春眠 | ナノ

16

そうして、シャノンをとどめるべく奮われたアーチャーの陰陽剣は、―――女が手に持つ黒剣に触れた瞬間、玻璃が割れるような軽い音を立てて雪のように溶け消えた。


「なっ!?」

驚きの声を漏らすアーチャー。
だが、驚くべきことはそこだけではない。
なぜならその不吉な黒色に吸い寄せられるように、周囲の霊子が吸い込まれているのだから。

まるでブラックホールのように、貪欲に世界を食い散らかす行為。
迷宮を構成するフレームが歪むほど、吐き気がするほどの暴飲。これを前にしては、アーチャーの投影を維持できるはずもない。


「そうね…覗き見をしていた彼らなら、調べれば気づくと思うから先に教えてあげる。この剣はね、魔力を奪う単純な性能を持った魔剣。霊子虚構世界においては、霊子の結合を分解・吸収する働きを持つの。この意味、分かって?」

その言葉を聞いて、アーチャーは息をのんだ。
なるほど、先ほどから生徒会室からの通信が聞こえないわけだ。

「ええ、そうよ。英霊の持つ宝具や、一個のカタチを得た生命体から霊子を奪うことはさすがにできないけれど、アーチャーの剣のような魔術で編まれた投影品であれば打ち壊すことなんてわけないことよ。―――だって、それ、霊子の結合が見え見えなんですもの」

そうして、くすりと微笑んで、彼女はこちらを眺めた。

「もう一度言うわ、次は白野くんを連れていらっしゃい。逃げも隠れもせずに相手をしてあげるから」
「ほう、これだけの罠を仕掛けておいて、正々堂々とはよく言えたものだ」
「あら、掃除屋相手に掲げる誇りも何もないでしょう。それに、この程度のもてなしを受けて頂けないような男に、礼を尽くす必要は見当たらないもの―――曲がりなりにも騎士を名乗るのなら、ね」

アーチャーの言葉に気を害されたのか、眉を顰めるシャノン。
その不機嫌そうな顔が、ふと良いことを思いついたかのように歪められる。

「――――でも…そうね、あなたがそれに値しないのなら仕方がないかしら。ええ、自分がネズミにすぎません、って認めるのなら、もう少し手加減してあげてもいいわ。どう、いかがかしら?」

嘲りを含んだ声に、血が頭に上ぼる。
彼女の言葉が厭わしかったのではない。
だって、アーチャ―が万全の力をふるえたのであれば、この嘲りを許さずに済んだのだ。そう、いくら彼女といえど、あの英雄王に同じ言葉をかけられるはずもない。なら、これは私の責任。

だから、そんな言葉をアーチャーにかけることを許してしまう自分の未熟さが腹立たしい。アーチャーを押しのけて、カッとなりながらも言い返す。


それは絶対にダメ。
アーチャーは私とともに戦ってくれた相手だ。
そんな彼を、不当に扱うことだけは許せない。

「正気?彼はサーヴァント。所詮は英霊本体の分身にすぎない使い魔よ。この程度で身の安全が保障されるのなら、容易いことではない?」


頭から斬り捨てるような相手の物言いに、答える声音にも怒気がにじむ。
それこそ、この私にとって、耐えがたいことだ。
彼は何もないこんな私を導いてくれた、掛け替えのない人。
そんな彼の誇りを、自分の身の可愛さなんてもので、私が侮辱するわけにはいかない

そう、ありったけの思いを込めて、彼女にそう告げた。
ここで、彼女と対峙することがどれほど厳しいことかは理解している。
それでも、アーチャーへの侮辱だけは許しがたかったのだ。
それを見た彼女は、呆れたように大きくため息をついて

「――――でしょうね。ええ、あなたならそう言うって思ったわ」

諦めたように、……そしてどこか喜ばしいモノを寿ぐように言葉を零した。そんな思いがけない返答に目を見開いている私の前で、シャノンは背を向けた。その横顔は、あっさりとしていて、二度と振り向く事はないと告げている。


「ならここは引きなさい。貴女が大人しく立ち去るなら、深追いはしないわ。けれど、これ以上、外(うつつ)に焦がれるのなら、ばこのまま、私の中で惑わせてしまうから」

あまりにも無防備な姿。
だが、アーチャーも膝をついたまま、去っていくシャノンを見つめる事しかできない。
ここで襲いかかれば、確実に零子ごと消去デリートされる。
その事実、その力関係だけは、私でさえ感じ取れていたからだ。


「とまあこんな感じで、気がそがれてしまったわ、アーチャー。帰ってお茶でもしましょう。―――そうね、あなたも一服してもいいのよ?少し風景に緑が足りないと思っていたことだし」
「俺は庭の植木かよ!つか、いらねーよ、そんなの」

だからここは、去って行く彼らを見つめることしかできない。
だが、最後に一つだけ聞いておきたいことがある。
その言葉に、ぴたりと足を止め、こちらを顔だけで振り返ってくる。

「なに?聞いたらすぐに帰ってくれるなら、答えるわ」

うん、約束する。
だから教えてほしい。
―――どうしてここまで、白野に敵意を執拗に抱くのかを。

その問いを放った途端、シャノンの顔から感情が抜け落ちた。
いや、無表情になったわけではない。
率直に言って、機械的になったのだ。

「いいえ、彼にだけ敵意を抱いているわけではないわ――――だって、私は先輩(あなた)も…大切に保管してしまいたいんですから」


燃えるような情念に彩られながらも、どこか空虚な声。
彼女の口から放たれていながらも、彼女の心から生まれ出たものではないようないびつな言葉。
それはまるで――――誰かの思い(定められたプログラム)を再現する人形のようで。


「なぜ、そこまでマスターたちに固執するのだ。彼の方は知らんが、私のマスターが表側の貴様にそこまでの暴挙を働いた記憶はないぞ」
「――――さあ、よくわからないけれど、月の裏に来てからどうしても貴方たちを無視できないのよね。本当に、不思議……ま、いいわ。だから待っていてね。彼の次になら、ちゃんとあなたの相手もしてあげるから」

瞬きの間に、違和感は掻き消えた。心の底から理解ができないとばかりに首を傾げる顔にはいつもとかわらない。だが、思わずといった風に零された表情。そんな表情をすると、彼女は思ったよりもあどけない風貌をしている。

だが、そんな顔はすぐに優美な笑みに覆われた。凄まじいまでの切り替え。もはや、仮面が仮面であると、本人ですらも認識していないそれ。これを剥がさなければ、彼女の心を暴くことなどできるはずのない。

そうして、あいさつ代わりにだろうか、場違いなほどに柔らかな笑みをこちらに向け、シャノンはその場から去っていった。
その姿を悔しげに歯噛みしながら、見送るアーチャーに、少し申し訳なくなる。
だって、今回はばかりは手の出しようがない。
もう一度、校舎に戻って彼女たちと話し合おう。

「ああ、そう言ってくれるとありがたい。すまないなマスター、彼女を捕らえるのは私の能力では困難だと言わざるを得ない」

そう、アーチャーとは彼女はあまりにも相性が悪い能力関係にある。彼女の足を止めるには、最低でももう一人、誰かの手が必要だ。

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