- ナノ -

■ 1.どうして殺せないの

ターゲットは目の前にいる。
写真で見た通りの、華奢で、白くて、いかにも弱そうなお嬢様。
オレはこの後まだ仕事が2件あって、こんな女に時間をとられるわけにはいかなかった。念なんか込めなくても一撃だろう。相手が無抵抗でも特に躊躇うことなく、オレは慣れた動作で針を構えた。

そして当の女はというと逃げもせずじっとこちらを見ている。
オレの足元にはたくさんの死体があって、もしかしたらそれに竦んでしまっているのかもしれない。
下手に泣きわめかれたりするよりもこの方が都合がいいんだけど。

結局お互い無言のまま、オレは女の眉間目掛けて針を投げた。いつにもまして呆気なかったな。


しかし聞こえたのは彼女が床に倒れる音ではなく、針が床に落ちる冷たい金属音。
女は先程と同じように黙ってこっちを見ている。
死んでない。
まさか外したのかと驚いて針を見れば、真っ直ぐだったはずのものがぐにゃっと歪められて落ちていた。

「なに?念使えるわけ?」

それなら早くそう言ってよ。
オレは今度は念を込めた針を、先程より速いスピードで投げる。
だが、同じように針は女に届く前にぐにゃりと歪められ、地に落ちた。

「貴方に私は殺せません」そこで初めて女が口を開いた。

「は?何言ってるの?」

めんどくさい。オレは忙しいんだってば。
意味不明なことを言う女に苛立つが、女はなぜか困ったような顔になり、もう一度同じことを言った。

「だから、貴方に私は殺せません」

「殺せなくても殺す」

針が駄目なら直接首を絞めるなり、折るなり、なんとでも方法がある。
相変わらず逃げない女の首を絞めようと、イルミが手を伸ばした時だった。

「つっ…」

熱い。咄嗟に自分の掌を見れば、べろりと表皮が剥がれ落ちた。あと少し酷ければ真皮にまで達してそうな火傷。
感覚としては黒焦げになる、というより、溶かされるといった方が正しかった。
でも熱の訓練もしてたんだけどな。

「…大丈夫?」

こちらが火傷の状態を見ていると、張本人のくせに女は心配そうに覗き込んでくる。
なんなの、こいつ。調子狂う。
でも彼女が殺せない、と言ったのはこういう意味だったのかと理解して、面倒くさそうだなとオレはため息をついた。

「レイ=マクマーレンだっけ?どうしたら君を殺せるわけ?」

「無理ですよ。私は寿命以外では死にません」

「じゃあ、今寿命迎えてよ」

「え?どうすればいいんですか?」

「…なにこいつ、めんどくさい」

だから、オレは後2件仕事があるんだって。こんなところで押し問答してても埒があかないし、とりあえず親父に電話する。

「あ、もしもし、俺だけど」

「イルミか?」

電話越しの声はさらに低く聞こえた。
案の定、というべきか親父は仕事中だった。

「殺りながらでいいから、ちょっと聞いて」

「ん?なんだ?」

実際、オレたちほどになると電話しながらでも暗殺するのは容易い。
だがもしものことがあってはいけないので、あまり仕事中にはお互い連絡しないようにしていた。特にオレはいつも事後報告しかしないので、珍しいこともあるんだな、と親父は続きを促した。

「オレのターゲット、死なないんだけど」

「…失敗したのか?」

「いや、どうだろ。今目の前にいるんだけどさ、念も無理、物理攻撃も無理で困ってるんだよね」

少しも困ってなさそうに聞こえたかもしれないが、これでもわりと困っている。
電話をしつつも、ターゲットの動きには神経を尖らせていたが、別段反撃してくるような素振りもない。

「ふぅむ…マクマーレンの娘か」今日の仕事の割り振りを思い出したのか、親父は考え込むように黙ってしまった。

「あのっ…」

「なに?オレ、今電話中。見てわからない?」

「暗殺を依頼したのって誰なんですか?」

「誰だって関係ないでしょ。黙ってて」

「イルミ」

両方から話しかけられて、思わずちょっと不機嫌になる。
なに、と短く返すと親父から思いもよらない一言が返ってきた。

「一旦、引け」

「……本気で言ってる?」

天下のゾルディック家が依頼の失敗なんか許されない。失敗するならするで、オレが死んでないと恥さらしもいいとこだ。何より自分が力不足だと言われたみたいで面白くない。

「レイ=マクマーレンの依頼には期限がない。無理に危ない橋を渡るより、ちゃんと対策を立ててからの方がいい」

無期限なの?
オレは少し驚いてレイを見る。
出来るだけ急いでくれと言うのはあっても、無期限なんて初耳だ。
しかも料金は前払いらしい。
家名があるからちゃんと仕事はするつもりだけど、本来ならこのまま放置されたっておかしくない。
依頼人は何を考えてるんだろう。

「…わかった」

だが、親父のいうことにも一理ある。無期限ならゆっくり殺し方を考えればいい。暗殺は引き際が肝心だ。
そう考えてピッ、と携帯を切りレイの方に向き直った。

「よかったね、とりあえず命拾いしたみたいだよ、君」

「諦めてくれたんですか?」

「ううん、諦めてないよ。今はまだ、殺らない」

「殺れない、でしょう」

「いきなり態度でかくしないでくれない?むかつく」

自分に殺せない相手がいるなんて思わなかった。
それも、親父やじいちゃんみたいな屈強でオレより数段上の相手ならまだしも、こんな弱そうな女だなんて。
気に入らない。絶対、オレが殺そう。

「オレ、仕事あるからもう行くけど、終わったら君のところに行くから。逃げても無駄だよ」

「貴方のお名前は?」

「あぁ、イルミ。イルミ=ゾルディック」

流れで、名前を教えてしまったけれど、近いうちに殺すからまあいいか。
厄介なターゲットだなぁ、と珍しくぼやいて、ベランダから出ていこうと柵に足をかけた。

「私はレイ=マクマーレンです!」

「うん、知ってる」

ターゲットなんだから調べてきてるに決まってるでしょ。
バカに構っていられないと、イルミは強く柵を蹴り跳躍した。

[ prev / next ]