ピンポーン
「……」
迂濶だった。
借りたものはその日の内に返しておくべきだった。
ピンポーン
「…土方しね」
「…何してんだ、テメーは」
「ひっ!?」
叩かれたように振り向けば、私服姿の土方さん。
驚いたのと、何故だか恥ずかしかったので、二の句が告げなくなって。
だのに言いたいことは山ほどあって、結局、足元にあった石を蹴りつけた。失言とは、大抵こんなメカニズムで生まれるものである。
「あんた、字、以外とキレーだったんですね」
瞬間、キョトンとした表情を作った土方さんを見て、どうしようもなく顔が熱くなって。
どうしようもなくなったから、とりあえず、返すつもりだった土方さんのノートを握ってみた。
(…っ、煙草くせぇ…)
部屋に入ると同時に鼻をツン、とさすのは、この部屋の主人が吸っているのだろう煙草の匂い。
いつから吸うようになったんだろう、そう思って、俺の知らないあの人の割合が、また増えた気がして、今度は鼻の奥の方がツン、とした。
借りていた英語のノートを昨日返しそびれて、それで、この土方家を訪問。
返したらすぐに帰ろうと思っていたのに。
秋の空は変わりやすいもので、さっきまでももちろん曇ってはいたけれど、こんな豪雨になるなんて。
バケツをひっくり返したような雨に、土方さんが一言。
『どうせだから、上がってくか?』
つい頷いてしまった自分が恨めしい。
(…何でもなさそうに言いやがって)
今度は、心が、ツキン、と。
先に部屋にいってろ、言われて部屋に来てみたものの、何をしていいやら。
とりあえずベッドに腰かけて、馬鹿みたいに足をプラプラさせてみたりして。
窓を眺めずとも聞こえてくる雨音にため息をはいた時、やっとドアが開いた。
「おせーよ土方のくせに」
「くせにって何だよ!大体誰のために……」
「…」
「…」
「…何突っ立ってんです?小指でも打ったんですかィ?」
「…ぁー、」
マグカップやらお菓子やらをのせたお盆を持って、入り口に突っ立つ姿はわりとシュールで、俺は立ち上がると、クスクス笑いながらお盆を奪い取る。
マグカップからは甘い香り。
他にあるのはポッキーやらマフィンやら、甘ったるい菓子類。
俺は、この人が甘いものに全く興味の無いことを知っている。
証拠に、二つのマグカップの片方はコーヒー。
だからこれは、俺のものだ。
俺のためのものだ。
ちょうど部屋の真ん中に位置するテーブルにそのお盆を置くと、自分もテーブルに向かって座る。
そうして迷わずココアが入った方のマグカップを取った。
「…あんた、ブラック飲めんの?」
「あぁ?…ああ、まぁ、」
「うわウゼー」
「ぃや、何でだよ!」
聞こえてくるのは先程より強くなったらしい雨音。
その音になぜかホッとして、次の瞬間慌ててそれを否定する。
(ない、ないないない!!)
雨が降っているうちは、土方さんと一緒にいられる、だなんて。
全くどこの乙女だ。
マグカップを両手で持ち上げながら、ちろり、土方さんを見る。
二人とも座っているのに、なぜか見上げなければいけない自分に嫌気がさして。
じっ、と暫く見つめた後、やっぱり無理だよなぁと視線を落とした。
そうだ雨だ
雨の音があんまり煩いせいだ
頭がぐらぐらして、いうことをきかない
ここで今キスしたら、彼はどんな顔をするのだろう。
なんて、頭が沸いたようなことを考えてしまうのは。
(…でも…ダメ、だ…)
身長差が邪魔で、自ら掲げた条件が邪魔で。
あぁ、なんて不毛。
不意打ちキスじゃ、奪えない。
その唇も、
あなたの心も。