「こんなことお前にしか頼めねーからさ…駄目か?」
「…はぁ、」

確かに、そんなこと、俺くらいにしか頼めないだろう。けど、それにしたって。

くらくら、する。目眩だろうか。いや、違う。明らかに非日常なのに何食わぬ顔で日常に割り込んできて、そうしてそれが、日常になろうとしている。
危ない。駄目だ。断らなければ。落ち着いて考えれば分かることだ、こんなのって、間違っているだろう?
そう本能が警告している。そうして目眩に似た症状を引き起こしている。

半ば操られるようにして首を横にふろうとしたら、不意に目が合った。
漆黒の瞳が体を射る。

(…っ、無理、)

そんな目で、まっすぐに見つめられて、断れるわけが、ない。
ひどい野郎だ、逃げ道なんて初めから塞がれていた。

「…いいですぜ」


こうして俺は、土方さんの「コイビト」になった。



「…なぁ、山崎ィ…」
「はい、何ですか?」

時は秋、詳細を述べるとすれば昼休み。
じっと時計を睨むこと数分、授業終了を知らせるベルの音に、皆が息を吹き返したように雑談をし始めた、そんな時。
俺はかねてより気になっていた事の真相を、隣の席の山崎に尋ねていた。

「…この学校に『ヒジカタ』って何人いんの?」
「は?」
「いや、だから、」

土方って名字のやつは何人いるんでィ?
そう繰り返せば、山崎はますます質問の意図を逃がしたらしい、口を開けたままポカンとしている。

馬鹿だなぁ、そのままの意味なのに。

質問とはベースに何かしらの知識があって、しかしそれに照らし合わせても正答が導き出せない時にするものだ。
俺は「ヒジカタ」という名字は珍しいもので、そしてこの学校には「土方十四郎」という男がいることを知っている。
そいつ以外に「ヒジカタ」を名字に持つ人はいないだろうということも知っている。

しかし。

そう、しかし、ここで矛盾が生じるのだ。

1週間前、クラスの女子が「ヒジカタ君にキスしてもらったの!」と興奮した様子で熱弁を振るっているのを見た。
その2日後、違うクラスの女子が同様のことを熱く語っているのを見た。
その翌日……いや、もうここまで説明すれば分かるだろう。

おかしいじゃないか、こんなにたくさんの人が一様に、ヒジカタとキスしたと語る、だなんて。
ヒジカタが1人ではなく、数人いるならばまだ説明がつくものの。

そう山崎に言えば、しかしてやつは、なんだ、と言わんばかりに直ぐ答えを寄越した。

「ああ、だってあの人、キス魔ですから」
「……」

マジでか。




その土方十四郎が、である。
山崎の返答に思考がストップした俺を、狙ったように呼び出して一言、「付き合ってくれないか」。
理由は簡単である。
言い方は悪いかもしれないが、早く言えば、カモフラージュ。大学受験につき、女とのいざこざは避けたい、と。

俺と彼は幼稚園からの幼なじみで、途中数年のブランクがあるものの、いわゆる家族みたいなもので、兄弟みたいなもので、悪友で。

だから俺くらいにしか頼めないだろう事は分かっている。
分かっている。
けど、こんなのって、絶対、駄目に決まっているのに。

大体にして、俺は男だ。
それを告げれば、その方がカモフラージュとしては上出来だ、と返される。
もはや退路はない、目を伏せて承諾すれば、特に嬉しくもなさそうに、ありがとう、と言って彼は教室に戻って。
だのに俺は足の動かし方を忘たみたいに突っ立って、馬鹿みたいに、小さくなっていく彼の背中を眺めて。

(…背、また伸びた…)

4年ぶりに見る背中に燻る感情を押さえ込みながら、ずるり、壁を伝って座り込む。



『キス魔ですから』

放った山崎の声だけが、耳に残った。


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