春眠 | ナノ
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「よいですか、淑やかに微笑んで杯をついで回るのですよ。決して粗相のないようになさいねエウェル」
「ええはい。そう何度も仰らなくとも、わかっています、姉さま」

何度も釘をさすように、言いさす姉に辟易しながら言葉を返す。まったく、なんてタイミングで故郷に帰ってきてしまったのだ。だが、久しぶりに帰り来た我が子を飾り立てようとする母の眼差しと勢いには勝てなかったのだ。
私も父も。でなければ、このような宴に女のように着飾って参加するはずもない
まあ、今の身は女であるわけだが。


森は燃え立つ新緑の息詰まるような輝きを増し、ふりそそぐ陽の光は水にたわむれ、川の水は温もって鋭い光を反射する。
今日は3年に一度の大祭典。
ターラの館の内にも外にも火が灯され、暖炉の火が赤々と照り映える広間は、楽の音と人々の談笑が入り交じった心地よい喧噪に満ちていた。訪れた人々は、そのいつ果てるともしれない宴に飲み歌いながら、それぞれの参列者どうしで語り、笑いあっていた。


そうして天を仰ぐように、窓の外を見つめる。いずれ、エウェルという存在はいなくなる。だから、こうして過ごす時間に意味などないのだろうが…
それでも、決して無駄ではないのだろう。
何れ終わってしまうモノでも、少なくともこうして過ごした記憶は残り、そうして続いていくのだろうから。


と、その時、首筋がちりちりと焼けつくような気配を感じた。

『――誰かに、見られている?』

こんな華やかで人の多い宴なのだ。あのフォルガルの娘と言うだけでも、視線を集めようというものだが。
だが、周りをそっと見渡しても視線の持ち主が見つからない。
その違和感が不愉快で、むっと眉を寄せる。
見るならば、いっそ声の一つでもかければよいというのに。
そうすれば、どうにでも対処の方法があるのだ。
正直、弓を扱うものとして、こちらが気付かないうちに視界に入っているというのは、とても不快である。


と、その時、視界の端に目が覚めるように鮮やかで、深い夜明け前の海のような色に引きつけられた。
どうやら、その色の持ち主が、広間中の乙女たちの視線を奪っているらしい。
そうして気が付いた。その持ち主が、いつぞや会った、クランの猛犬だということに。


あの時の少年が宴にて、こうも花を添えるようになるとは、面白いものね、とクスリと微笑を零し、また杯を注ぐために、背を向け、宴に身を投じた。


*****


朝は冴え冴えと明け渡り、谷から流れ出た水が流水となって、丘の上にある館を沿うように流れてながら、いまだ凍るように冷たい水のなかに魚の群れがキラキラと光っている。
緑の塚山には小さな花が無数の星のように咲き出でて、春が訪れた緑の土地には草の生えた流れのふちに沿って、多くのブナの木が生えており、梢の先が芽吹きはじめた春の日。
そんな城壁に囲まれた緑なす庭で彼女たちはいた。


そこは芝草に覆われた、空に向かって開かれた庭で、咲き誇る林檎の木に凭れながら針を取る。
久しぶりに繕い以外で針を取ったものの、身体は思いのほかその仕事ぶりを覚えているようだった。糸は思った通りに布の上を踊り、旅した風景や花など思いつく限りの美しいものを作り上げていく。この出来栄えならば、十分に館の壁を覆う織布として活躍できることだろう。


「エウェル、それはなあに?」

と、ソウェルが手元を覗きこむ。

「姉さま!…これは先の旅の途中で見たとても大きな山と鏡のような湖です。こちらは海の向こう、そのまた向こうにいる獣」
「まあ!こんなにも鼻が長い獣がいるの?」
「はい、かの地でもとても珍しく、滅多にみることができないということでしたので、目に焼き付けておいたのです。いかがですか?」
「ええ、凄いわ!それにこんなにも大きいの?」
「はい、小山ほどに。我が家の牛を3つ合わせてもこの大きさには適いません」
「信じられないわ…」


そう少し胸を張って面白い土産話を姉にする。白銀に覆われたそそり立つ山々の威容や、茫々と広がる大地、その峡谷の間にある、さざ波一つ立たない鏡のような湖面をした、澄んだ湖、外国の詩や歌、姉の知らない海の向こうの国。

姉からすれば夢のように遠い話をしつつ、他愛ない言葉遊びに花を咲かせる。
それらに目を白黒させて喜ぶ姉や侍女たちのさざめくような笑い声が庭に響く。
その可憐な声に思わずこちらの口もほころぼうというもの。


「こんなに素敵なものを私たちだけで独り占めするなんて…いいことを思いついたわ!、この刺繍が完成したら広間に飾るようにお父様にお願いいたしましょう!皆もお母様も驚かれるわ」
「大広間ですか?なら、もっと気合を入れなければ」
「ええ、きっと見た人が一体こんな素晴らしい物を作り上げたのは誰かって言うに違―――あっ、その、ごめんなさい」
「ふふ、何を言うのです?大広間に飾るのであれば、この刺繍を姉さまも手伝って下さらないと。ええ、きっと諸人が姉さまの腕に見ほれることでしょう」


ソウェルは彼女自身の価値観によって、誰とも添い遂げることができない妹を憐れんでいるのだ。そして同じように、私もこの館から容易に出ることのできず、あの雄大な景色を見ることのない姉を憐れんでいる。だが、それはお互いに承知のこと。それでもエウェルはこの無邪気で美しい姉のことを好いており、姉も私のことを慈しんでくれていると確信している。だからこそ、今まで出会った事物を、このタペストリーに封じ込める。見知ったことを物語として織なし、館から出ることのない母や姉の心を慰めるために。


と、遠くから遠雷の様な音が響いてきた。

「あら、雷かしら?」
「…いいえ、お姉さま、これは戦車の音。―――敵でなくば客人でしょう」

遠見の魔術を使って、塀の外、丘のそのまた向こうからくる人影のことを告げる。
ならば―――

「まあ、父がいないというのに…では私が持て成さねばならないわね。ではエウェルは奥から出てはだめよ」
「はい、姉さま」

エウェルとして、女としての接触はできる限り絶った方がよいだろうと判断して、姉の言葉に従って腰を上げ、館へと歩き出した。


***


注:姉=ソウェル

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