修学旅行編 1/2* の続き
幼なじみが恋人になる。
よく聞くフレーズだ。いたって一般的だ。別段世間様とずれているわけではない。
しかし、ここに「同姓」という要素を付け足したらどうだろう。そして、相手の想いも自分の想いも分からぬままに身体の関係を結んでしまったとあっては、一体何になるというのか。
(…セフレ…?)
セフレって何だ。
即座にセルフツッコミをして、何をしているんだと自分に呆れる。
まぁそれも仕方がないのかもしれない。生まれて初めてとまでは言わないが、少なくとも近年まれに見る高熱に襲われているのだから。
修学旅行が終わって、二日ほど代休が入っている。本来なら、丸々二日遊んでいたのに。
今の状況はなんだ、家に着くなり倒れて、焦った母親にベッドに押し込まれ、高熱に頭を侵食され。
医者に行こうかと言われたが、丁重にお断りしておいた。だって理由は明白。風邪やら何やらのウイルスではない。
旅行の疲れ、と言っておいた。嘘をついたわけではない。本当に旅行の疲れだ。最終日前夜に、幼なじみに襲われたせいだ。
腰は痛いし声は掠れているし、触れられた皮膚がじわりじわりと羞恥を煽るしで、堪ったものじゃない。
全部、土方さんのせいだ。
ほんのちょっとでも気を緩めると何故だか涙が溢れ出てきそうになるのも、人の体温が恋しくてたまらないのも。
土方さんのせいだ。
全部全部、土方さんのせいだ。
「総ちゃん」
自室のドアが控えめに開けられて、総悟の母親が名前を呼んだ。
ゆっくりそちらに視線を向けると、彼女はドアの隙間から覗くようにしてこちらを見ていた。変な人だ、堂々と入ってくればいいのに。
パチリ、目が合うと、ちょっとホッとしたように口許を緩め、申し訳なさそうに話し始めた。
「ごめんね総ちゃん、お母さん仕事に行くわね、できるだけ急いで帰ってくるわね」
「…だいじょ、ぶ」
返事をして笑ってみせれば、彼女は泣き出しそうに顔を歪めて、総ちゃぁぁん、といやに頼りない声をあげた。
心配性だなぁと苦笑しながら、それが少し嬉しい。
何とかその気持ちを抑えられたらしく、彼女は再びこちらを見つめた。
「具合が悪い総ちゃんを、一人にしておくわけには、いかないじゃない?お手伝いさん、頼んだの」
総悟の父親は少し前から海外に出張していて(昨日電話ごしに泣きつかれた。全く親バカも大概にして欲しい)、今から夕方まで、家に一人になる。
しかし、男子高校生にそんな……と言いかけた口は、その「お手伝いさん」を見た瞬間にその機能を忘れた。
「じゃっ、喧嘩なんかするんじゃないわよ、火の元には気を付けてね、総ちゃんのことよろしくね、」
十四郎、くん
早口に言い終えると、よっぽどギリギリだったのかバタバタと階段を降りる足音。
次いで、玄関のドアが閉まり、カチャリ、鍵が閉まる音。
密室。
しぃん、と空白に似た沈黙が、部屋の中を満たす。カーテンを閉めきっているから薄暗い部屋は、まるであの時のようで、総悟はいやな汗が背中を伝うのを感じた。
怖い。
土方なんぞにこんな感情を抱くとは夢にも思っていなかったけれど、どうやらあの一件は、わりと心に傷だったらしい。
廊下の方が明るいから、土方の顔は逆光で見えない。
見えないから余計怖くて、だから土方がのそりと腕をあげたときには、ピクンと反応してしまって。
それを見た土方は一瞬動きを止めると、ため息をしながらパチリ、電気をつけた。
「…まぶし、ぃ…んですが」
「……だってお前、暗いの、嫌だろ?」
嫌だろ?ときかれたのに、怖いだろ?と聞かれたような気がして、総悟はうつむいた。
(何で、こんなときには察してくれるのに、)
気まずい沈黙が、部屋の中を満たし始めたとき、唐突に土方が口を開いた。
「……その、…身体、やっぱキツいか?」
総悟はそのあまりの情けない響きにガバリ、体を起こしてベッドに座り込み、土方を睨むと、睨まれた方は気まずさマックスで目をそらす。
「熱、俺のせいだろ?」
「っ、あ、当たり前でさぁっ!」
カァッと頭に血が上るのを感じながら、自棄になって大声を出すと、反動で目眩に襲われた。そして前のめりになってしまったから、どうしようもなく。
(やべ、)
落ちる。
思って、目をつぶる、が、その体はすぐに土方に抱き留められた。煙草の臭いが鼻孔をくすぐる。
頭を彼の胸に押し付けるようにして、両腕はそれぞれ掴まれて。
(ちょっ…!)
ガバリ、押し返したのは土方。
総悟はそのいきなりの行動に驚いて見上げると、切羽詰まった表情の彼と目があった。
総悟はといえば、多分に真っ赤な顔をして、潤んだ目を向けていた。
土方はそっと手を離すと、ゆっくり総悟から遠退いた。
「…おばさんが、風呂に入れてくれって」
「ひっ一人で、」
「分かってる。着替え持って下に来い、用意してっから」
「う、うん…」
そして、土方は部屋から出ていった。
一度も、目を合わせなかった。
あの時のように、無理矢理にでも触れてこようとしなかった。
その事がなぜか、ふわふわの綿に押し潰されるように、苦しかった。
風呂から上がると、リビングには誰もいなかった。土方の一人くらい、ここで待ってくれたっていいじゃないかと思って、一体自分は触れて欲しいのか放っておいて欲しいのか、区別がつかなくなった。
大きめのスエットを引きずりながら、頭にタオルをのせて、わりと真剣に階段をのぼる。風呂に入っていくぶんすっきりしたといっても、熱はあるのだからやはり本調子ではない。
(うち、の階段…こんな、長かったっけ?)
全て登り終えたときには息をするのも苦しくて、暫く膝に手を当てて休む。
浅い呼吸を繰り返しながら、自室に入ろうとしたら、中から声が聞こえてきた。
『…だから悪かったって、』
(土方さん?)
なんとなく入るのに躊躇ってしまって、ドアの前に立ち尽くす。
多分、土方さんが誰かと電話している。
『あぁ?…ぁーはいはい、今度なんか奢ってやろうか?……いや、今日は無理だって』
聞いているうちに、総悟は胸の真ん中が冷えていくのが分かった。
ドアに手を当てて、ガリリと引っ掻く。土方は、気付かない。
俺を、犯したくせに
俺を、奪ったくせに
誰も触れたことのないこの身体に、一生消えない傷を、つけたくせに
手加減はしなかった。
右足をドアにあて、力の限り、蹴り開ける。いっそ、壊れればいいと思った。
「―っ!?」
大袈裟な音をたてて開いたドアを呆然と見る土方は、ベッド脇の壁に寄りかかっていた。総悟はそんな土方に気付かないふり見えないふりで、のそのそとベッドに潜る。すると、小さくため息を落とす音がして、プチリと電話の電源を切る音もして。
「…おい、総悟」
「いいです」
「ぃや、何がいいんだよ。髪乾かさないと、余計悪くなるぞ」
と、土方がかけ布団を捲ると、目に涙をたっぷりためた総悟に、力の限り頬を叩かれた。
叩かれた土方は、再び呆然として立ち尽くすしかない。
総悟は肩を震わせて怒りを露にし、ぐぃりと土方の胸ぐらを掴んで引き寄せた。
急な接近。
土方からすれば、堪ったもんじゃない。
「誰のせいでンなに具合悪くしてると思ってんでさぁ!このっ…強姦魔!!」
「っ、」
「ホント、も…わけわかんな…っ」
腰は鈍く痛むし、頭はガンガンするし、
何故だか胸まで痛いし、
あちこち痛くて気持ち悪くて、吐き気がする。
その怒りをあからさまにぶつけているのに、総悟はまるで優位に立っていなかった。
ハタハタ、と涙を溢しながら、土方にすがるようにも見える体勢に、すがられた当人は思わず抱きしめようとして、しかして思いとどまった。
『このっ…強姦魔!!』
土方の口が禍々しく歪む。
こう思われていることは、分かっていたのに。
どうしてこんなにも痛い。
「あんた、俺が、好きなんでしょう?」
震える問いに、土方は一瞬、呼吸の仕方を忘れた。
答えられる、はずもない。
総悟はうつむいているから、表情が見えない。分からない。何を、考えているのか。
響くのはお互いの浅い呼吸だけ、沈黙を守る土方に、総悟は短く笑うと、ボタッと手を離した。
「そ、か……」
ハハ、と笑うと、総悟は土方を見上げ、ニヤンと笑った。
笑って、こう問うた。
俺、ヨかったですかィ?と。
「は…?お前、何言って、」
「男に手ェ出してみたくなった?ただの好奇心?」
「だから、何…」
「俺、を、セフレにするつもり?」
髪をかきあげながら言った言葉、言い終わるや否や、その腕を痛いくらいに掴み上げられた。
ハッと顔を上げると、総悟の目に入ったのは、キレる寸前の土方。
「…俺は、言ったか?」
「痛、いよ、土方さ…」
「一度でも言ったか?そんな、お前を…っ」
「っ、」
その時、追いつめられたかのように見えた総悟が、フッと笑って言うから。
土方はたまらずに、その細い体をベッドに押し倒した。
「やっと、俺に触れましたね」
「っ、ふ…」
「ん、んっ…んんっ…!」
頬に手をそえて唇を奪い、その柔らかさにこちらが奪われそうになりながら、土方は総悟のそれを貪った。
一度軽いリップノイズをたてて息継ぎの時間を与えると、またすぐに唇を合わせる。
浅い呼吸と濡れた音だけが、部屋を満たす。
「好きだ」
やっと唇を解放されて、耳元で重低音を吹き込まれて、総悟は僅かに身を捩った。
土方は総悟の髪をかき混ぜながら、好きだ、好きだと何度も繰り返し、暫く無言になったかと思うと、ゆっくり起き上がる。
総悟の腰を跨いで座り込んで、片手でするりと腰のラインをなぞって。
甘い感覚に総悟が唇を噛んでいると、土方は諦めたように話し出した。
「…分かるか…?俺は、お前を痛めつけることしかできねーんだ」
土方は、くしゃりと自分の髪をかきあげる。
「この前のだって、後悔なんてしちゃいねーんだよ。お前にどう思われようが、お前は俺のことを一生忘れないだろ?……それなら、それだけでいいと思ってんだ、俺は」
その手を少しずつおろし、うなだれるように顔を覆った。
「好きだよ。総悟のことが好きだ。どうしようもないくらい、好きだ。でも…だから…お前には、触れられない」
きっぱり、自分にも言い聞かせるように告げると、土方はゆるりと顔をあげた。
そうして立ち上がり、髪拭けよ、と言ってベッドから降りると、部屋から去ろうとした。
その背中に、濡れた蜂蜜色が、ぶつかる。
「―っ、そ…」
「あんたが触れられないなら、俺が触れる」
後ろから抱きつかれて、欲しくてたまらなかった体温に、土方の視界が一瞬揺れる。
「あんたが俺を痛めつけようなんて、百年早いんでさぁ」
憎まれ口をききながら、その声はいやに震えていて、前にまわされた手は頼りなく服を掴んでいて、
土方はその腕を振りほどくと、正面から総悟を抱きしめた。
強く、強く、抱きしめた。
ねぇ、俺のこと手放さないって約束して
そしたら、俺の全部、あんたにあげるから
ねぇ、あんたが好きだよ
…………………
>「―で?電話の相手は誰なんでさぁ」
「ああ…、山崎」
「はぁ?何でまた」
「いや…お前を抱いた後のな、処理を手伝ってもらったっつーか、パシりにつかったから、謝礼を求めてきやがって」
「…へ、部屋に、入れたんですかィ?」
「ンなわけねーだろ!あんなエッロいお前の姿を誰に見せられ……って、待て、何だその鈍器は?危ねーだろ早く離っ……ギャァァァ!!」
みたいなオチ。笑