2年目OLの恋愛譚 | ナノ


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私はポケットにも鞄にも携帯が入っていない事に気づいて、数秒前に降りてきたエレベーターにもう一度乗り込み5階のボタンを押した。誰もいないのを良い事に壁へと寄りかかり、深い溜息をつく。せっかくの金曜日で、残業もないと言うのについていない。なんだって退社時に気づかなかったんだ、と頭の中で自分自身に文句を言ってみるものの、そんな事で過去が変わるわけでもない。先月で入社してから2年目を迎えたというのに、こういう所はあんまり成長していないようだ。

同期は同じ部署に自分を含めて3人、違う部署に4人、残りの3人は入社数ヶ月で辞めてしまった。もちろん配属される場所によって仕事内容も変わるわけだが、一応大手企業という事もあり、どこの課や部署もやる事は尽きない。特に私たちが入社した時は大きい配置換えもあり、忙しさは倍増。そのために新人に対しても振り分けられる雑務は半端なかった。しかしそれらを挫けそうになりつつ、時には失敗しながらも先輩たちのフォローでなんとか乗り越え、2年目を迎えられたのである。とかなんとか、そんな自分を褒めたたえていた所での忘れ物。記憶通りならば堂々とデスクに置いて来てしまった。何故気づかなかった私。面倒だと思いつつも気づいてしまったのだから気になって仕方がない。私はもう一度深い深い溜息をついて、5階で止まったエレベータから降りた。

これから帰るであろう人たちの波を逆らってオフィスへと足を進めると、何やら騒がしい。金曜日という事もありこれから営業や取引先に出て直帰する人たちや、会議用の資料を作成している人たちはいるだろうが、それにしては騒がしい気がする。特に来客等の話は聞いていないのだが、何かあったのだろうか? そう思いながら中を覗き込むと、明らかにこの時間帯にしては多いであろう人数が慌ただしく動き回っている。何故? 驚きながらも中に入り、コピー機の前に立つ同期へと声をかける。

「イチくん、何で皆こんなに慌ただしいの?」
「新坂!」

同期のイチくん。なんだか難しい苗字のため覚える事を放棄して、付けたあだ名である。同期その一、からイチくん。当の本人も諦めたのか、イチくんで振り向く。そのイチくんはというと、出てきた書類を仕分けしながら私の問いに答えてくれる。

「実は再来週にある取引が先方の都合で来週の水曜日に変更になったんだよ」
「え、あの取引? 確か部長、自ら出向くんだよね?」
「ああ。再来週だったからある程度進めて、日付の近い仕事を優先的に片付けてた人がほとんどだから慌てちまって」

そう言いながらイチくんは、コピー機の端に寄せられていたホチキスで手元の書類を纏めていく。コピー機の動きは未だに止まらない。フル稼働である。

「しかもたまたま残ってた隣の課の事務に応援要請したら、めちゃくちゃ嫌そうな顔して、用事があるって断ってきやがった! 分かる、分かるけど、そこまで顔に出す事ねぇだろっ」

その言葉と同時にホチキスを乱暴にコピー機の端へと置き、また出てきた書類を別けていく。すると彼と同じ班の先輩がイチくんの名前を呼び、今纏めた分だけを抱えてデスクへと戻って行った。私はその背を見送りながら、自分のデスクへと向かう。勿論事務担当で固まるデスク付近に私以外姿はない。携帯は記憶通り堂々とその存在を主張している。それを手に取り一度だけ画面を覗き込んだ後、ジャケットのポケットに入れた。そのまま一瞬だけ辺りを見回した後、本日3回目になるであろう深い深い溜息をつきながら鞄を椅子の上へと置いてパソコンの電源を入れた後、忙しさの中心であろう場所へと足を進めた。部下たちへと指示を出しつつも、自分の仕事の手も止めない、幼い顔立ちの上司へと声をかける。

「ジャーファルさん、資料のグラフとか入力作業でよければお手伝いします」
「え?」

私のその言葉で振り向いた部長の右腕的存在、ジャーファルさん。名前からも分かるように外国人だ。この会社の取引先には外国の方が多く、その影響で重役についている者たちは外人が多い。もちろん我が部署の部長も外人。しかしその部長本人が親しみやすく、部下の事をとても考えて下さる優しい方で、長ったらしいファミリーネームを呼ばずファーストネームで呼ぶことが定着してしまっているのだ。勿論我々日本人に対しては苗字で呼ぶ事の方が多いのだが、フレンドリーな所は変わらず、差別なんてまったくない。仕事自体は大変だが職場環境には恵まれたものである。

ジャーファルさんは一瞬だけ驚いた顔をしたもののそれを直ぐに引っ込め、口元は笑みの形を作る。

「来週事務に回すはずだった書類が片付かなくて困ってたんだ。それがないと資料も作れないし、是非お願いします」
「はい」

そう言ってジャーファルさんは自分のデスクと、夕方から外に出ている部長のデスクから紙の束を取り出した。事務全体で分けるものだったのだろう。かなりの量だ。

「出来る所までで構わないよ。終わったものから私宛にメールで送って。その下はコピーして隣の班まで。残業になってしまって申し訳ないけど、お願いします」
「はい」

今指示された事を頭で繰り返し、口元が引き攣らないように意識して笑顔で頷いた。ジャーファルさんはそれを確認すると、また自分の仕事へと戻って行く。私は腕にかかる重さに溜息が出ないように自分のデスクへと戻り、隣の友人のデスクへと書類と鞄を置いた。そのまま椅子へと座り、パスワードを入力する。

ぶっちゃけ帰りたかった。しかし忘れ物を取りに来ただけとはいえ、この明らかに焦ってますという状況で、その横をお疲れ様でーすと通れるだろうか? 2年目のペーペーでそんな事、鋼の心臓を持ってなくちゃ出来ない! きっと今私が処理しなければいけない書類は此処に居る全員で別けつつ、もっと重要な仕事も片付けていかなければいけなかったのだろう。まぁ、ここで少しでも減らしておかなければ、来週の月曜、火曜が大変な事になるだけだ。とりあえず明日は休みだし、出来る所まで頑張ろう。きっと月曜日にこの事を隣の友人が知ったならば、イケメンジャーファルさんと会話した事を羨ましがるだろうな。面倒だから絶対に言わない。そんな事を考えながら本日何回目になるか分からない溜息をついた。




(2014/08/04)



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