流石、毒屋の裏の顔を持つマクマーレンと言ったところか。

どう贔屓目に見てもカタギに見えない黒服の奴らもちらほらといる。
クロロはどうするかな…、と思案した。

「正面突破も不可能じゃないが、いかんせん情報が少ないからな」

「イルに聞いたところ、私の暗殺を依頼したのは母だそうです。
だからノートのことを知っているとしたら母かと…」

当然、レイが死なない体だというのはその母親も知っているだろう。
だが、それでもわざわざ依頼をしたというのは、単にレイを追い払いたかっただけではなく、皆の注意が反れたその隙に「ノート」なるものを手に入れるためだった可能性が高い。
今、レイの行方を血眼になって探している奴らに彼女を殺す気はないようだし、マクマーレン本家にも色々と派閥があったりするのだろう。
クロロは少し高いところから 一通り屋敷の建物の配置などを確認すると、頭の中に見取り図を描いた。

「だいたいわかった。今夜にでも忍び込むか」

「ん?どうして忍び込むんですか?
私の家なのに」

レイはきょとんとした顔でそう言うと、スタスタと正門の方へ歩き出す。
そして今度は逆に呆然としているクロロの目の前で

ためらうことなくインターフォンを押した。


−ピーーンポーーーン

この場に不釣り合いなほど間延びした音が響き渡る。
周りを見張っていた男たちですら、あっけにとられてレイを見ていた。

「…はい」

冷たい硬質な声が応答する。

「あの、すみません。レイです。
レイ=マクマーレンですけど」

「…は、はい!?」

恐らく執事だと思われる男は先程とはうって変わってすっとんきょうな声をあげた。
まぁ、無理もない。
クロロだって驚いているのだ。

その中でただ一人、レイだけ落ち着きをはらって説明していた。

「あの、だから…一応ここの娘で…ご存じないかもしれませんが…」

「レイ様!?レイ様ご本人なのですか!?」

「ええ、そうですけど」

きっと今頃屋敷内は騒然となっているだろう。
クロロは観念して、レイの隣に立った。

「正面突破というのは、そういう意味ではなかったんだがな…」

「そうなんですか?
でもここが正門だと思いますよ」

「……」

もう返す言葉もない。
いいんだ、いいんだよ
俺はお前のそういうところが好きなんだから…

返事の代わりに苦笑したクロロは、覚悟を決め、真っ直ぐに屋敷を見つめた。

「しょ、少々お待ちください!!今、迎えの者を向かわせますので!」

一方、インターフォンからは慌てた声が聞こえてきた。

「はーい、わかりました」

いよいよ二人はマクマーレン本家に入るのだ。
予言通りに事が運べば、レイの能力にまつわる秘密とやらもわかるかもしれない。
もともとこうした秘密が好きなクロロは、警戒しつつ、自分でも驚くほどワクワクとしていた。



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