- ナノ -

■ 20.どうしてこんなに残酷なの


「あの、待ってください。この人の手が」

さぁ、行こうという段階になって、レイはそんなことを言い出す。
言われたフェイはとうに袖の中に手を隠していたので、ちっ、と短く舌打ちをした。

「このぐらい平気ね」

「平気に思っても、火傷はすぐに治療した方がいいです」

「うるさい言てるの、わからないか?」

鋭くなる目付きに、レイは一瞬怯んだようだがそれでもなおしつこく食い下がる。
クロロは足を止め、少し考え込んだ。

「そこまで言うのなら、もう一つの秘密も見せてもらおうか」


死なない者の血液はどんな病や怪我もたちどころに治してしまうという。
正直半信半疑だったが、この際確かめてみるのも悪くない。

クロロの言葉に、いかにも渋々といった様子でフェイが手を見せた。

「やっぱり酷い火傷…待っててください、今、治しますから」

レイはおもむろに小型のナイフを取りだし、つうと自分の指先を切る。

「生殺与奪の血(ディバイン・ブラッド)!」

彼女の指先から、ふわっと結晶化した血が浮遊した。
美しい赤だ。月の光を浴びてきらきらと輝いている。
それはそのままふわふわとフェイの顔の前まで飛んでいき、ぴたり止まった。

「それ、飲んでください」

「…」

「フェイタン、飲め」 クロロの命令は絶対だ。

フェイは結晶をつまむと、ぽいっと口に入れた。


「…甘いね」

皆が興味津々で見守るなか、ぽつりと感想を洩らす。
その間にフェイの手はみるみるうちに皮膚が再生し、元通りきれいな手になった。

「すごいな…」

念能力だったのか…いや、しかしこれほどのものとは思わなかった。
他の団員も息を呑む。
俺は良いものを手に入れたかもしれない。

一方、当のレイはというと、よかった…と安堵したように呟いていた。

「ハ、礼は言わないね」

治った手を確認するように、握ったり開いたりしながらフェイはそんなことを言う。
なんだかんだ言って効果には驚いているらしい。

「お前、それ言ってるのとほぼ同じじゃねぇか」

フィンが笑うと、うるさいよ、とフェイは彼に殴りかかった。

なに、いつも通りのじゃれあいだ。
俺達の中では見慣れた光景。よくあることにすぎない。
ただ、レイだけがそれを羨ましそうに見つめていて、なぜだか胸が少し痛んだ。


****


「団長、お帰りなさい。成功だったみたいね」


ホームに戻るとパクが待っていた。
彼女はレイとメンバーを見て雰囲気を察したのか、にこりと微笑む。

「無理矢理じゃなくて良かったわ」

「えっと、初めまして。レイです」

「私はパクノダ。パクって呼んでね」

レイはここに来るまでの間に、すっかり団員と打ち解けていたようだった。
あの不愛想なフェイまでもが、話しかけられれば無視せずちゃんと答えている。
にこにこと無邪気に笑う彼女は愛らしかった。

「パク、一応頼む」

「ええ、わかってるわ」

パクはレイの肩にそっと手を置き、彼女に一言告げる。

「記憶を読ませてもらうわよ」

わざわざ先に断りを入れたのは、彼女に嫌われたくないと思ってしまったから。
だがそんな心配は必要なかったみたいで、レイは微笑んだだけだった。

「貴女は今までどんな風に生きてきたの?」

触れた肩からレイの記憶が流れ込んでくる。

毒、注射、拘束、実験、解剖、血、血、血…


パクは思わず途中でバッと手を離した。

「どうした?」

すぐさま不審そうにクロロが顔を覗きこんでくる。
いくら彼女がいい奴でも、過去にあるもの次第で旅団を危険をさらす可能性があるかもしれない。

「いえ…彼女は別に怪しくなんかないわ。ただ…」

あまりにもむごい記憶にパクは言葉を詰まらせる。

「そうか…」

察したクロロはそれ以上聞いてはこなかった。



「まあ、いい。俺達といる限り、もう二度とそんな目には合わないんだ。
歓迎しよう、レイ」

ホームには今日、他の団員はいない。
恐らく戦闘にはならないだろうと言うと、当然ウボォーやノブナガは来なかったし、残りの団員は総出で待つほどの仕事ではないため、今ごろは各々自由に過ごしている。
まあ、焦らなくてもレイは蜘蛛が盗んできたお宝で、もう蜘蛛のもの。
近いうちに残りのメンバーも紹介すればいいだろう。

廃墟を物珍しそうにきょろきょろ見ている彼女は、実際の年齢より幼く見えた。

「服とか色々用意しなきゃね。アタシが盗ってくるよ」

マチはそう言い、外へ出ていく。
じゃあ部屋は私が準備するわね、とパクもすぐに移動した。
皆、レイが来てくれたことを喜んでいるらしい。
女性陣は妹でも出来た気分なのだろうか。

「え〜、じゃあオレがこの中を案内するしかないよね〜?」

にやけるシャルを目だけで制し、クロロはレイを手招きする。
首を傾げてとことこ寄ってくる様子はまさに小動物といった感じで愛らしく、クロロは威厳を保つためにわざと難しい顔をしなければならなかった。

「お前に少し、質問があるんだ」

質問は大きく分けて2つ。
『フェイの攻撃を防いだ熱』と『治癒の念能力』についてだ。
熱のことを問うと、彼女はちょっと困った顔をしてわかりませんと言った。

「生まれつき、そうだったんです。
殺意、厳密には私に致命傷を与える意図がある場合、あの熱は勝手に発動します。威力は恐らく相手の攻撃の強さに左右されるようで…。
後はそうですね、自分で強い恐怖を思い出すと、少し熱が…」

「なるほど…」

本の記述にも、稀にマクマーレン家に生まれると書いてあるだけだったし、詳しいことは原理は誰にもわからないのかもしれない。
だが、間違いなく言えるのは、そうして生まれた子は本家の生け贄にされるということだ。
暗い生い立ちを感じさせない彼女の笑顔は見るもの全てを魅了した。

「では、先程の念能力は?」

「いえ…あれは…」

彼女は初めてそこで口ごもった。

「あれは最近です。師匠に念を教わって…」

「師匠?」

「はい。もう、愛想つかされちゃったんですけど…」

悲しそうな顔で微笑むレイは、儚げでこちらの庇護欲をかきたてる。
彼女にそんな顔をさせた奴が憎らしくなるほどだ。

「実はお前の家に関することが書かれた書物があるんだ」

「え?」

クロロは一度自室に戻り、分厚いふるびた本を持ってくる。
本の表紙には、金の縁取りでマクマーレン家の家紋が入っていた。

「こんなものがあるんですね…知らなかった…」

「ここを見てくれ」

すでに開きぐせがついたページの文字を指で指し示す。
そこには次のように書かれていた。


−−死なない者の血液はあらゆる病や
怪我を癒すだろう。

だが、決して求めてはならない。

求めれば、汝の体は灼熱の業火に
焼かれ、求める血も輝きを失うだ
ろう。




「すごい…私のことだ…」

「この文献では、初めからお前の血に治癒能力があるように書かれているが、実際はどうだったんだ?」

「確かに、私自身傷の治りは異常に早いし、他人が飲めば治癒能力も多少ありました。でもあらゆるなんて…念を覚えるまでこんなに顕著な効果はありませんでした」

ふぅむ、とクロロは唸る。
やはり、伝説めいたものだったのか。
なにせ古い本であるし、特定の家系について記されたものだから、ある程度誇張されていてもおかしくない。

本をのぞきこみ、真剣に頭を悩ませあう二人の間には、他の団員が入り込む余地などなかった。
既にマチやパクも戻ってきていたのだけれど、シャル同様、団長の話が終わるのを待つしかない。

「では、ここの部分はどうだ?何か思いあたることがあるか?」


−−殺せる者が現れたとき、死なない
者は初めて安寧を得るだろう。

流す涙は宝石となり、この世のど
んな宝にも優るだろう。

私はただ贄の子に哀しみが降りか
からんことを祈る。


「…殺せる者?」

殺す、と聞いてレイは真っ先にイルミさんを思い浮かべた。
彼は暗殺者。しかもターゲットは私。
もしも私が殺されるとしたら、彼でなくてはなんだか申し訳ない。

けれどもやっぱり彼でも私を殺せなかった。
どうしても勝手に熱が発動してしまうのだ。
レイは自分を殺せる者など、今後も現れるようには思えなかった。

「私にはなんのことだかさっぱり…宝石なんて聞いたことがありません」

「そうか…」

「…ごめんなさい」

クロロさんの声には落胆の気持ちが滲み出ていた。

またこれだ…私は誰の役にも立てない…。
誰かに必要とされないと、生きていけないのに…!

「なぜお前が謝るんだ」

「宝石…出せませんから…」

しょんぼりと呟くレイにクロロさんはくつくつと笑った。
何が面白いのかはわからないが、笑われていい気はしない。ますます落ち込んだ。
だが、

「宝石など出せなくとも、お前には十分価値がある。それに、そうでなくても俺達はお前のことが気に入った」

見てみろ。と言われ、ホームを見回すと、皆が宴会の準備をしてくれている。
私を、こんな私でも歓迎してくれるのだ。

「あ!やっと話終わったんだね!」

シャルがにこにこと駆け寄ってくる。

「団長、話長すぎだよ!ほら、もう準備できちゃったし!」

「それはすまない」クロロは苦笑した。

「ね、早くレイもおいでよ」


「あ、ありがとう」


結局、レイの歓迎会は深夜になっても続いた。
こんなに大勢の人とわいわい過ごしたのは生まれて初めてだ。
とても楽しいし、とても幸せ。

でも、
何か大切なことを忘れている気がする

…なに?

しかし、ぐわんぐわんと回るような酔った思考ではどう頑張っても思い出せず、レイは考える努力すらしようとしなかった。



***


「レイ、お酒に耐性なかったのね」

「ふぅん…」

レイは半ばパクに抱っこしてもらうような形で、部屋に連れていってもらう。
そんなには飲んでない。缶のビールを一本飲んだだけだ。
けれどももう足元が覚束なくて、そういえば毒は試してもアルコールはしてなかったなぁと鈍い頭で考えた。

「大丈夫でふ…すぐに治…りましゅから」

この体はとても便利だ。
恐らく毒の時と同じように、少し我慢すれば耐性がつくだろう。
パクは呂律のまわらないレイにそうね、と微笑み、ベッドに優しく寝かせてくれた。

「じゃあ、もう寝た方がいいわ」

「そうしまふ…はりがとう…」

そっ、と扉が閉められ、レイは目をつぶる。

世界が回ってる。
ふわふわといい気持ちだ。
こんなにたくさんの人と関わって楽しかったのはハンター試験以来。
皆、今ごろどうしてるかなぁ…。


−−私の仲間の目を奪ったのは、幻影旅団だ

クラピカの、燃えるような赤い瞳がふと脳裏に浮かぶ。

幻影…旅団?
旅団…?

旅をする人…?

違う…彼らは


盗賊だ!


急激に酔いが覚めていく。
心臓の辺りが冷たくなる。

怖いからではない。
私は、なんということを…
友達の仇と、私は楽しく飲み交わした
そんなこと、許されるわけない

だが、もっと悲しかったのは
旅団の人達がいい人たちだったことだ
クラピカの仲間に酷いことをした彼らを
自分が憎みきれないことだ

ああ、どうしていつも…

私が大切に思う人とは、一緒にいることが許されないんだろう。

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