「わあ!」

右下からいやに子供っぽい歓声が聞こえたものだから、土方は思わずそちらを凝視していた。
ガサリ、ガサリと赤や黄色や茶色を蹴りあげる子供は、その頬も朱色に染めている。

「血の海みてェ」

続けて聞こえた子供らしからぬ感想に、今度は怪訝そうに凝視してしまった。

(紅葉を見て…血ってどーなの)

土方の心情はこうである。

出張稽古からの帰り道、近藤は相手方と飲んでから帰るのが常で、だから土方と総悟の二人で山道を下っている。
暦の上ではまだ初秋だが、すでに山は赤や黄色や、まるで錦絵のように美しく身を変えていた。
はじめは渋々といった様子で繋いでいた手も、その不快感を忘れるくらいに風景を楽しんでいて。
普段、特に土方に対してはこれでもかと子供らしさを見せない総悟が、年相応の無邪気さを見せていて、その姿に土方の頬も自然とゆるむ。

ふいに、パッと走り出した総悟に追い付けなかった右手が、子供の手を掴みそこねた。
そして繋いでいた手は離れてしまったわけなのだけれど、それは意図的なものではなく、もっと心地よいものだったから、土方はゆっくり近くの木にもたれた。

(目を離さなきゃ…)

いいだろ、思いながら煙草を出そうとして、途中で思いとどまる。
それは今さら未成年の喫煙を気にしたとかではなく、何となく、ただそうしたかったから。多分、この子供の無邪気をもっと見ていたくて、それには、紫煙は邪魔になるから。

蜂蜜色の細い髪を、パサリ、パサリと宙に遊ばせて紅葉を蹴る姿は、とても美しいものに思われた。
総悟が足を動かす度に、赤が宙に舞う。
それはヒラヒラとしばらく空を踊った後、初めて重力というやつを思い出したように地に戻る。
彼はそんなものを気にも留めず、次々と宙に赤を散らす。日の光を吸ったような蜂蜜色が、金糸のように揺らめく。

たったそれだけの事が、何故か、とても美しいものに思われた。

「って!」

呆けたように立ち尽くしていた土方を正気に戻したのは、総悟の声。
見れば、足を押さえてしゃがみこんでいる。

「大丈夫か!?」

慌てて近くに走れば、総悟は土方が慌てて来たことに驚いて、キョトンと固まってしまって。
暫くしてから、小枝を蹴った、と呟いた。

「小枝を?」
「う、うん」
「蹴ったら痛かったって?」
「…そう」
「んだよ…心配させやがって」
「……土方は、俺を心配したの?」

意外そうに、珍しいものを見るような目でじっと見つめられて、土方はばつが悪そうに目をそらした。

「ぁー、なんだその…つまり…」

そこで一旦区切ると、ガバリと立ち上がって、煙草を取り出しながら

「ガ…ガキだからな、お前、まだ。あ、危なっかしいんだよ」

と、いかにも苦し紛れの答えを叩きつけたわけなのだけれど、総悟は幼さゆえに気づけなくて、ただ「ガキ」という単語だけをインプットしてしまって。

「ガキじゃねーし!てめーがガキだろぃクソ土方!!」
「なっ…!お前は人がせっかく心配してやったっつーのに…」
「全く、甚だ迷惑でさァ」
「お前はどこでンな言葉覚えてくんだよ!」

いつものように騒ぎながら、でもいつもより少し穏やかで、優しくて。
なんだかお互い可笑しくなって、二人で笑い合って歩いた、武州の道。


今は遠く離れてしまったけれど。

できることなら、土方はその子供だけは、美しいまま、守ってやりたかった。





「わー、紅葉みてェだ」

言う総悟に、土方はため息を落としながら振り向いた。
紅葉「みたい」だと言うからには、もちろん対象物は紅葉ではない。
月明かりに照らされて、生々しい光を発しているのは、血だ。
路地裏を覆うそれは、つい先程土方と総悟と、攘夷浪士によって生み出されたもの。無論、土方や総悟のそれではない。
パシャパシャと、まるでそれが本当に落ち葉か何かのように蹴る総悟の姿に、土方はいやに悲しくなった。


小枝を蹴って、痛がった足は

どうして今、革靴を穿いて、血を撒き散らしているのだろう


「土方さん?何黙りこんで…っ」

総悟が何か言い終わる前に、土方は少年をその腕の中に抱き込んでいた。
ひじか、言いかけた口は、ぐいりと肩に押し付けられる。
総悟は諦めて体の力をぬくと、土方は安心したように腕の力を緩めた。

「………、…どーしたんですかィ?」

しばらく経ってから、やっと総悟が口を開く。

「秋だから…寂しくなったんですか?」

決して、からかうような口調ではない。
土方はそれに応えられないまま、再び強く、総悟を抱きしめた。

悲しかったのは、総悟が変わってしまったことではない。
土方の近くにいるには、今の総悟でなければいけない。だから変わった。土方が、変えたのだ。
多分に、総悟は気付いていないと思うけれど。

変えた、のに、
彼の一番は今だ近藤で、それがもどかしくて、もどかしいと感じてしまう自分が信じられなくて。

自分たちの一番は、どうしたって、近藤でなければいけないのに。


悲しいのは、振り向いた瞬間。
もっと染まって、自分の側に来いと、思ってしまった、自分。

守りたいと、思っていたのに。



変わってしまったのは、こちらの方。


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