- ナノ -

■ 33.どうしても助からないの



「…本当に安心したよ、お前たちが無事で」

帰りの飛行船の中、クラピカが窓の外を見ながらそう言った。

「うん。俺も安心した。クラピカには人殺しなんかしてほしくなかったから…」

上から見るヨークシンシティはキラキラとネオンで輝き、セメタリービルでの事件が嘘のようだ。
安堵からくる脱力感に浸りながら、キルアはそれでもまだレイのことを考えていた。

「あいつは…兄貴のところに戻るんだよな?」

「ああ、間違いない。センリツが確かめた」

「結局レイにとって、蜘蛛って何だったんだ…?」

その疑問はキルアの一番知りたいことからは少しずれていた。

本当に聞きたいのは「レイにとっての俺たちがなんなのか」ということ。
それを知ってか知らずか、ゴンは暢気に答えた。

「それはやっぱり大事な友達なんじゃないかな?
クラピカには悪いけど、あのパクって人は…」

「まぁな、確かに…あいつは」

いい人だった。

クラピカ自身も感じただろう。
同胞を虐殺したやつらの中にかいま見た、自分と同じ仲間を想う気持ち。
キルアは横目でちらりとクラピカを見た。

「…私は今度こそ仲間の目を集めることに専念しようと思う」

「そうだな…それがいいよ」

復讐したいって気持ちはわかる。
だけどゴンが言うように、クラピカには危険なことをしてほしくない。
そしてそれはまた、レイも同じ…。


レイが兄貴のところに戻ると聞いたとき、すごく暗い感情が胸のうちで渦巻いた。
蜘蛛にいるってわかったときとはまた違う。
なんかレイを兄貴に取られた気がして…別にもともと俺のものでもないんだけど、なんつぅか、兄貴の気持ちを知ってるわけだから…

ええい、とキルアは髪の毛をくしゃとかき乱した。

あの兄貴がね…あんなに他人に執着するなんて。
ある意味、大丈夫なのかよレイ。

これからゴンとキルアにはGIの競売が残っている。
クラピカとセンリツは元通りノストラードファミリーに戻るだろうし、レオリオも勉強しなくちゃいけない。

俺達はこうやってバラバラになっていくのかな…

「キルア、何難しい顔してるの?」

ぽん、と肩に手を置かれ、キルアは振り向く。

「どーせ、お前はまたレイのことでも考えてたんだろ」

「なっ!ちげーよ、バカ!」

家を出て、たくさん大事なものが出来た。
だからそれを失いたくないって思うのは、別におかしいことじゃないだろう?
キルアは微笑んでいる仲間達の顔を見て、にっこりと笑い返した。

「なぁ、またそれぞれの目的が一段落ついたらさ、レイも誘ってどっか遊びにいこうぜ」

「いいね!!行こう!!」

途中の道がどんなに分かれていたって
今はそれでいい。
その道が最終的に一本に繋がるなら
俺達はまたこうやって笑い会えるだろう。

「レオリオも次会うときはお医者さんだね!」

「お、お前それ、最短でも4年は会わねぇつもりかよ!?」

クラピカとセンリツがくすくすと笑った。
飛行船の中は暖かい雰囲気だ。

ずっと、こんな時間が続けばいいな。

俺もクラピカもレイも…
重たすぎる過去を背負っている。
それは消せないし、無くなりもしないけど、皆で一緒にいるときは忘れられるんだ。

「ゴン、レオリオが医者になるのなんか待ってたら、俺達一生会えねぇぞ」

「どーゆー意味だこら!」

「だが、本当に勉強ははかどっているのか?」

「ぼちぼちだよ、ぼちぼち!
俺にも俺のペースってもんがあってなァ」

友達ってホントにいいもんだな。
あーあ、兄貴にも教えてやりてぇよ。

キルアはそんなことを考えて、ちょっと笑ってしまう。
だめだな、兄貴は今レイしか見えてないんだった。



***




いよいよアジトが目前に迫ったというところで、レイは怒っていた。

ヒソカさんとは空港で別れた。
それなのに今、またヒソカさんが私の目の前に立ちふさがっている。
彼はようやく変装を解いてその姿を月明かりの下に晒すと、強引にレイの手を取った。

「さ、帰るよ」

艶のある長髪。
すらりと伸びた手足。
男女の区別がつくようになった今でさえも、一瞬女性かと見間違うような細面。
レイは相手が誰だかわかるなり、パクのスーツの袖を握った。

「待ってください!まだ皆にお別れの挨拶出来てません」

「もう二度と会わないんだから、挨拶なんて必要ないでしょ」

「なんでイルミさんはいつもそんなことばっかり!」

バッ、と掴まれた手を払い除けると、イルミさんの目が細められる。
みるみるうちに彼が不機嫌になるのがわかった。

「レイ、ホントに反抗的になったよね」

「他の皆はもっと優しいですから」

「皆って蜘蛛のこと?
オレとこいつらで一体何が違うわけ?」

イルミさんは手を腰にあて、大きな瞳でこちらを睨み付ける。
違いはたくさんあったが、きっと彼に説明しても伝わらないだろう。
レイはプイとそっぽを向いた。

「前はイルミさんだって優しかったのに…」

「前っていつさ?」

「ハンター試験が終わるまで」

「そのあとレイが勝手にいなくなるのが悪いんでしょ」

放っていったくせに、と言うと、今度は「レイがオレの言うこときかないからでしょ」と返ってくる。
何が何でも私を悪者にしたいらしい。
すると、このままでは話が平行線だと思ったのか、パクが慰めるようにレイの肩に手をおいた。

「レイ、行っていいわ。貴女が悪くないってことは私がちゃんと皆に伝えるから」

「違う、そういうことじゃないんです!
第一、パクには鎖が…」

彼女が戻れば、必然的にクラピカのことを聞かれるだろう。
だが、そうなれば彼女は…

「じゃあ、レイの口からあの子を売ることができるの?」

「それは…」

パクを守るためには、私が説明するしかない。
口ごもってしまったレイの頭をパクは優しく撫でた。

「大丈夫。心配しないで。いざとなったら私もヒソカみたいに『言えない』って言うから」

「だけど…」

「ほら、いいから早く行きなさい。これ以上のゴタゴタはごめんよ?」

彼女はそう言ってちらりとイルミさんを見る。
クロロさんからも同じようなことを言われたし、これ以上迷惑をかけるわけにはいかないだろう。
勝ち誇ったようなオーラを発する彼をちょっと睨むと、レイは渋々パクから手を離した。

「パク、ごめんなさい。皆によろしく伝えておいてくださいね」

「ええ。伝えておくわ」

レイは去っていく彼女の背中がアジトの中に完全に消えるまで見守っていた。

蜘蛛の皆は本当に優しい。
時々、その優しさが辛く感じるくらいに。

イルミさんがそっとレイの背中を押した。

「じゃ。もう行くよ」

「…はい」

歩き出した二人の耳に

響く銃声。
まだ2、3歩も行かないうちだった。

レイはハッとしてとっさに駆け出す。

「レイ!」

嫌な予感が胸の中を渦巻く。
もう、イルミさんの声に立ち止まっている余裕などなかった



**



レイがアジトに駆け込んだときには
もうパクノダは地面に伏していた。

旅団のメンバーの何人かは額を押さえ、パクノダと彼女に駆け寄るレイの姿を茫然と言った表情で見ている。
抱き抱えあげたパクは既に絶命していた。

「なっ…なんで!?一体何が…」

ほんのついさっきまで話していたのに。
まだこんなにも暖かいのに。
レイは彼女の死が受け入れられず、うわ言のように疑問をぶつけた。

「パクは…俺達に記憶を伝えて死んだんだ。彼女のお陰で全部わかった」

我に返ったシャルがぽつりと呟く。
レイの他にも状況を理解できていない団員がいるようだった。

「パク!どうしてなの?だって…!」

心配要らないって、言ったじゃない。
だから皆には言ってないんだよね?
だって、もしクラピカのルールを破ったら死んでしまうんだよ。
言ったりなんかしてないよね?

「パク!死んじゃダメ!起きて!私の血をあげるから!」

「レイ!落ち着いてよ、もうパクは…」

周りの制止など耳に入らない。

私のせいだ

私のせいだ

私のせいだ

早く彼女を助けないと










レイは手近にあったガラスの破片を掴むと、躊躇うことなく自分の体に突き立てた。

「ね!飲んで!お願い、パク!
飲んでったら!」

「レイ、やめな!そんなことをしたってもう遅いんだよ」

「お願い!全部あげるから、こんな血でいいならいくらでもあげるから!目を覚まして!」

レイはぶすりぶすりとあちこちにガラスを刺す。
傷はすぐに癒えるものの、あふれでる血液量に流石の皆も危険を感じた。

「いい加減にするね」

「誰もお前を責めたりなんかしねぇよ!パクが望んだことなんだ!」

フェイとフィンが見かねて彼女を止めようとする。
だがレイに触れようとしたその瞬間、二人はバッと飛び退いた。

「熱っ!」

レイを取り囲む尋常ではない熱。
マチはさっとパクノダの体を引っ張り、レイから引き離した。

「早く…早く助けなくちゃ…私の血はそのためにあるんだから…パクお願いだよ…死なないでっ!!!」

レイの目は虚ろだった。
団員たちは彼女の行動を止めようとしたが、熱のせいで迂闊に近寄れない。

暴走−

攻撃など受けていないはずなのに、分厚い熱の衣は必死でレイを守るかのように覆っていた。

「レイ、もうやめろ!お前まで死んじまう!」

彼女が死ぬ数少ない方法は自殺か事故。
しかし、焦る蜘蛛を嘲笑うかのように熱の温度はどんどん上昇していく。
流れ落ちた血液までもが、じゅっと音をたてて蒸発した。

「このままじゃヤベェ!」

レイの足元の床がぐにゃりと曲がり、後ずさりを余儀なくされる。

「レイ!!」

このままじゃレイは落っこちてしまう。
とっさにフィンクスが手を伸ばそうとした瞬間、それよりも早く誰かの影が目の前を横切った。



「「「「「「!?」」」」」」

レイの身体がぐらりと傾く。

突然現れた長髪の男は、倒れこんだ彼女をしっかりと抱き止めた。

「お、お前は!!」

皆、茫然としてその男を見る。
彼の右腕は例えようもなく酷い火傷を負っており、思わず目を背けたくなるほどだったが、当の本人は少し眉を歪めただけだった。

「お前らさ、揃いも揃ってなにやってんの?」

だが、その声には静かな怒りが含まれている。
首もとに手刀を落とされ、気を失ったレイは苦しそうな表情で目を閉じていた。

「レイを見殺しにするつもり??」

「…そ、そんなつもりは!!!」

イルミは蜘蛛のメンバーをぐるりと睨み付けた。
そんなことをされれば普段はすぐにキレる団員達でさえ、圧倒されて何も言えない。
彼は命懸けでレイを救ったのだ。

「ふぅ、だから嫌だったんたよね。
蜘蛛と関わるとろくなことないし」

そのまま彼はよっ、とレイを肩に担ぐ。
右手はだらりと垂れ下がらせたまま。
死体すら見慣れている彼らであっても、その腕の状態は寒気を感じる程だった。

「じゃ、約束通り連れてくから」

「で、でもレイは今…」

「は?これ以上お前らのとこに居て、いいことあるの?
余計に死んだ奴のこと思い出すだけじゃない?」

イルミは歪んでしまった床を器用に避け、スタスタとアジトの出口に向かう。
皆、どうすることもできずにそれを見守っていた。

「じゃ」




二人が出ていったあと、流れる沈黙。
それを破ったのは各々の後悔だった。

「くそっ…悔しいがあいつの言う通りだ」

「アタシらだけじゃ…レイを死なせてたね」

「俺たち…レイに何してやれるんだろう」


独り言のような問いかけに答えられるものは誰もいない。
無力感に苛まれることなど、蜘蛛に入ってからはなかったのに。

「…とにかく今は、レイはあいつに任せよう。俺達にできること…それは」

「団長の除念」

彼女はおそらく全ての責任を感じている。
それなら団長がまた念を使えるようになれば、少しはレイの気持ちも落ち着くだろう。

頭を失っても、蜘蛛は動き続ける。
冷静さを取り戻した団員たちの目は、強い意思の光を放っていた―。




〜ヨークシン編 完〜



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