ほとんど感覚が麻痺してしまった脳がトンッと背を押すように訴えかけてくるもんだから悟られないようにお得意のポーカーフェイスでどうにかした、つもり。

 抱き合ったままベッドに滑り込み、泣き止まない祈の震える肩に切なさを覚えて優しく頭を撫でた。時折、名を呼び安心させるように背をトントンとリズムよくあやし、嗚咽が止む頃には胸の中でスヤスヤと寝息を立てていて苦笑を漏らす。

 頬を手の甲で滑らせ、ゆっくり掌を頬に当てた。意識してしまうと歯止めが利かなくなるもんだ。なんか喧嘩と似ている。駆り立てられた熱が冷めずに唇を涙の跡が残る目元に落とした。この白く柔らかい肌も、抱きしめると驚くほど華奢な身体も、この柔らかい唇も。触れてしまえばもう抜け出すことは不可能で、単なる枷とは違う。

 結われた髪を梳いて一束取り、唇を落とす。知らず知らずに欲しいと思っていた心が此処にある。知らないフリをしても本能が訴えかけていた彼女が此処にいる。
そう、――あたしの腕の中に…。



 もう、あんな思いは真っ平ごめんだ。バイトが終わり、疲れた身体を休めたくて直ぐに家に帰ろうとコンビニを出て足を止めると、見知った人物が何人かの女に囲まれていてギョッとした。身体が急激に冷えていく感覚、あんな感覚は始めてだ。掴みかかんばかりに詰め寄られている彼女の顔は必死に恐怖を拭い去ろうと怯まずに睨みつけてるのを見て走り出そうとしたら祈が過剰に怒鳴り声を上げた。



――「斗南さんを悪く言わないで。あなたたちと一緒にしないでっ」


 トクン――…。滲み出そうになるもどかしさを覚えた。必死に言葉を並べていくそれがあたしのためだと思うと歯痒くてしかたがない。

 あたしは不良ですよ?問題児ですよよ?あんたは優秀で学年委員長ですよ?
――そんな問題知ったこっちゃねぇぜ。

 あたしの中のパンク馬鹿が告げた。


 あいつらと何も変わらないぢゃねぇか。
――違うだろ。お前、阿呆か。

 あたしの中の黒髪の悪友が告げた。



――あなたたちと一緒にしないで。


 真っ白になる脳に突如鳴り響く声。反芻しては奥歯を強く噛み締めた。何してンだ馬鹿か、あたしは……


 咄嗟に動いた足は自分でも驚くほど軽やかで速かった。滑り込んだあたしに一瞬驚いたように見えた祈の顔が言葉を交わす度に力を無くして安堵していくのが声からわかった。付き動かすのは護らなきゃ、だとか怪我は絶対させんっといった防衛本能。言わば祈の自衛隊ですよ。

 しかし、結果はボコボコ。終いには祈に助けてもらう始末。ああ、かっこわりぃと思う半面気持ちは随分の清々しくて満足していた。約束も守れた、祈も怪我せずにすんだし、泣かさずにすんだ。それに珍しい素も見れたことですし。

 何度も言うが本当にあんな思いはもうしたくない。



 んーっと身じろぐ祈は縋るように距離を縮めた。寒いのだろうかと、ずり落ちた布団を肩までかけ直しふと、自分の格好に気付いた。それはコンビニを出た時と同じ格好であった。ああ、着替えてもいないし、ましてはお風呂に入ってないことを思い出す。あたしは起こさないように抜け出そうと試みるが祈の手が服の端をを掴んでいて離してくれない。しかも、広がった距離をまた縮めようと擦り寄ってきたからもう諦めて再度背に腕を回して引き寄せた。

(あー、可愛い。まぢで)

 なんなのこいつ?本当人間?小動物とかぢゃね?

 緩む頬がだらし無い。あたしは祈の頭へと顔を埋めて誰に隠すやら見えないように口元を押し付けた。華やかな香りが鼻腔を擽る。あー、祈の匂いだと思えば何やら睡魔が襲ってきた。

 ――…そうだ


 拝啓、神門玲さんへ。

――あなたの大切な親友兼、幼なじみはあたしが貰います。心配はいりません。大事にします。なのでどうかその過保護は改めてください。

 今度ぜってぇ、言ってやろうと心に決め眠りについた。




***





 窓から刺さる日の光りに眩しさを覚えてゆるゆると意識が浮上した。故意的ではないものの眉間に皴が寄ってるのがわかる。そんな鬱陶しさを覚えて薄く目を開けたその視線の先は――ぱちくり、と綺麗さっぱりなお目覚めをしたのだろう、オジョーサマがニンマリと笑っていた。

「おはよ」
「……オハヨーゴザイマス」

 まだ寝ぼけていたらしい、――何故?と内心焦るが昨日の出来事がフラッシュバックし脳裏を掠めたので一人納得し腕に回されてある腕に力を入れて引き寄せた。というより逆に縋るように祈の胸に顔を埋めた。

「んー、いのりー」っと甘えたような声が出たのは多分眠さのせいだ。

「擽ったいわよ、甘えん坊ね」

 起きて早々祈の顔を見て、起こされた不機嫌さもどこかへ跳んでいった。

「今ナンジ?」
「まだ八時よ」

 確か昨日寝たのは二時ぐらいだったから六時間睡眠。んー、低血圧なあたしには少々きつい。こくり、こくりと祈の温もりに眠気が増す一方必死に脳をフル稼動させた。

「今日ベンキョー、何時からすンの?」
「お昼ぐらいからやりましょーか」
「んー、今日バイトやすみてぇなぁ」
「駄目よ、それは行かなきゃ」
「祈が言うなら行くわ」

 眠気がそろそろ限界だった。だからこんなにも素直に思ったことを口にしてしまうんだろ、というより最早、口にしたことは全く覚えていない。一つ残ってるとすればベンキョーは昼から。ただそれだけ。それさえわかればいい。

「眠い?」
「あー、眠い…」

 擦り寄るあたしの頭上でクスッと笑う声が聞こえた。そろそろ、無理だ。意識が遠退き、心地好い。触れ合う肌が気持ち良い。背に回る腕に安心する。

「おやすみ」

――…と、日だまりの中微かに聞こえた。







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