ゆるり、視線を上げれば、黒い旗が風になびいているような、そんな空。

曇天。


こりゃ一雨来そうだと覚悟を決めて、慣れた仕草でズボンのポケットから煙草を取り出す。
それをくわえて、火をつけて、吸って。
これからどうしようと視線を巡らせば、思わず、煙草を取り落とした。

灰色の中に、ポツリ、蜂蜜色。





ピンポーン

「……」

ただいま、本日何度目かの挫折感を味わっている。
切羽詰まって、苛立ち始めた心境にはひどく不似合いな、間抜けな音。
つまるところ、インターホン。

(…やっぱ、一回帰るかな…)

そう思い、いやいやと頭を振る。
その自問自答も、本日何度目かの。

はぁ、と嘆息して、ゆるりと視線を上げる。
「沖田」と書かれた表札を睨むと、もはや数えることさえ億劫になりつつある行為を、再び。

ピンポーン

出ないだろうことは、もう分かっている。というか、中に人がいるのかどうかすら疑問だ。

それでも。

あの一言には、俺にこの行為を続けさせるのに十分な価値があって、逆らえない何かがあったから。
いっそ、罪なほど。


「好きだよ」

言ってはみたものの、その瞬間ハッと息をつめる相手を電話越しに感じて、一気に現実に引き戻された。
引き戻された、ものの、頭をよぎることといったら、あーやっちまったな、と、いやに諦めの入ったもので。
いや、諦め、というよりは、肝が据わった、とでも言うのかもしれない。
我ながら、なかなか肝の据わりどころがかわっているらしい。

「……へ、ぇ、…は?」

対照的に、やけに乱れる相手。
確かに驚くだろうなと嘆息、しかして助け船を出してやる気もなく。

「だから、俺は、総悟が、好きだよって」

さらに追い討ち。
半ばやけくそ、だから相手のことなんて二の次で、今この場で全て言ってしまわなければいけない気がした。

「……ッ、」

好きだ、と再び言えば、さらに息をつめる総悟。
見えずとも、ただでもでかい目を、さらに見開いて固まっている姿が思い浮かぶ。

「……い…」

三十秒、くらい経っただろうか。
一時間も経ったような、一瞬だったような、そんな間が空いた後、ふいに総悟がポツリ。

空気に溶け込まんとするそれは、電話越しでは尚更聞こえなくて、聞き返そう、と、して、

「…逢いたい…」


その時、俺は、何と返したのだろう。

何も言ってないような、言ったような、そもそも電話を切ったのかどうかすら、覚えていない。

気付いたら、外に飛び出していて。

だって、仕方がない、だろう?

あんな、切なげに、絞り出すように、必死に、言ってくる、なんて。

ホント、反則。


(…あー、場所くらい指定するんだった…)

そう思いながら、雨が降るまで秒読みの空を眺める。
四階建ての、マンションの屋上から。

結局あの後も何度かインターホンにアタックをかけたが、中からは物音さえしなくて。
ふいに思い付いて電気メーターを見れば、動いていなくて、やはり中に人はいなかったのか、と肩を落とした。(人がいれば電気は使うだろうし、電気を使えば電気メーターが回るはずだ)

それから、仕方はなしに探し始めた、が、しかし。
俺の中の総悟のデータは、数年前のもので、それを元に探しても、見つかるはずもなく。

そうして、幼い頃、冒険気分でよく遊びに来たこの屋上で、途方にくれていたのだ。

もどかしい。
俺と総悟の間に横たわる、数年間のブランクが。

ひどく、もどかしい。


とりあえず一服して落ち着こう、と既に逃げの体勢に入ると、ズボンのポケットに手をつっこむ。
そうして、煙草を取り出そうとして、同じくポケットに入っていた物を引っ張り出してしまった。

「……」

煙草をくわえて、火をつけ、煙を肺に送り込みながら、それをじっと見つめる。
全体に銀色を示すそれは、今回の事件の発端、デパートで買ったそれ。

まだ、終わらせるわけには。

そう、いくぶんやる気を貰うと、それはポケットにしまい、煙草を一旦口から離し、屋上の端に向かって歩きだす。
すぐに目的地にたどり着いて、フェンスに寄りかかると、何気無く視線を、地面に向けた。

(…ぁ、)

ポトリ、煙草を落とせば、ジュッと音がして、火が消えた。
雨が降りだしたからだろう。

いよいよ世界が灰色に染まり始めて、しかしてその中に、ポツリ。

マンションのすぐ下、公園のブランコ。
蜂蜜色が、一つ。


一瞬頭の中が白んで、その後すぐに地面を蹴った。

総悟、

階段を滑るように降りながら、頭を占めるのは彼の名だけで。

ただひたすら、総悟を求めた。


最後は何段かとばして着地、転ばなかったことに内心ホッとしながら、外に飛び出した。

夕方は日が落ちるのが早い。
雨がさらに強まったこともあってか、外はもう、暗くなってきていて。

マンションからすぐの所に、その公園はあって、そこまでは走っていったものの、入り口で、思わず立ち止まった。

ブランコに腰かけて、足元とも中空ともつかない所を見つめている。
太陽の光を吸ったようだと思っていた彼の蜂蜜色の髪は、雨に濡れて、今や顔に影を落としていて。

静かに目の前まで歩いていくと、総悟、そう声をかけようとしたのだが。
前髪の間から僅かに見えた目が、いやに必死で、だから何も言えなくなる。

総悟は何も言わない。
俺も、何も言えない。

二人で雨の中、沈黙で溢れた空間を共有していると、

「…頭、冷えやした?」

先に話し出したのは総悟だった。
しかし言葉の意味が分からずに沈黙を保っていると、それを何ととったのか、さらに続ける。

「あんた、今日おかしいですぜ?時間おいて、頭冷えたでしょう?」
「…は?お前、何が、」
「馬鹿じゃねぇの、あんなに必死に弁護しなくったって。ねぇ、俺たちは幼なじみじゃねーですか。いざこざがあったって、寝れば元通りになる関係だってのに。……勢いで馬鹿言っちゃって」
「…ッ、俺は!勢いで言ったつもりなんて…!」
「嘘つきなせェ」

にへら、と笑ってくる総悟とは裏腹に、やっとこいつの言わんとすることが分かった俺は、ひどく苛ついていた。

つまり、何だ。
俺が勢いで総悟に告白してしまって、家にいなかったのは俺が冷静になってその告白を後悔する時間を確保するためで?

馬鹿は、お前だ。
馬鹿野郎。

俺が、どんな気持ちで、

「……総悟、」

言って無理矢理手渡すのは、リングのついたネックレス。
デパートで買った、アレだ。

「なっ!あんた、だから俺はっ、」
「お前がつけていいと思ったらつけろ、それから、」

怒りか何か、柳眉を寄せている総悟の胸ぐらをつかんで、無理矢理に立たせる。
そして、

「…嫌だったら本気で抵抗しろ。本気で抵抗したら、止めてやる」
「だから!あんた何言っ…ッ、ん、…んんっ…!?」

やはり、無理矢理。
強引に、唇を奪った。

「…んっ、ッ、んー」

両腕をガッチリ拘束して、口内を荒らす。
口を閉じる時間も与えず、早々に舌を侵入させれば、ビクリ跳ねる身体。
それにいくぶん気をよくして、呼吸する間もろくに与えずに、唇を、口内を貪る。

雨の音が煩くて、時間感覚も、平衡感覚も、奪われていく。

「……だから、言ってんだろ、」

好きだ、と、やっと唇を解放してすぐに耳元で告げれば、力が入らなくなったのか寄りかかってくる体が、ピクリと反応した。

いまだに荒い息を整えられないでいる総悟の、腰と頭に手を回して、ずいぶん長い間、抱きしめていたような気がする。
ふいに、総悟の肩が震えているのに気付いて、驚いて体を離そうとしたら、逆に首に手を回されて抱きつかれた。

「土方さん…っ、土方、さ…っ!」
「…総悟?」

土方さん、土方さん、と、泣きながら抱きついてくる総悟にわりと動揺しながらも、拒絶されなかったことにホッとする。

「あんたっ、ふざけんな、よ…ッ!女、とっかえひっかえ、し、やがっ…」
「ぁー、…悪かった……その、でもな、」

どんなやつと付き合ってもお前が忘れられなかったよ、と答えれば、阿呆と頭を殴られた。

既に泣き止みつつある総悟の顔を覗きこむと、真っ赤に染まった頬と、潤んだ目が見えて、思わずこちらも赤面。
何見てんだと再び殴られ、あげく、スタスタと歩き始めたものだから、つまり置いていかれた。

「…そ、総悟!」
「…何ですかィ」
「いや、何って、…」

返事は?とはさすがに聞けず、総悟の背を見つめながら立ち尽くしていると。

「……つ、つっ次は、こんな煙草くさいキスは御免ですぜ」

しどろもどろにそう言って、再び早歩きで遠ざかっていく総悟の背を見ながら、これはそういうことなのだろうか、と一人悩む。

しかして、先程無理矢理渡したお揃いのネックレスを、大切そうにポケットに入れたのが見えたから。

あり得ないくらい顔が緩むのを感じつつ、総悟の後ろ、彼に追い付くべく、駆け出した。


次は、そうだな、煙草とキスの間に飴でも入れようか、と浮かれたことを考えながら、浮かれずにいられるかとらしくない考えを採用した。

総悟の誕生日は、色んな意味で記念日になりそうだ。

キスの前の煙草くらい、我慢してやる。

だってこれは、わがままで意地っ張りな君から、

精一杯の

ささやかなお願い。


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