翌日

小太郎は名無しの縁談相手を偵察するという任務の為、小田原城を出た。

目的地に着き半月程動向と言動を観察し報告書をまとめた後、主の元へと戻る。



――――――――…



「おぉ風魔、ご苦労ぢゃったの」

提出した書物に目を通し、納得した氏政は報告する為名無しを呼んで来る様侍女に命じた。



「遅いのぉ…何しとるんぢゃ」



暫く待っても来る気配はなく、使いに出した侍女が戻ると『姫様は只今御身体の具合が悪いので後程伺うと申しておりました』との事だった。


「…風魔、ちと名無しの様子を見てきてくれんか」

「………………」


言われた通り名無しの様子を伺いに向かい、襖を小さく叩く。


「…誰?」


か細い声は心なしか元気が無い様に思える。そのまま黙って返事を待つと、静かに襖が開いた。

「小太郎…どう、したの?」

目の前の忍の姿を見て少々驚いたのか言葉を詰まらせたが、此処に来た理由を察して

「お祖父様の所へなら後で行きます。だから…心配しないで」

と告げた。

その旨を氏政に伝える為、戻ろうとする小太郎を咄嗟に呼び止めて震える声で問う。

「お相手の方は…如何でしたか」

後程氏政から聞く事だが名無しは今、小太郎に聞いておきたかった。結果は分かっている…だからこそこれで心置きなく輿入れ出来るのだと覚悟を決めた。


「………………」


ひとつだけ、コクリと頷いて何も言わない小太郎を見つめる名無しの瞳から、知らず知らず熱い雫が頬を伝ってポタリと落ちる。長い睫毛を黒く湿らせ、閉じた瞳からとめどなく溢れ出す涙が普段は冷静で何事にも動じない小太郎の心を揺さぶった。



―――泣き顔は見たく、ない



どうしたらいい
どうしたら笑ってくれる


どうしたら



思わず差し出した両腕が優しく包み込む様に名無しを抱きしめた。


「こ、た、ろう?」


こんな時、己の声が出せたなら何と言って慰めただろうか。その術を持たない今は無礼と承知の上、これしか思いつかなかった。


「…ありがとう」

「………………」


その傷口を抉る様な残酷な痛みを帯びた優しさに、決めた覚悟が揺らぐ。

「小太郎、私、やっぱり諦められない…貴方を慕う心に嘘はつけないの…だからお願い、想う事だけは許して欲しい」


懇願する名無しに
ひとつだけ
コクリ、と頷いた




許された、唯愛すること




笑った顔を見て
胸が熱くなったのは
気のせいだろうか


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