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あと七十九本...「出られない」




あまりの頭痛の酷さに、布団の上で蹲る。痛い。両手で頭を押さえながら少しでも痛みを和らげられないかとゆっくり深呼吸をした。数分すると少しずつだが痛みが引いて行くのを感じた。視界の端では仁王も同じように布団の上で蹲っている。いきなり2人揃って頭痛とはどういう事だろうか。ぼんやりする頭の中でそう考える。完全に痛みが無くなった所で、右手を支えにして体を起こした。そして床に視線を移すと違和感を感じる。いや、違和感というか逆にいつも通りなのだが、それがおかしい。


「水たまりが、なくなってる」


そう、先ほどまでバケツでもひっくり返したのではないか、というぐらいに水浸しになっていた床がいつも通りにそこに存在している。あまりの不思議な出来事に唖然とする。本当にさっきまでここにあったのに。それがほんの数分でなくなるなんて、おかしい。床をじっと見つめる。すると仁王が何かに気付いたかのように声を漏らす。顔を向けると私と同じように体を起こし、視線をあちらこちらに向ける。なんだ、と思いながら私も仁王と同じように保健室を見回す。すると微かに何かが聞こえてくる。今の時間体育は体育館を使っているのか、それともこの時間に外での体育がないのかは知らないが、校庭に人影はない。廊下も授業中という事で出歩いている生徒などいないだろう。ではどこから? するとびちゃり、と何やら先ほどの水たまりを思い出させるような音が聞こえた。私と仁王の視線が交わる。この保健室には私と仁王以外誰もいない。しかしとても近くで聞こえた気がする。私は完全に体を起こし、上履きを足に引っかけた。そのまま立ち上がる。仁王も同じように立ち上がりそろり、とベッドに体を向けたまま保健室の扉へと足を進めた。


「…………」

「…………」


お互いに何も話さない。いや、話せない。だって、知っている、この気配。空気が重くて、指先が凍りつくかのように冷たくなっていく。緊張で喉が張り付いて声が出せない、この異様な感覚。仁王も感じ取ったのだろう。お互いに無言で扉へと向かう。するとベッドへと向けていた視線が何かを捕らえる。風もないのにカーテンが揺れた。それは微かだったが確かに揺れた。そして私が座っていたベッドの半分まで引かれたカーテンの裏側に影が見える。誰かが立っているようだ。いつのまに? そんな馬鹿な事を考える。だって保険医が出て行ってから人の出入りはない。ベッドは3つ。右端はカーテンが全開で、残りの2つは半分ずつカーテンが閉まっている。しかしその2つは、もちろんここからでも誰もいない事が分かる。私たちが今まで使っていたのだから、ありえないのだ。この保健室に私たち以外の誰かがいるというのはありえない。この異様な気配、カーテンの向こう側にいる人物。もう分かる。ここに居ちゃいけない…。


するとがたり、と音がする。仁王が扉の取っ手を掴んだのだろうか。しかし一向に扉が開く音がしない。がたがた、と不快な音が響くだけだ。


「…仁王?」


視線はカーテンから外さないまま名前を呼ぶ。同じように視線は1点に集中したまま仁王は溜息をついた。


「……扉が、開かん」

「っ! …ちょっと、今、冗談とかいらないんだけど……」

「流石の俺も、こんな状況で冗談言う勇気はないぜよ」


そう軽く返すがその声は堅い。体の向きはそのままに、右手を後ろにやる。壁と扉の間に指をねじ込もうとするが、扉はがたり、と音を立てるだけでそこから動かない。もしかして閉じ込められた? この状況で、ここから出られない? その事実に血の気が引いた。仁王もそれ以上はしゃべらない。私たちはベッドの後ろ横、カーテンの影にいるソレに集中する。動かない。動かないけれども、動かないからこそ妙な圧迫感がある。気持ち悪い。すると何を思ったか、影が此方側に1歩踏み出した。カーテンに映る影が大きくなる。その瞬間べちゃり、と素足で水たまりか何かに突っ込んだような不快な音が聞こえた。びくり、と私たちの体が震える。そのままもう1歩踏み出した。びちゃり。此方に近づいて来る。来るな、来るな、来るな、来るな来るなくるなくるなくるなっ!! 声が出ない。足も動かせない。指先すら動いてくれない。びちゃり。カーテンの横からその姿を現す。


その瞬間、窓も扉も開いていないはずの保健室に風が舞い上がる。その突然の風に一瞬だけ目を閉じた。その一瞬の間に揺れるカーテンだけを残して、その姿は消えていた。


「っ………」

「…、……」


突然の事に体の力が抜ける。そのまま座り込んでしまった。隣では仁王も扉に寄りかかったまま座り込んでいる。なんだったのだ、今のは。あまりの恐怖に思考が追い付かない。左手で右手を包み込む。冷たい。それが今の出来事を現実なのだと思わせる。すると隣から深い溜息が聞こえてきた。


「朝岡さん、柳生と丸井から鏡の話、聞いたか?」

「………」


咄嗟の事に判断が遅れる。しかし鏡、という単語に反応する。


「…鏡って、あの2人が私と仁王の背後に何かが映ってた、てやつでしょ?」

「そうじゃ」

「…それが今の状況と関係があるんじゃないかって、事?」

「話が早くて助かる」


仁王は片膝を立て、そこに顎を乗せたまま話す。確かに、この数日で怪奇現象が起こっている事といい、同一の可能性がある。それにしてもこの状況下で、よくその思考が鏡の話を思い出せたものだ。だが同じ怪奇現象。偶然とは思えない。しかし何のために? 今までだって何か明確な理由があって存在していたものばかりでないが、急に私と仁王がこんな目に合うというのは考えられないだろう。まさか通り過ぎの幽霊に偶然にも狙われた? 通り魔殺人か! しかしそれだと、それ以外に幽霊に恨まれるような事などした覚えがない。あ、もしかして、


「仁王が女の子に恨まれるような事でもしたとか? 一瞬ちらりと長い髪が見えたし、女の人だったから」

「…そんなたちの悪い女に手を出した覚えはなか」

「でも他校の女の子とは付き合ってるんでしょ?」

「そんなんデマじゃ。そもそも部活か、テニス関係のやつぐらいとしか絡んどらん」

「…それもどうかと思うけど」


テニス部以外に友達いないのかよ。しかし、それぐらいしか思いつかない。もし通りすがりの幽霊が私たちを狙ったのだとしたら原因も何もない。どうしようもなくなる。しかし私と仁王の前に現れた原因があるのだとしたら、それは何か? 伝えたい事がある、恨みがある、別人と勘違いしている、何かをして欲しい……。伝えたい事と何かをして欲しいは、向こうから何かしらアクションを起こしてくれなければ分らない。もちろん恨みも覚えがなければ、別人と勘違いならそれこそどうしようもない。まったく解決方法もわからない。……………ん? 恨み?


「あ」

「ん?」


え、恨みって、今私めっちゃ恨まれてない? 女子どもから。


「いや、私たちの前に現れた理由を考えてたんだけど…伝えたい事があるとか、恨みがるとか、別人と勘違いとか、何かをしてほしいとか」

「…………」

「今私、物凄い恨まれてるわ……と思った」

「…じゃが、それだとおかしいのぉ。幽霊なんだから死んどるじゃろ。でもお前さんに恨みを持っとるのは、生きてる女たちじゃ。恨みのあまり、幽体離脱でもしたか?」

「…それか、藁人形的な…」

「…………」

「…………」


はぁー。確かに今、仁王との噂のせいで私を恨んでいる女子は多いだろう。しかし仁王の言う通り、私を恨んでいるのは生きた女たちだ。本当に生霊になるか、私に呪いでもかけたとか? しかし呪いなんて中学生女子に出来るものか? いやいや、素人にそんな事出来てたら、この世の人間がいなくなる。やっぱり幽体離脱の生霊? しかしそうなるとおかしな所が出て来る。


「もしも私を恨んでる女子の仕業だったとして、仁王まで狙うのはおかしい?」

「…………」

「あの幽霊だかが出てきたタイミングからいって、頭痛もアレの仕業でしょ? 2人揃って頭痛なんてありえないもん」

「まぁのう」

「仁王ファンの仕業なら仁王に被害が行く事をするとは思えないし、確実に私だけを狙ってくるはず」

「となると、ファンの女どもじゃない」

「よね?」

「ああ」


んー、恨みとなるとそれぐらいしか浮かばないし、他に原因も解らない。結局は振り出しに戻ってしまった。しかし早く原因を突き止めないと、真田の時の二の舞になりかねない。あんなのが自分の部屋にもう一度出てみろ。耐えられない。何か、何かないだろうか。しかし考えれば考えるほど頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。全然纏まらない。すると私と同じように座り込んでいた仁王が立ち上がる。


「こうなったら、うちの参謀しかいないのう」

「…参謀?」

「柳じゃよ。情報がまったくない今、頼れるのは柳じゃ。情報がないなら掴めばいい。……これで終わりとは思えんしのう」


柳か。学年主席で教師からの信頼も厚い。テニスではその頭脳を生かして、データテニス、というのをやっているらしい。よくわからんが。でもテニス部ファンの友達が、柳は歩く辞書だとかそんな事を言っていた気がする(それは本当にファンなのか?)。なんでも知っていて、むしろ知らない事なんてないのではないだろうか、とまで言っていたのを覚えている。どもまでが本当でどこからが嘘なのかは知らないが、仁王がここまで言うくらいなのだ。きっと本当に情報収集に長けているのだろう。もちろんこれ以上テニス部に関わるのはごめんだ。しかし真田が女の子の幽霊に憑りつかれ、私まで狙われた時に丸井が言っていた。命が懸かっているのに目立ちたくないから関わりたくない、なんて言ってられない状況だ。それが今だ。仁王が柳に相談したとして、それで私まで助かるなら安いもんだ。私は柳生や丸井から情報を貰い、私も何か解り次第そちらに情報を渡せばいいのだ。仕方ない。丸井の着拒を解除して、2人に連絡をしよう。今はそれが最善。





そうしてちょうどよく鳴り響いた5時間目終了のチャイムを合図に、仁王は柳を頼りに、私は6時間目の授業を受けに保健室を後にするのだった。










方言が似非
(2014/02/15)



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