春眠 | ナノ

幕間:ある女の話

今から思えば、その少女は恵まれていたのだろう。

生まれる前から引き継がれた"とある物語"の知識。他者よりを大きく引き離すほどのアドバンテージを持つ魂。平均的な魔術師と比較しても、決して見劣りはしないほどの魔力回路の量と質。廃れた家系ではあるが、書物という形ではあるが確実に現代まで伝えられてきた秘術。幼いころから確たる自我を持った、そんな変わった子供にも変わらぬ愛を注いでくれた稀有な両親。


だが、ひとつ苦悩があった。
―――ただ孤独だったのである。


はじめてこの世界が己の知っている世界だと知った時、梓は歓喜した。そう、自分が特別な使命を帯びているのではないかと思ったのだ。だが、その願いも空しいほどに、そのような特殊性はその身に宿ってはいなかった。

次に、同じ世界に同じ知識や苦しみをもった同胞を探した。
いや、いると信じていたのだ。
こんな自分なのだ、特別でないのならば、同じような記憶を持つ同胞がいるはずだと。
そうでなくては、おかしい。
道理が合わない。
だが、その夢は最悪の結果を伴って、無残にも崩れ去った。


梓が欲したことは些細なことだった。せめて、そう、同じ悩みを分かち合える同胞たちと語り合い、共感し、励ましあうこと。
ただ、己はただ一人ではないという確証が欲しかったのだ。
だが、現実世界でも、そしていまだ未成熟な電子の世界さえもが無情な現実を訴えかけていた。そう、どれだけ巡っても、この世界に彼女と同じ悩みを抱える同胞は一人たりとていなかったのである。


そうであろう、彼女というイレギュラーがこの世界に降り立ったのは、偶然ではも定められた運命でもなく単なる必然。彼女が赤子の頃、誘拐された際、魂を観測することで、根源へと至らんとする魔術師の実験の副作用だったのである。平行世界とも呼べる無限の空間から異なる魂を呼び出し、赤子の体に封じたのがそもそもの原因。
そう、その赤子に宿っていた、本体の魂を殺して。


それを知った時、梓は愕然とした。
己がこの世で一人であるという孤独感、何も知らない両親から本当の子供を奪って生き延びているという罪悪感。
他の実験台を踏み台に自分だけが生き残ってしまったという負い目。
たとえ大災害を止めても誰にも認めてもらえない虚無感。

何より、誰にも心を許すことのできない孤独と、そのどうしようもない葛藤と罪悪感が、その柔らかな面差しに暗い影をおとすようになるのにそう時間はかからなかった。


いっそ自分は特別な人間だと、選ばれた人間だと開き直ることができる人間であれば幸福であっただろう。
だが、彼女はそう生きるには真っ当すぎたのだ。



そして定められたように、令呪の宿った右手を昏い瞳で見て、梓は戦争に参加することを決意する。

見当違いの罪悪感と、無意味な同情を胸に抱き、
かつて助けたいと思った誰か。
自分が殺してしまった誰か。
それを相殺できるとは思わないが、せめてもの贖罪になるだろうと決意して。



こうして、一人きりの聖杯戦争の幕が上がる。




吹き荒れる魔力に、赤い外套が翻りがせながら、こちらを鷹のように鋭い眸で射抜くように見つめる英霊。
かつて夢見た姿と、何一つ変わりない姿が、悲しいほどにこれが夢ではなく現実だと、訴えかけてくる。
そうして、男の薄い唇が開き、これからの運命を決定づける言葉が放たれる。

「問おう、君が私を呼び出したマスターかな?」


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