春眠 | ナノ

束の間の

『娘が欲しくば、相応しいだけの勲をもって示すがいい。その上で娘が望むのであれば、お前との婚約を許してやらんでもない。ああ、その時はわしの宝を与えて遣わすぞ。
そう、最低でも影の国にて秘儀でも得なければ、話にもならんわ!』

そうして彼は、館に帰ってきた父の宣告を聞き、何も言わずに去って行った。


父曰く、未来を見通す瞳で、彼は彼の地で得難いモノを得る像が見えたらしい。
あの小僧が死なぬのが忌まわしい、などと嘯いてはいるものの、かの影の国から逃げ帰らず相応の修練を治めるとあっては、そうしばらくは帰ってこないだろうという見立てであるから、想定内といってもよいだろう。
それに、それほどの時間が過ぎれば、一時の熱情など忘れるだろう。
だが、万が一と言うこともある。


『いっそ見染めたのがソウェルで有れば、許可もしようと言うものを』

ままならぬとばかりに愚痴を零しながら父は、大急ぎで『エウェル』の婚礼の準備を進めた。
『エウェル』の結婚相手は隣国のマンスター王。
だが、おかしい。
誰かと沿い遂げることが許されないからこそ、ああも高圧的に彼の申し出を断ったというのに。





部屋に色が氾濫する。そこには見事な染の織物があれば、滑らかな光沢の絹があり、翅のように軽やかな紗もあった。

「まあ、なんて素敵な生地でしょう」
「ええ、お姉さまはどれがお好みですか?妃として相応しく仕立てて見せますから、申してください」

そう、布地を手に取って、鮮やかな色彩の川に囲まれながら侍女たちとさんざめく。

「ええ、この夕暮れの空のような朱色の生地はいかがです?姫さまのお髪によく映えると思うのですけれど」

そうして侍女は姉の肩に生地をあてがい、意見を求めてくる。
だが、エウェルは首を傾げ、思案してから横に振った。

「駄目ね。婚礼は春先なのですもの。もっと軽やかな色の生地はないかしら」
「ええ、でもこれはエウェルにも似合いそうよ。ねえ、エウェルはこの生地でどう?とっても華やかだと思うの」
「もう、私は姉さまの婚礼にティーナン…ドルイドとして参加するのですから、そのように華やかなのはいかがかと思います。何より花嫁と花婿、そして父よりも目立つなど…」
「あら、いいではないの。
こんな時くらい、華やかに彩っても文句なんて言われないと思うわ」
「姉さまったら」

「もう、エウェルったら頑固ね。
いいわ、ならこれはエウェルに仕立てます。いいでしょう?」
「でも姉さま、これを着る機会など」
「なら、仕立てあがったらすぐに着て、私に見せて頂戴。私が嫁に行くまででいいから、ね?」
そうして姉は小鳥のように首をかしげ、唇を尖らせてこちらを見つめる。

「…姉さまには叶いません、もう、これが最後ですからね」
その姉の瞳に、エウェルはついにそう嘆息しながら音を上げた。


そう、この婚礼は姉と私が入れ替わって嫁ぐというものなのだ。華やかな祝い事、壮麗になろう婚礼だが、その正体は二人の娘の死を前提にしたものである。
此れより行われる儀式は新たな道を寿ぐ婚礼であり、互いの死を看取る葬送でもある。

ソウェルを殺し、エウェルに。
エウェルを殺し、ティーナンに。

この婚礼衣装は一針一針縫うごとに、己たちの死が近づいてくることと、同義なのである。
それを、当然のように姉妹は受け入れた。



あの言葉にほんの少しでも心が動かなかったと言えば嘘になるだろう。
だが―――
身に課せられた誇りを胸元におし抱く以上、そんな位置を選ぶはずもないのだから。
そう、気の迷いだ。そう断じて、ほんの少しだけ生まれた感傷を押し込めて、娘は針を握握り直した。


そうして、きらめく花嫁衣裳が出来上がった。
それをまとった姉の姿を見たものは誰もが、褒め称えた。
やわらかに広がる裳裾と袖口には姉妹が手ずからが施した刺繍が彩を添え、泡の花のように輝くよう。
その衣装よりもなお白くなめらかな姉のかんばせには頬がほの紅く色づいて、花のように美しかった。


婚礼の儀はもう目の前である。
かつての招かれざる客が足を踏み入れて以来、敷かれたフォルガルの結界は強固であり、半ば異界化した屋敷は何人たりとも許可なしには足を踏み入れることすらできないだろう。
このまま、マンスター王にソウェルがエウェルとして嫁げば、全てが丸く収まる。
そう確信して、フォルガルは胸をなでおろした。


―――だが、フォルガルは失念していたのだ。

祭りとは日常の中の非日常だ。終わり、蘇り、やり直しを象徴する特異点である。特に婚礼も葬送と言う古来より続く、始まりと終わりを表す重要な儀式である。営みの環にこれ以上ないほど組みこまれているゆえに、その土地の魔力の増大、すなわち歪みは膨大なものとなる。
こと、この古くからの加護が続く土地においては、領主の一族の祭りごとは他の比ではない。

だが、婚礼と葬式とは相反する概念。
それが齎す歪みが何をもたらすか、フォルガルの知識にはなかったのだ。
とはいえ、何事もなければ、つつがなく過ぎたであろう、結界の不備は、今回はフォルガルには禍を、そして宝を盗もうとする相手には幸をもたらすこととなった。

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