- ナノ -

■ 31.どうしても仕方なかったの


レイは夜の街をひたすら走っていた。

目指すはベーチタクルホテル。
きっかけは、ノブナガからかかってきた電話だった。


「もしもし…?どうしたんですか?」

鎖野郎を殺してやる、と誓っていた彼からの電話に、レイは少し緊張する。
けれども意外なことに、彼の声は明るく弾んでいた。

「実はな、今またあいつらと会ってよぉ。今度こそ蜘蛛に勧誘しようと思うんだ」

「え?」

あいつら?勧誘?
…もしかして、ゴンとキルア!?

「えっ…!どうして…」

「また俺らをつけてきやがったんだ。 賞金が取り消されたことを知らなかったんだとよ」

ノブナガはくく、と面白そうに笑うが、レイは笑えない。
せっかく上手く逃げ延びれたと聞いていたのに、どうしてまたそんな馬鹿なマネを…
今回はクロロさんもいる。
いつでもコインが味方してくれるとは限らない。
レイは手荒なことはしないで、と必死に頼んだ。

「わかった、わかった。
鎖野郎の姿形もわかったし、別にこいつらにはなんもしねぇよ」

「わ、わかったの!?」

「ああ、もう絶対逃がしはしねぇ」

ノブナガはレイの気も知らずにそう言った。

「まぁ、とにかくよぉ。俺はこいつらが気に入ったから、蜘蛛に入るようお前にも説得してほしいんだ。
お前ら友達なんだろ?」

「…すぐ行きます」

まだ友達と思ってくれてるかはわからない。
だけど、このまま放ってはおけなかった。

「んじゃ、俺たち今、ベーチタクルホテルにいるから。早く来いよ」

場所を聞いたレイはアジトの皆に事情を説明し、全速力で街を駆け抜けた。
今は一分一秒でも時間が惜しい。
ワープができたらどんなにいいか。

レイはハンター試験の時の4人の笑顔を思い浮かべた。

ワガママなんて言いません

どうか、私抜きでもいいから
あの4人がまた笑っていられますように…



ベーチタクルホテルの入り口が見えてきた。
レイは少しホッとして、速度を緩める。

自動ドアはもう目の前。
さあ入ろう、とした瞬間、突然真っ暗になる視界。

ジャラリという金属音。
外を走ってきたレイは、闇に目が慣れるのが早かった。
だから、ホテルからものすごいスピードで飛び出してくる女性とクロロさんの姿をしっかりと見た。

「っ…!?」

女性と目が合う。
私はその目を
その緋色の瞳を知っている。

「クラピ…わっ!」

腹部に巻き付く鎖。
レイの体はぐいとひきずられ、そのまま停車していた車に押し込まれた。

あんなに修行したんだもん。
普通なら避けられるはずなのに…
けれどもクラピカの目を見た瞬間、なぜかレイは捕まらなければならないような気がして少しも動くことが出来なかった。


**



しまった、と思った時にはもう遅かった。
体に巻き付く鎖。
オーラが纏えぬこの感覚。

なるほど、あのウボォーがやられたわけだ。
クロロは捕らわれた瞬間でさえも至って冷静だった。
俺としたことが…と自嘲の笑みを浮かべる余裕さえある。

けれどもホテルをでた瞬間、そこに立ち尽くしていた人物を見て、ヒヤリとした。

(レイ…!?)

彼女は鎖野郎と俺の姿をみて固まっていた。
無理もない。
とっさのことにどうしていいかわからないのだろう。
だがレイはそのすぐあと、思わずと言った感じで口走った。

「クラピ…わっ!」

そのまま彼女も鎖に絡めとられ、共に車内に押し込まれる。

お前は今、なんと言った?
それは…鎖野郎の名前か?
こんな状態でなければ、すぐにでも問いただしたい。

お前は俺たちを裏切っていたのか?


**



念願の蜘蛛の頭を捕らえ、クラピカは一目散に駆け出した。
表にはレオリオが車を用意している。
ゴンたちが上手く逃げ延びれたかどうかは気になるが、今はとにかくこの男を連れて姿をくらます方が先だ。

クラピカはしっかりと鎖を手に手繰り寄せ、エントランスを飛び出す。

目の前に立ち尽くす女性。
彼女の銀髪は月明かりでキラキラと輝いていた。

(レイ…!)

このタイミングでここに来たということは、やはり彼女は蜘蛛と深い関係にあるのだろう。
だが、そう考えるよりも早く、クラピカは鎖を伸ばしていた。

「クラピ…わっ!」

念のためチェーンジェイルではなく、普通の鎖で縛り上げる。
彼女の体はぐらりと傾いて、そのまま一緒に車に乗せた。
レイにはたくさん聞きたいことがある。

なぜ蜘蛛と一緒にいるんだ?
本当にそれはレイが望んだことなのか?
彼女と自分を繋いでいるものがこの冷たい鎖だけだなんて思いたくはない。

私たちはもう仲間ではないのか?



***


無言の車内。
ミラー越しにレオリオがちらちらとこちらを伺っているのがわかった。

けれども沈黙は続く。
互いに聞きたいことはたくさんあれど、なかなか言葉にするのは難しかった。

「…まさか、鎖野郎が女性だったとはな」

不意にかけられた憎い男の言葉を、クラピカは鼻で笑う。
こんなものはただの変装だ。

「私がそう言ったか?見た目には惑わされぬことだな」

カツラを外し、口紅を袖口で拭う。
いつものクラピカの姿に、隣のレイが小さく身をすくめたような気がした。

「それより発言に気をつけろ。何がお前の最後の言葉になるか、わからんぞ」

本当は今すぐにだって殺してやりたい。
憎い憎い同胞の仇。
だが相手は涼しい顔で、殺せやしないさ、と薄く笑った。

「大事な仲間がまだ残っている。
それに、その様子からしてお前たちは知り合いなんだろう?」

クロロはちらりとレイを見た。
彼女はなにも言わない。
ただうつ向いて、自分の膝の辺りを見つめていた。

「挑発を受け流せるほど、今の私は冷静じゃない」

右手を構えて、脅して見せる。
お前の命は私が握っているんだ。

「否定はしないんだな」

「貴様…!」

クロロの言葉に、ジャラリと鎖が音を立てた。

「クラピカ!よせよ!」

レオリオが目だけで振り返り、いさめるような声を出す。
彼の言いたいことはよくわかっているつもりだった。
けれども仇を目の前に、とても冷静ではいられない。

「クラピカ…私…」

にらみあう二人の間で、レイは小さく呟いた。
彼女を捕らえている鎖は本当にただの鎖。
本気を出せば、抜け出ることぐらい容易いだろう。
だが彼女は縛られたまま、ごめんね…と言っただけだった。

「レイ…教えてくれ、お前は蜘蛛なのか?」

「…団員ではないよ」

「じゃあ、なぜこんなやつらと一緒にいるんだ?」

「…」

「レイ!答えろ!答えてくれ!」

彼女はうつむいたまま、黙っている。
クラピカはレイの肩を掴むと、無理矢理こちらを向かせようとした。

「たかが女一人に、随分と余裕がないんだな」

ぼそりと、クロロは窓の外を見ながら口をはさんだ。

「なにっ…!」

既に頭に血がのぼっているクラピカはすぐさまそれに反応する。
だがクロロは一切動じずに、言葉を続けた。

「まあ、せいぜい騒げばいい。
あの娘の占いにもこのことは出なかった。
つまり、俺にとってこの状態は予言することもない、とるに足らない出来事だと言うわけだ」

「…っ!!」

「だめよクラピカ!」
「やめとけ!」

拳を握りしめたクラピカに前の座席のレオリオとセンリツが揃って止めに入る。
それがまたこの男を付け上がらせるようでとても不愉快だった。

「もう一度言ってやろうか?俺にとってこの状態は昼下がりのコーヒーブレイクとなんら変わらない。
…平穏なものだ」

「ふんっ!」

とうとう我慢ができなくなって、クラピカは思い切りクロロを殴った。
レイの口から圧し殺したような悲鳴が漏れる。
殴られたというのに、この男は前に体を乗り出して不敵に笑った。

「その距離では拳の威力も鈍るだろ」

「貴様!バカにするのも大概にしろ!」

クラピカとて間にレイを挟んでは、あまり手荒なこともできない。
もう瞳は真っ赤に変わっていたが、それでも必死にこらえた。

「クラピカ、耐えろよ。蜘蛛のリーダーを人質にはしているが、向こうにもゴン達が捕まってるんだ。
状況は五分。何も進展してねぇんだ」

全くもってレオリオの言う通りだ。
けれどもやり場のない怒りがクラピカをさいなむ。

なぜ、止めるんだ?
目の前にずっと憎んでいた男がいる
それなのになぜ、仲間から止められなければならないんだ

こいつは私の同胞を虐殺した悪魔だ
私のしていることは間違ってなどいない
それなのに
どうしてレイはそんな顔で私を見る?

挑発のつもりか、クロロは「五分?」と鼻で笑った。

「お前もとんだピント外れだな…前提がまず間違っているよ。
俺に人質としての価値などない」

「バカな!てめぇが蜘蛛のリーダーだってのはわかってんだよ!」

「…嘘じゃないわ」

センリツが震える声で呟く。

「彼が言ってるのは本当のこと。
彼には死への不安、恐怖、虚偽の不協和音…何もないわ」

彼女が言うからには本当のことなのだろう。
だが、この男が蜘蛛のかしらであることは間違いない。
ならば当然、人質としての価値は十分あるはずではないのか。

「一体、どういうことなんだ」

「死なないと思ってるんじゃない。
この音はおそらく…死を受け入れている音。
死を毎日傍に有るものとして享受している音。
…なに?何でこんな音が出せるの…
…もういや!聞きたくないわ、こんな音!」

「センリツ!」

耳をおおって項垂れた彼女から、クロロの言葉が事実であることは明白だ。
クラピカはますます苛立ちながらも、ゴン達のことが不安になり携帯を手に取った。



***



「ここからは八人で行動しよう。負傷したパク達のフォローをしつつ、これから団長を追う。パク?聞いてる?」

シャルに名前を呼ばれ、パクはハッとして顔をあげた。

「ええ…」

私は鎖野郎を倒せる情報を持っている。
けれどもそれには団長の死のリスクが伴う。
マチは余計なことを考えるなと言ったが、パクはまだ揺れていた。

何が蜘蛛に対する裏切りなのか。
団長は何を望むのか。


Pipipipipi…

シャルが指揮をとり話を進めている途中、フィンクスの携帯が着信を知らせた。

「団長の携帯からだ…」

場の雰囲気が一気に緊張する。団長が電話をかけてこられる状態ではないだろうし、となるとこの電話は鎖野郎からのもの。
シャルが頷いたのを見て、フィンクスは電話にでた。

「…もしもし」

「…これから、3つ指示する」

聞こえてきた声はやはり団長ではない。
パクは耳をすませた。

「こちらの指示は絶対だ。従わなければ、即座にお前達のリーダーを殺す。

…1つ、追跡はするな
2つ、人質の2人に危害は加えるな
3つ、パクノダという女に代われ」

まさか、直接指名してくるとは思わなかった。
パクは緊張しながら電話を受け取る。
はじめの指示はパクノダだけが会話を聞くと言うものだった。

「私の仲間からセンリツという能力者の情報は引き出しただろう。
最初に言っておくが偽証は不可能だ」

「…そのようね」

「ではよく聞け。まず今から仲間とのコミュニケーションを禁ずる。
会話はもちろん、動作、筆記、暗号、アイコンタクトその他一切だ。
そして、これから場所を指定する。
お前一人で来い。
…その時、わずかにでもお前の鼓動に動揺があれば…人質は殺す」

「…わかったわ」

パクは相手の指示を全て受け入れた。
蜘蛛への想像を絶する憎しみと復讐への執念。
いざとなれば鎖野郎、クラピカは仲間を見殺しにしてでも団長を殺しかねないだろう。

その後一度ノブナガと電話を代わり、下された指示は、他の団員全員と人質をアジトで待機させることだった。

「場所はリンゴーン空港。繰り返すが他の仲間と来た場合、お前達の団長は死ぬ。8時までに来い」

電話を切ったパクノダは誰にも何も言わず黙って皆に背を向けた。

私は決して忘れてはいません、団長。
生かすべきは個人ではなく蜘蛛。
でも、たとえ蜘蛛を裏切ることになろうとも
貴方はまだ、私たちに必要です。



***



「5年前…緋の目のクルタ族を虐殺したとき、お前は既にリーダーだったのか」

鎖野郎の問いかけにクロロは答えない。
明白すぎる質問だ。
今更答えて何になる。

「答えろ!!」

だが、瞳を赤く輝かせ憤る青年。
どんなに手酷く殴られようと、それよりもクロロは隣のレイのことの方が気がかりだった。

鎖野郎とレイに繋がりがあるのは確か。
彼女が外に出て他人と関わる機会があったとすれば、それはおそらくハンター試験だろう。
この切迫した状況に置かれてやっと、時おり疑問に感じていたことが全て繋がっていく。

アジトに来て二日目の朝のあの態度。
レイは蜘蛛が仲間の仇だとそこで気づいたのだろう。

それでも彼女は蜘蛛から逃げ出したり、鎖野郎に密告したりもしなかった。
またその逆、俺達にクルタ族の生き残りがいることも告げなかった。
おそらく精神的に、レイは板挟みになっていたのだろう。
そしてとうとうヨークシンで、物理的にも板挟みになった。

彼女がいつから鎖野郎=自分の仲間と気づいたかはわからない。
話を聞いた限りでは、人質のガキ達ですら、アジトに来た段階では知らなかったのだ。
けれども間違いなく予言の時には悟っただろう。
クロロはちらりと彼女を盗み見た。

青ざめていて、今にも気を失ってしまいそうだ。
とてもじゃないが、裏切った人間のする顔じゃない。

クロロは再び窓の外に目をやった。
窓ガラスに自分の殴られた顔が移る。
絶状態だと、こんなにも痛みがあるのだな…。

逃げられるはずのレイは逃げようともしない。
お前は死なない体なのだから、俺のように死を享受などしなくていいのに。
クロロはレイに裏切られたとは少しも思っていなかった。
今まで蜘蛛としてたくさんの非道な行いをして来たのは自分であり、ただそのツケが回ってきたに過ぎない。
蜘蛛を始めたときからそのくらいの覚悟はできていた。

「あのね…クラピカ」

不意に、レイが口を開く。
自然と車内の皆は意識を向けた。
そして、彼女はぽつり、ぽつりと真剣な表情で話はじめた。

「ねぇ…クラピカ、もしパクが本当に一人できたら、クロロさんを解放してくれるの?」

「…」

ストレート過ぎる質問は鎖野郎を黙らせるには十分だ。
奴は今、まさに自分の中でどうすればよいのか迷っているところだったのだから。
だが、鎖野郎の弱点はそこでもある。
冷酷に見えて、仲間のこととなるとこいつは途端に保守的になるのだ。

「…ゴン達のことさえなければ、今すぐにでも殺してやりたいと思っている」

ほら。やはりそうだ。
鎖野郎の意外な弱点。
刺せる…確実に。

クロロは本当に自分の死を恐れてはいなかった。
隣のレイに鎖野郎は手を出せないだろうし、何も心配はない。
旅団全員でかかれば、こんな奴直ぐに倒せる。
後はパクが皆を連れてくればいいだけだった。

「じゃあ…クラピカの能力に、ルールを守らせるってやつあるんでしょ?
あれ…私にもやってほしいの」

「…なぜだ?」

驚いたのは鎖野郎だけではない。
自分に不利になることをなぜ言い出すんだ、とクロロも眉をひそめた。

「実は私、特殊な体質で他殺では死ねないの。でも…その念でなら…ルールを破るのは私だから、自殺っていう扱いになると思って…」

「私が聞きたいのはそうじゃない。
なぜ自ら死のうとするかだ」

鎖野郎の表情が再び険しくなる。
それは怒りというよりは苦しみに見えた。

「クロロさんが死ぬときは私も死ななきゃいけない」

「それは…お前はやはり、蜘蛛の側の人間だということか」

「そう…なる」

鎖野郎の瞳が憎しみで染まっていくのが見えた。
でも、それは俺達に向けるような憎しみではない。

愛憎…
それは複雑で、とても危険なものだ。

鎖野郎は無言で右手を掲げた。

「おい!クラピカ!何やってんだよ!!」

「やめなさい、クラピカ。貴方、後で後悔するわ!」

仲間の制止にも耳を貸さない。
今、奴の頭を支配しているのは、レイへの届かない想いだけ。
奴の念がどういう仕組みなのかはわからないが、レイの言う通り自殺扱いになれば彼女が死ぬこともあり得る。

緊迫した時の中で、クロロは馬鹿にしたように笑った。

「俺と一緒に死ぬだと?
随分と殊勝な心掛けだな、裏切り者のくせに」

「…!!」

鎖野郎がハッとして、こちらを見る。
レイの瞳は傷ついたように揺れていた。

「俺がいつ、お前を仲間だと認めた?お前は初めからただの所有物。
いい気になるな」

「…」


鎖野郎はゆっくりと手を下ろす。
それだけ言うと、クロロは窓の外に視線をやった。
仕方がないとはいえ、彼女の傷ついた顔はもう見たくない。

だが、これで鎖野郎の憎しみも少しは和らいだだろう。
今は俺の意図がわかっていても、何も言わないセンリツに感謝する他なかった。

「…残念だったな、レイ」

「…」

「所詮、蜘蛛はそういう奴等だ。
レイは優しいから騙されていたに過ぎないのだよ…」


車はリンゴーン空港を目指して真っ直ぐに進んでいく。

レイ、許してくれ。
俺は自分の死よりもお前の死の方が怖かったんだ。

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