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あと七十八本...「はなして!」




教師の話を聞きつつ、黒板に書かれていく文字をノートに書き進める。しかし頭の中は呪文のような化学式ではなく、5時間目の保健室の事でいっぱいだ。仁王の言っていたこれで終わりとは思えない、という言葉。きっとその通りだろう。私たちの背後にいたという女性、保健室に現れた女性、どちらも偶然だろうか? いや、今までの出来事を考えればこそ、やっぱり偶然とは考えられないような気がする。しかし現れた女性に見覚えなどあるはずもない。そもそもカーテンから一瞬だけ姿を現しただけで、それも風によって長い髪しか見えなかった。それならば他に手掛かりはないだろうか? まず鏡の女性と保健室の女性が同一と考えた場合、1番最初の怪奇現象の始まりは鏡。しかしそれは丸井と柳生が見たもので、実際には私は見ていないので分らないから除外。2番目は先ほどの保健室。


「それじゃあ次の答えを今日の日直。前に出て書いて」

「はい」

「はーい」


視界の片隅でそんなやり取りが見える。しかし片手でペンを持ち、もう片手で教科書を捲り、黒板に目をやるだけで精一杯だ。12月に入れば期末もあるが、11月に入ったばかりでまだ少し余裕がある。そんな事よりも此方の方が大事だ、と思考を戻す。2番目の保健室。確か頭痛が起こり、保健室の扉が開かなくなる。そして女性がいつのまにか保健室にいたわけだ。……いや、その前に床が水浸しになるという不可思議な事も起こっていた。しかしそれも一瞬で消えてしまい、その後の女性のインパクトが強くて忘れてしまっていた。だがあの水もタイミングからいって、あの女性の仕業だろう。そういえばあの女性が1歩を踏み出した時、まるで水たまりを歩くような音がしなかったか? そうだ。びちゃり、と保健室の床を歩いているのにしては不快な音がした。水。水が何か関係するのだろうか? 溺れて死んだとか……。その可能性も考えられる。しかしそれが死因だったとして、私たちが狙われる原因は、解らない。もちろん私や仁王が溺死させた、とかそんな事はありえない。結局はまたも振り出しに逆戻りだ。はぁー、と深い溜息をつきながら、たまに感じる妬みや嫉妬の視線を感じながら残りの授業に集中した。






6時間目が終わり、HR。教師が明日の連絡事項について話している。するとポケットの中に入っている携帯が震える。5時間目にアドレス変更をし、信頼のおける人にしかそのアドレスを教えていないため知らない人、という事はないだろう。そう思いながら教師に見えないよう携帯を取り出し、鞄を壁にして画面を覗き込んだ。受信ボックスを開くと丸井、という文字。一応テニス部との連絡手段は、丸井と柳生のみだ。今自分の命が危ういかもしれない中、テニス部と関わりを持ちたくない、とは言っていられない。しかしテニス部と関わった事で今回の噂が立ち、女子からの嫌がらせを受けたのだ。だが私と仁王はどうやら同じ女性(多分というか絶対生きていないモノだと思われる)に狙われている。こちらから情報をテニス部に回し、テニス部が解決してくれれば仁王も助かり私も助かる。もちろんテニス部からもこちらに何かしらの情報が回れば、こちらでも何か動けるかもしれない。そして私は助かり、ついでに仁王も助かる。背に腹は代えられない。直接情報交換をするより、携帯で連絡を取り合った方が安全だろう。そう思い丸井の着拒を解除し、柳生にはアドレスと番号を添えてメールを送った。

私はその返信だろうか、と思いながらメール本文を開く。すると仁王から聞いたのだろうか、5時間目の事に関する事から始まり、着拒やら女子からの嫌がらせの事など、ごちゃごちゃ書いてある。要約すると仁王に私のアドレスと番号を教えてもいいか、という事だった。そこに行きつくまで長い! 一言で纏めろ! そう心の中で突っ込みつつ、思案する。どうやら狙われている者通しすぐに連絡が取れた方が良いだろう、との事で仁王に聞かれたらしい。まぁ、確かに考えたくもないが今後あの女性が現れたとして、それは私か仁王の所に出て来るという可能性が1番高い。その時、当事者通しが情報交換できた方が気付くことも多いだろう。そう考え丸井にメールの返信をする。そのまま教師の話を流しつつ、携帯をポケットに戻した。








お風呂から上がり、一直線にキッチンへと向かう。冷蔵庫からペットボトルを取り出した。食器棚から取り出したグラスに、中身を入れる。風呂上りで火照った身体に、ただのお茶が美味しく感じられた。こんな何気ない事が幸せだったんだな、と柄にもなく思ったりする。なんとなくぼんやりした頭でそんな事を考えていたが、明日もまた学校だ、とそこに思考が行き着くと憂鬱になった。一応説明はしたが、収まったとは到底言えない。あの鋭い視線の中を歩くのは勇気がいる。


「どうしたの?」


はっ、と顔を上げると、目の前にはお母さんが立っている。いつの間にかシンクに寄りかかり、顔を俯けていたらしい。私は何でもない、と言ってお茶を飲みほしグラスを置いて自分の部屋へと向かった。扉を開け電気を点けるとちょうど良く、机の上に置いてあった携帯が音楽を鳴り響かせ震える。この音は着信だ。急いで机に駆け寄り、携帯を手にする。しかし知らない番号からだっだ。一瞬女子からの嫌がらせの延長か、とも考えたが電話で嫌がらせってどうやるんだろう、と思いつつとりあえず出てみる事にした。ベッドを背にして、床に座り込む。


「もしもし」


すると一瞬の沈黙の後、仁王です、といつものなんだか飄々とした感じの方言ではなく、堅苦しく敬語で名乗る仁王。え、仁王? そう思いながらああ、そういえば連絡先教えたんだっけ、と思い出す。どうやらあの後、柳に鏡と保健室での出来事を伝えたらしい。しかし柳自身が実際に目撃したわけではない事から詳しい状況把握が出来ず、またそのような怪談や噂を立海で聞いた事がないらしい。そのため自分が持っている情報では今回の出来事を解決に導くのは難しい、これから情報を集める必要がある、との事。じゃが自分たちで探すよりは確実ナリ、と仁王は話す。


「でも柳が知らない怪談や噂なら、やっぱり原因を突き止めるのは時間がかかるよね」


仁王や他の生徒からもその情報量の多さに頼られるぐらいだ。まぁ、そんな1つ1つの怪談話やら噂話を全て把握しているとは思えないが、友達曰く、全てを把握していそうなぐらいの情報量だ、と褒めたたえるぐらいだ。少し、よりもかなり期待していただけにショックはでかい。しかし仁王は1つだけ気になる事がある、という。


「気になる事?」


水じゃ。頭痛がする前とあの女が歩いた時。何か水が関係するんじゃなか? 、と仁王は言う。どうやら同じことを考えていたらしい。やっぱりあの水は何か、解決の糸口に繋がっているのではないかと思う。そう伝えると今回の怪奇現象以外で水に関わる事等、不自然な事はないかと聞かれる。しかしそう言われても桑原の怪奇現象以降、自分で見て感じた違和感など今日の保健室以外にない。そもそも水に関する事、だなんて範囲が広すぎる。何か解決に繋がる事は無いかと、2人電話口であーでもない、こーでもない、と悩む。すると一瞬だけザザッ、とノイズが入る。電波が悪いな、と思いながらもとりあえず何か解り次第要連絡、と仁王が話を締めくくろうとした所でまたノイズ。一度携帯を耳から離し画面を覗き込むが、電波状況は悪くない。もう一度耳に携帯を当てると、向こう側から仁王の声に交じって仁王とは違う声が聞こえてくる。何を言っているのかは分らないが、仁王の声が聞き取りにくい。


「仁王、他の声が邪魔して聞き取りずらい」


誰かと一緒にいるのだろうか。しかしこんな話をテニス部以外の人に聞かれたら、頭のおかしいやつ、というレッテルを貼られるだろう。という事はやっぱりテニス部か、そう思いながら仁王に伝える。しかしやっぱり人の話し声がする聞き取りにくい状況の中で仁王は、何言っとる。自分の部屋に1人でおるよ。それよりそっちの方がうるさいぜよ。朝岡さん一体こんな時間にどこにおるんじゃ? 、と言う。…何を言ってるんだ仁王は? 今私は自分の部屋に1人でいる。私の声しか聞こえないはずだ。それをどこにいる、だって? 気持ち悪い事言うなよ。今そういう冗談はシャレになんない。そう言うと向こうは黙り込む。私もそれ以上何も言えなくなって、結局はお互いに黙り込んでしまった。いや、黙り込んだんだと、思う。仁王の声は聞こえないが、いまだに誰かの話し声がぼそぼそと聞こえてくる。仁王は今自分の部屋に1人でいる、と言った、よな? 一瞬で鳥肌が立った。……本当に気持ち悪い。もう、いやだ、電話を切ってしまおう、そう思った瞬間。


「っ! ………え?」


携帯を持っていない反対の手の甲に、水がぽたりと落ちた。いきなりの冷たさに驚く。そしてそのまま凍りついた。お風呂上りとはいえ、髪はちゃんとドライヤーで乾かした。それ以外にこの自分の部屋で、いきなり水が発生する物なんてあったか? お風呂上りで火照っているはずの肌が震える。今度は素足の指先にぽたり、と落ちた。携帯からは私の異様な雰囲気を感じ取ったのか、私の名前を呼ぶ声が聞こえる。しかし返事が出来ない。引き攣った声が出るだけだ。


「…っ……、ぁ…………」


ぎしり。寄りかかっている背後のベッドから音が聞こえた。ぎしり、ぎしり。何の音? もちろん私は、座ったまま動いていない。なのに何故、背後のベッドから音が聞こえる? 何故、背後のベッドに誰かが乗っているかのような音が聞こえる? 何故? ぎしり、ぎしり、ぎしり。…………背後に、何がいる? 背後に、ナニが、いる…? 




朝岡さん? 聞こえんか、朝岡さん? 朝岡さん、朝岡さん



耳元から聞こえてくる仁王の声。震える声で紡ぐその言葉。



朝岡さん……………朝岡さん、そこに………ナニが…おる? 




目を見開く。その瞬間右肩に重みが加わった。それはじっとり、と濡れていてシャツの上からでも冷たさを感じる、冷たい、手………。





「…ぁ……ぁ…っ、………ぁ、ぁああ、ああああぁああああ、ぁぁあああああっ!!」





低い呻き、とも叫び、とも判断の付かない声。


ひゅっ、と息を吸い込んだ。



「っ! ぅあっ……ぃ、ぃ、ぃゃだ……っ、……はっ、………ぁっ、」



携帯を握りしめた手が震える。


髪に、頬に、膝に、雫が滴る。


あまりの緊張と恐怖に、思考がストップした。



「ぃ、ぃいやだぁっ!! はなしてっ!!!」



右肩の重みを振り払い、振り返る。ああ、馬鹿な事をしたな、と思った。


水に濡れ、頭の右部分だけが陥没した女がいた。










11月4日夜、電話中の出来事
(2014/02/16)



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