雨はまだ、止まないし。
どころか、ますます強く屋根を打ち付けてきて、煩いことこの上ない。
本当はすぐ帰るつもりだったのに、雨が降ってきたせいで土方さんの部屋に案内されて、雨が止まないせいで小一時間はこの密室にて足止めをくらっている。
予定は狂うし雨は煩いし土方だし、ホント苛々する。
苛々して、もうどうしようもないほど苛々して、だから嫌がらせでもしてやろうかと、俺は久しぶりに口を開いた。
「土方さん」
「ん?」
「…あんた、」
キス魔なんですってね
瞬間、サッと幕をおろしたように冷たくなった空気に、しまったと思うより先に驚いて硬直してしまった。
(…え?地雷?)
言った瞬間目の奥を暗くして黙りこんだ土方さんを横目に、気まずい沈黙を誤魔化そうともうぬるくなったココアを喉に押し込む。
今までの嫌がらせの言葉に比べれば、何てことないものなのに。というか、嫌がらせとしてカウントされるかどうかも微妙な言葉だ。
だって俺は、事実を言っただけ。
「ぁー…」
何か言わなくてはと思ってとりあえず発音してみると、それで現実に引き戻されたかのように土方さんがやっと口をきいた。
「それ、もうお前まで伝わるほど有名なの」
先の沈黙が嘘のようにコーヒーを啜りながら話題をふってくる。
俺は暖房器具の送り出す暖かい空気をやっと感じながら、取って付けたような笑顔を向けてその話題を受ける。敢えて意図的な笑顔をくっつけて。
「自覚ないんで?それはそれで不憫ですねィ」
「自覚あったらただのナルシストだろ」
「無さすぎじゃねーの」
クスクスと笑いながら、うーんと背伸びをして、ベッドに上半身をうつ伏せる。元々ベッドに寄りかかって床に座っていたから、それは容易なことだった。
「寝んの?」
「…寝ねェ」
「あ、そ」
そう答えたものの、実際ベッドに顔をつけてみるとどうしても眠気がわいてきて、ウトウトしながら、何となく思い付いた言葉を問うてみた。
眠くて、意識が朦朧としていたのが悪かったと思う。
こんなこと、聞いてしまうなんて。
「土方さんは…忘れらんないキスってある?」
ブッと何かを吹き出す音が聞こえて(多分土方さんがコーヒーを吹いたんだろう)、バタバタと部屋を行ったり来たりするのを聞きながら(多分土方さんがタオルかなにかでそれを拭いたんだろう)、俺は靄がかかった頭で自分の言った言葉を反芻していた。
あれ、何でこんなこときいてんだろ?
そこまで思考が行き着いたところで、土方さんがゆっくり俺を覗きこんできた。
眠かったけれど、俺はしっかり目を開いてその視線を受けた。
「あ、何だ起きてたのかよ」
「…あんた馬鹿だろ」
「さっき自分が何言ったか覚えてるか?」
「…俺はンなに馬鹿じゃありやせんよ」
「……お前は?」
「は?」
「…お前は、あるの?忘れられない…」
キス、と言うことは無くて、そのまま生暖かい沈黙が流れる。
俺はまた伸びをして、今度はベッドに腰かけると、足をプラプラ遊ばせながら、視線はその足に向けながら、あるよ、と短く言った。
なぜか土方さんが息をのんだ。
まぁあるとは言ってもカナダで挨拶としてされたキスだけど。しかも頬にだけど。
でもその時俺は確かに驚いたし(当たり前だ、出会っていきなりされたら日本人なら誰だって驚く)、きっと一生忘れられないだろうし。うん。
だって土方さんはたくさんキスしたことがあるのに、俺は一回もないだなんて、悔しくて言えたもんじゃない。
「…誰と、」
「ンなことどうでもいいじゃないですかィ!俺はあんたに聞いてんでさァ!」
バレては堪ったもんじゃないと焦ってそう促すと、土方さんはゆるゆると目を反らして、これまた短く、あるよ、と言った。
ふうん、と興味なさそうに返しながら、実際俺は、
どうしようもないくらいに心が乱されていた。
多分土方さんが、あんまり悲しそうに言うからだ。
あんまり切なそうに、目を伏せるからだ。
多分、多分。
俺は、少しだけ、悲しかった。
どうして、なんて知らない。
「…総悟?っ総悟!」
「へ…?」
「何、お前、何で…どっか痛てぇのか?どうした?」
「ど…こも、なんともありやせん」
「じゃあ何で…」
言いながら土方さんが、優しく俺の頬をなぞった。
そうされて初めて。
自分が泣いていたことに気付いた。
「う、わ…っ見んな土方!」
「見んなってお前、」
「空気読め!」
「知るか!」
高校生にもなって幼なじみに涙を見せるとは、なんたる不覚。だから必死に腕で顔を隠すのに、土方さんはなぜか躍起になってそれを引き剥がそうとする。
「っ、」
悲しいかな、体格に劣る俺は両腕を掴まれて、もうどうしようもなかった。
せめて視界をうめる忌々しい顔を閉め出そうとギュッと目を閉じた。
閉じてから思った。
これ、この状況で目を瞑るって、それって、まるで
何かを、ねだってるみたいじゃない?