「総悟、帰んぞ」
「…へーい」
あの人が声を発した瞬間、ざわついていた教室が、水を打ったように静かになる。
俺が土方さんの契約恋人になってから、数日がたった。理由からして、建前だけの恋人ごっこかと思いきや、俺たちは立派に「恋人」をしている。
元々家が近かったのも手伝って毎朝一緒に登校し、お昼は一緒に食べ。
でも、ああ、迂濶だった。
「恋人」には、一緒に帰るというイベントもあったのか。
でも昨日まではそのイベントをすっぽかしていたから、すっかり忘れていて、だから驚いてしまって、それが少し悔しい。
教室内の顔という顔が俺と土方さんを交互に見ているのをひしひしと感じながら、鞄を乱暴にひっつかむと、そのままの勢いで歩き出す。
(…まいったな…)
この高校に編入してきてから、まだ1ヶ月もたっていない。できるだけ波風立てずに過ごしたいと思っていた、のに。
全部、あの人の、土方さんのせい。
あまりの視線に頬が熱くなる。
永遠に続くかと思われた出口までの道のりは、唐突に終わりをつげた。
(冗談じゃねぇ)
くしゃり、かき混ぜられた髪に、悲鳴とも歓声とも怒号ともつかない音が教室を満たす。
いよいよ耐えられなくなった俺は、土方さんを半ば引きずるようにして駆け出した。
波風立てずに過ごしたいと思っていた、のに。
冗談じゃない。
この状況に、不思議なほど魅せられている自分がいる。
ホント、冗談じゃない。
「うっ…寒い!てめー土方ァ!」
「何がだよ!何でそこで俺!?」
「そうそう、その調子で気温も上げて下せェ。ついでに死ね土方」
「ふざけろよォォ!何がついでだ!」
そこで少し声をおとして、日本の秋は無駄に寒いんでさァ、と言えば、納得したのか静かになった。
馬鹿じゃねぇの。
どう考えてもカナダの方が寒いだろうに。
青い空、灰色の地面、コンビニの明かり。
4年ぶりの日本は4年前とちっとも変わっていなくて、だのに隣の男はしっかり変わっていて。
「…カナダ、どうだった」
「寒かった」
「…」
「…」
「…え、終わり?」
「他に何があるってんですかィ」
先程土方さんをパシらせて手に入れたココアをすすりながら、変わったなぁ、と横を歩く彼をチロリと見る。
俺が最後に彼を見たのは、小学校の卒業式だから、変わっていて当たり前なのだけれど。
もちろん、見た目だけではなく。
『オーロラが見たい』
両親のその一言で、カナダ行きが決まった俺に、土方さんは確かに『待ってる』と言った。俺が帰ってくるのを、待っていると。
それを心の支えに帰ってきたのに、こんなのって無いよなぁ、と重ね重ね思う。
『キス魔ですから』
こんなのって、ありかよ。
ココアを飲みほせば、ちょうど良くゴミ箱があったので、缶を放り投げる。
カラン、箱の底にあたった缶が音をたてると同時に、くるり、振り向いて土方さんの真正面に立った。
「あのさ、」
「ん?」
身長差のため、少し見上げながら、ニコリと笑って一言。
「キスは、無しね。それ以外だったら、とことんコイビトしてやりやすから」
「…うん」
「それだけ」
「…ん、」
恋人ごっこに付き合うくらい、なんてことない。
キスさえ封じてしまえば、ただの仲の良い友達だ。
自分の思考回路を誇らしく思い、しかして次の瞬間、くしゃり、髪を撫でられて泣きそうになる。
ちがうちがう
俺がそう言ったのは本当は
そうでも言わないと、自分が奪われてしまいそうだったから。
この関係に、チョコレートみたいな甘さはいらない。
時々、今日みたいにココアを買ってもらえればいい。
チョコより甘いキスなんて、いらない。