おそらく、俺は世界一の馬鹿だ。

そしてこれはわりと当たってると思うのだけれど、俺は世界一の幸福者でもある。






俺の世界といったら、それはそれは狭くて、姉上と近藤さんでいっぱいになるくらい、小さかった。
それでも二人がいれば俺は嬉しかったし、幸せだったから。
ずっと続けばいい、幼いながらにそう願った。

その頃の世界はきらきら輝いていて、しかもその輝きは目を射るような激しいものではなく、もっと優しい、夏の木漏れ日のような、素敵なものだった。
例えるなら、ガラス玉が適しているのかもしれない。
シャボン玉とびーだまを足して2で割ったくらいの、一種の儚さを持ち合わせた、そんなガラス玉があるならば。

大切にしようと思った。
今でも大切にしているけれど、その時はある種の必死さでもって、それを護っていたような気がする。
大事に大事に抱えて、時おり、日に翳して眺める。
そんな存在だった。

俺のすべてだった。

ある日、ガラス玉に気泡が入り込んだ。
俺はもちろん、驚いた。
俺と、姉上と、近藤さん。それでいっぱいなのに。それだけで良いのに。
驚いた。
俺の世界に土足で入り込んできて、だのにその世界にいた人たちからは歓迎されたから。
名前を、土方といった。

気に入らないと思った。それから躍起になって追い出そうとした。それでも想いが叶うことはなかった。

久しぶりにガラス玉を眺めて、泣きそうになった。
気泡がポツポツと入り込んでいて、クリアに見えていた世界が、わずかに歪んで見えた。
追い出そうと思っていたのに、いつの間にか存在比を増したそれに、泣きたくなった。
そんなにも存在を許してしまっていた事実が、少しでも気をぬくと涙が出てくるくらいに悔しかった。

いつしか、俺は偽るのがうまくなった。自分の感情より、大切な人の利になることを優先できるようになった。たまたま俺は、それが他人よりもうまかった。
気付けば、誰よりも強くなっていた、けれど、気泡は消えなかった。
じわり、じわりと、ガラスを侵食していくようだった。

ある日、俺は思った。否、理解したと言った方が正しいと思う。
俺の大切な人が必要だと言うなら、いくらそいつが気に入らなくても、そいつは俺にとっても必要だと。
そういう意味で、土方は必要だった。

それから俺は、ガラス玉を見るのをやめた。






「そう、ご…?」

目の前、信じられないといった顔をするのは土方。
俺を見ないで敵を見やがれ、言おうとした口からは、こぽりと赤が溢れた。

「そうご!」

ぐらりと傾いた体は、地面に叩きつけられる前に抱き止められる。
瞬間、悲しさと嬉しさで泣きたくなった。事実、俺は泣いていた。

長い間一緒にいたのに、こうして触れ合ったのは初めてだった。それが最期の時だなんて、ああなんて世界は甘いのだろう。

「そうご、…そうご!」

あんた副長がそんな顔してどうするんですかィ、と言おうとした。かわりに血をはいた。
土方の顔がこれ以上ないくらいに歪む。泣くのだろうか。いや、でもこの人は泣かないだろう。
不敵に笑ってみせた。土方は声の出し方を忘れたように沈黙している。

いつもの夜だった。少し違うのは、満月がとてもきれいだったこと。
辺りを見ても、月なんて見えない。月は見えないのに、月明かりに照らされた路地裏はくっきりと見える。
そのことがなぜか、とても悲しく、とても美しく思えた。

赤い絨毯をひいたような地面は、いやに暖かみを帯びていた。当たり前かもしれない。命は暖かいものだ。そしてその赤は血液だった。
もちろんすべて俺のものなわけがなくて、攘夷浪士のものがほとんどだった。月明かりに照らされて、浪士たちの死体が妙に青白く浮かび上がる。
まるで地獄かなにかのようだった。それを作り出したのは俺と、この人。

土方さんが俺を抱えて、座りこんでいる。背中に当てられた手は、真っ赤に染まっていることだろう。見えないけれど、自分がもうすぐ尽きることは分かる。

「…どうして、庇った…?」

そんなことを聞いて、何になるというのだろう。俺は息をするので精一杯なふりをした。
目を開けてくれ、といやに弱った声で言われて、自分の瞼が閉じられていたことに気付いた。実を言うと、開けても閉じても、もう何も見えなかった。
土方の声と、抱きしめられる腕の強さだけが、俺の世界の全てだった。

「…ひじ、…た……」

途端にハッと息をのんで、全神経を俺に向けるのが感じられたから、困るなぁと思った。
本当に困るんだ、俺はもういなくなるというのに。

「ひじ、かた……さ…ん」

もし時間が止まるものだったなら、止まってほしかった。たくさん言いたいことがあるのに、何を伝えればいいのか分からない。伝えたいことがあったとして、言葉にできるのかどうかすら怪しい。
ああでもきっと、言葉にしなくても分かってくれるだろう。だから伝えたいことを考えて、その途中で土方が話しかけてきた。

「そうご、俺な、」

そこで間が入って、それから消え入るように、お前が好きだよ、と溢すのが聞こえた。
悲しさと嬉しさで息苦しくなる。
愛しいのか苦しいのか決めかねているうちに、いよいよ息の仕方を忘れた。
しまいには、苦しいから息をするのか、息をするから苦しくなるのか分からなくなった。
俺はまもなく消滅する、その恐怖に今さら見舞われながら、口だけは言葉をつむぐ。

「ひじ、か…た……さ……お…れ、は……」

そこで俺は、最後の嘘をついた。

「あ、んた…が……きら、い…で…さ……・・・・・」

土方の声で、ありがとう、と聞こえたような気がした。






俺は世界一の馬鹿だった。
気泡混じりのガラス玉が美しいことに、もっと早く気付こうとすればよかった。

しかし俺は世界一の幸福者でもあった。
俺は勝ち逃げした。
尽きる瞬間に、生きてきた中で一番のしあわせを感じることができた。

ありがとう、はこちらの台詞。

ありがとう
ごめんね






大好きだよ


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