気にしなくても良かったのだ。しかし、それに気付かないほど鈍感でもなかったし、寧ろ僅かな変化にも気付いてしまうほどに人を見ている自信はあったから、しかもそれが恋人となれば気付かない方が恋人として失格なんではないだろうか。

「シャンプーかえた?」
「お!染谷わかっちゃったー?」
 何時もの香りとは少し違う甘い匂い。ネットリ鼻に付く匂いじゃなくて爽やかな、そう。オレンジみたいな柑橘系を漂わせる匂いが鼻腔を擽る。外から夏の匂いも携えて、薄っすら首筋に滲む汗もあって、あぁ順に似合うなぁ、って。
 些細な変化に気付いたというたったそれだけで、順はふにゃりと腑抜けた顔で頬を綻ばせている。とてもだらし無い、けれど心底嬉しいのだと訴える満面の笑みに私の頬は同じように緩みそうになるけれど、思い止まって叱るように溜息だけを吐き出す。
 素直になれない。それは少しだけ私の悩みでもあった。

 おいで、の代わりにベッドをトントンっと 二つ叩くと物凄い勢いで寄るもんだから跳ねたベッドと同じだけ私の身体も跳ねる。大きく振られる尻尾とかピクピク動く犬耳が見えた気がする。一応、人間でしょうに。熱中症で頭やられたのかもしれない。
 私が呼べば順は来てくれる。呼ばなくても来てくれる。人命に関わったり無理難題な状況でなければ大抵順は来てくれる。落とされた寂しい一夜に気付いては私の側に居てくれる。思いあがりもいいところだがきっとそれは事実で、そしてそれをそれ同等に、それ以上に返してあげることが私は上手く出来ない。
「大学は?」
「あったよ!」
「サボったんじゃないでしょうね?」
「失礼な!ちゃんと終わらしてきましたよー。でも、染谷から呼ばれるのが二時間ぐらい早かったらそうなってたかもー」
 分かってたとしても、私の呼び出しも考えものだ。ましては嬉しいだなんて、尚更。一つため息を吐いて順応にも躾けられてしまったこの愛犬を一から叩き込むのも骨が折れる。今度、この曜日は連絡しないでおこうかしら。そんなことしたらどうなるんだろうか。きっと大変な事になるだろう。心配と寂しさで錯乱しながら叫んでドアを叩いてそうだ。想像しても笑える。そうして愛されている事を実感する。与えてもらうだけ与えてもらって、なんて我が儘。
「賢い順ちゃんは偉いんですよー。染谷の連絡一本でバビューーーンって飛んでっちゃう」
「その賢くて偉いあなただから待てのひとつぐらい出来るわよね」
「ぐっーー」
 険しく顔のパーツを中心に寄せてから、シュンってあからさまに落ち込んだ。おずおずと膝に手を置いてから、そんなことしないでって身を擦り寄せる。自然に頭を撫でてしまうのもどうかと思うけど、甘えられるのは嫌いじゃない。
「まぁ、でもそんなことないもんねー」
 ころっと表情を書き換えてしまった順は消沈していた顔と打って変わって自信満々に言う。一つに纏めた髪の毛からまだ慣れない香り。手際よく結んでからへらっと笑う順に、確かにと内心舌打ちを打って、大体理解され、してしまった生活スタイルの循環と関係性を保つ中心にある想いも、思いのほかそれを可能にしてしまっている。思い上がりなんて、また。
「知ってるくせに」
「あなただって知ってるでしょ」
「まぁね。なんたって染谷のこと大好きだもん。順ちゃん、今物凄く我慢してるんだって」
「それも知ってるわよ」
 案外真面目な性格だってことも。順がサボらずに大学に通ってることも。今日が二限までだってことも。それに合わせて連絡を入れている私の意図も。順も私も知ってるから。

「さすがにシャンプーかえてるのは分からなかったでしょ?」
「当たり前でしょ?何処ぞの誰かと一緒にしないでほしいわ。そこまで分かってたらただのストーカーの変態じゃない」
「あたしだったら染谷がシャンプーかえそうな時わかるけどねー」
「ストーカー。猥褻罪で訴えるわよ」
「それも愛の形っていうね」
 ポジティブ過ぎるのもいい加減慣れてきた。手を引かれるままベッドに優しく組み敷かれて、下から見上げる順は可愛らしいチワワなんかじゃなくて飢えたドーベルマンのよう。燻った熱を瞳に蓄えている。見つめられるとゾクリと背に甘い痺れが走った。
「性急ね」
「言ったじゃん。我慢してるって」
 いつだって与えられている。これから訪れる甘美な刺激も、幸福なひとときも。私を求める順が好きなのだ。私が居ない夜、寂しく背を丸めている順が好きなのだ。与えられてばかりが表裏一体なら、こんな幸せはないでしょう。与えてもらう嬉しさをいつも噛み締めて、私はこの時ばかりは素直に順の首に腕を回す。
 本当に、思い上がりもいいところ。
 些細なことをわかってしまえるぐらいには私も想っている。
 黙らすように押し付けられた唇に私はこたえるように舌を差し出した。





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