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あと八十三本...「かくれんぼ」




鞄を肩にかけ両手で纏め終わったプリントを持つ。後ろで教室の扉を閉める音が聞こえた。そして横に桑原が並ぶ。その両手には私よりも明らかに多いプリントが乗っている。こういう事をなんの嫌味もなくさらりと出来る事が、この男が女の子たちに騒がれる所以なのだろう。しかし今、その顔は青白く今にも倒れてしまいそうなほどに頼りない。若干、私との距離も近いように感じる。結局あの後は私が知らぬ存ぜぬで作業を続け、桑原が「はないちもんめ」を震えながら歌うという奇妙な光景があった。途中でどの子が欲しいか、という問いかけに知らん!、と返す事数回…。そしてその間に桑原の作業が進まない分、私がほとんどのプリントを纏め終えた。その頃には教室にいるという子供たちも満足したのかいなくなっており、動かなくなっていた桑原の足にも自由が戻った。それ幸いと私たちは急いで荷物と作業を終えたプリントを抱え教室を出たのである。


「お、おい」

「…なに?」

「……教室にいたあいつら…」

「………」

「俺に、憑りついたりして、ないよ、な…?」


そう真っ青な顔で桑原は私に問いかける。


「…いや、私は見えないし。いなくなったんなら平気じゃん?」

「そうだけどよ…。こんなの初めてだし、また出てくるかもしれねぇし…」

「………」

「だから無言!! 無言やめろって!!」


騒ぐ桑原に溜息を吐き、職員室までの道のりを急ぐ。桑原の言っている事は分かる。何故あんなものが出たのか、何故桑原にだけ見えたのか、本当にあれだけで終わりだったのか…。それが分らないからこそ本当に消えていなくなったのかに疑問が残る。もしかしたら自分の後ろにいるのかもしれない、ついて来ているのかもしれない、どこかで見ているのかもしれない、そう考えると寒気がする。そしてその寒気がただの寒気ではない事に気づく。本当なら思い出したくもないし、二度と体験したくないあの感覚。本当に、その場にナニかがいる時は分かるのだ。背筋が凍りつくような感覚。そう、先ほどまではまったく感じなかったこの感覚には覚えがあるのだ。科学室、自分の部屋、廊下で感じたあの異様な感覚。


「…なぁ、っ、朝岡……」

「…早く歩いてよ」

「……ぉ、おい、…おい! おかしいって! なんだよ、これ!!」

「……早く歩いて」


桑原も気づいたのだろう。誰かが背後に迫ってきているようなこの感覚。そう、誰かが迫ってきている。振り返らなくったって分かる。緊張で声が強張る。隣の桑原に至っては先ほど教室にいた子供を見ているからか、より一層焦りが募っているようだ。しかしこんな所で止まってしまっていてはそれこそ何が起こるかわからない。私は両手で抱えていたプリントをなんとか左手だけで抱え直し、右手で隣にいる桑原の袖を掴んだ。そしてそのまま先ほどよりも早足で進む。1人でこのまま切り抜けたとして、この先に何がいるか分らない。それなら桑原がいれば私ではなく先ほど子供の幽霊を見えた桑原に行くかもしれない。そう考えての行動だ。すると私に引っ張られていた桑原は私と同じようにプリントを片手で抱え直し、私が袖を掴んでいた右手を桑原の左手が掴んだ。先ほどよりも歩くスピードが上がり、既に走っている状態だ。今も顔色は悪いが少しだけ持ち直したみたいだ。このまま人がいる職員室まで行けばなんとかなるかもしれない。そう言葉を発しようとした所である異変に気付く。


「ねぇ! なんか聞こえない!?」


前を走っている桑原に問いかける。その言葉に少しだけ走るスピードが落ちた。


「そ、そういう事、言うなよ!!」

「だって、本当に、」

「…、ぎは、つぎは、かく、れんぼ、だね……」


私の言葉に被せるように男の子の声が微かに聞こえた。それと同時に体中が冷たくなったかのように感じた。気持ち悪くてこの異様な感覚に押し潰されそうになり、咄嗟に足を止めてしまった。前を走っていた桑原も同じように足が止まる。夕日の赤が廊下と私たちを赤く染め、それだけで恐怖が倍増したように思えた。遠くからは部活に励んでいるであろう生徒の声が聞こえるが、校舎の中はとても静かだ。私たち2人以外には誰もいないのではないかと錯覚する。私の手首を掴んでいる桑原の手が冷たい。きっと私も同じだろう。自分の心臓の音が今にも聞こえてきそうなほどの緊張感である。ここに居てはいけないと分かっているのに足が動かない。分かるのは先ほどよりもあの異様な感じが近づいて来ている、という事だけだ。少しずつ、少しずつ、私たちの恐怖を煽るかのように近づいて来るのだ。足音も、声も聞こえていないけれど、分かるのだ。


「…………」

「…………」


お互いに前だけを見据える。絶対に振り返ってはいけない。すると私たちが先ほどまで降りようとしていた前方の階段から足音が聞こえてくる。誰か用事のある教師か生徒かもしれない! しかしそう思ったのは一瞬だった。それと一緒に子供の笑い声も聞こえてきた。そこからは早かった。その一瞬後に、同時に私と桑原は走り出した。各階には廊下の左右と中央に階段がある。先ほどまでいたのは階段中央、そのためそこをナニかが上りきる前に急いで駆け抜け、廊下端の階段を目指す。先ほどよりもあの異様な感覚が増えたように感じる。もう声を出す気力も余裕も残っていない。私はほとんど足の速い桑原に引っ張られているようなものだ。そのまま階段を駆け下り、廊下中央付近にある職員室へと急いだ。迫りくる笑い声、まるで本当に鬼に見つからないように隠れ場所を探しているみたいだ。少し、あと少し、職員室はすぐそこ、




桑原が職員室の扉の取っ手を掴み、そのまま右にスライドさせた。








「うわっ! びっくりするなー。そんなに急いで来たのかー?」


そう言ってちょうど扉付近にいた英語の教師は驚きを見せた後、すぐに顔を笑みにかえた。一瞬だけ職員室中の視線を浴びたがそれも直ぐに戻る。私たち2人はそのいつもと変わらない日常に体中の力が抜けた。隣の桑原は掴んでいた手首を離し、深い溜息をつきながら扉に寄りかかりそのままずるずると座り込んでしまった。私もいまだに膝が震えているような気がして、壁を支えにして立ち同じように溜息をついた。そんな私たちを不思議そうに見る英語教師。今はとりあえずどんなふうに見えてもいいから少しだけ休ませて欲しい。しかしそんな願いも虚しく目の前の教師は両手を差し出し私たちが持っているプリントをよこせ、と催促してくる。それを見ながらもう一度溜息をつき、手に持っているプリントを差し出した。同じように桑原もプリントを持っている方の腕を教師に向け持ち上げる。それを受け取った目の前の教師は満足そうに笑い礼を言いながら気を付けて帰れよ、とそう一言残し自分のデスクへと戻って行った。


「…………」

「…………」


私たちはお互いに顔を見合わせた。そのまま体は職員室に置いたまま顔だけをそろりと廊下に出してみる。左右確認をした後もう一度顔を見合わせた。……あの嫌な感じはなくなって、いる。声も出せなくなるほど、全身が凍りつくかのようなあの異様な感覚…それが嘘のようにない。


「…ずっとここにいる訳には、いかねぇよな…」

「…うん」


そう、私たちはここから出て下駄箱で靴に履き替え、昇降口を潜り抜けなければいけない。もちろん昇降口は職員室と同じ1階にあるわけでそう離れているわけじゃない。それでも先ほどの恐怖を思い出すと1歩が進みだせない。しかしこうして職員室の扉前でぐだぐだやっていても何も解決しないのだ。こうなったら当たって砕けろだ。私はそう意気込むと隣にいた桑原の袖を掴んだ。そのまま一気に下駄箱に向けて走り出した。


「ぅわっ!」


突然の衝撃に桑原が声を上げる。職員室の扉を閉め忘れたが致し方ない。最初は私が引っ張っているだけだったが、桑原が走るスピードを上げたため途中で2列になった。すると物の数秒で下駄箱まで付く。そしてその場で足を止め、もう一度顔を見合わせた後に自分のクラスの下駄箱前に向かう。自分の出席番号が書いてある段からローファーを取り出し地面に置き、上履きを脱いで先ほど取り出した場所に入れた。そのままローファーを履いて桑原と合流した。呆気ないほどに職員室を抜けてからここまで何もなかった。桑原を引っ張ってきたのだって先ほどと同じように何かあった時用に標的がこいつになればいいな、と思い連れてきたのだ。当たって砕けろ、とは思ったが私が砕ける気はまったくない。砕けるならば桑原だけだ。しかし予想に反して何も起きなかった。それならばそれでいい。お互いにほっと一安心した瞬間、まるで背中に氷を入れられたかのような感覚に陥った。





「ざーんねん……同じ顔に、してあげたかったのにぃ……」





耳元で囁かれた声。



思考はそこでストップした。



一瞬だけ硬直した体は次の瞬間、全速力で昇降口を潜り抜け正門へと駆け抜けた。部活に行かなければいけない桑原が私と同じように正門に向かっていたのだから、お互いに相当混乱していたのだろう。そのままテニス部レギュラーである桑原と正門に立っているという事実に私が気付くまでお互いに立ち尽くしていた。










ジャッカル編終了
(2014/02/02)



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