憂鬱が取れない。投げ出した身体は怠く動かす気力もなかった。

 ――はぁ、と何度目かわからない溜息を零して枕に顔を埋めた。するとベッドに背を預けて座る玲が読んでいた雑誌を閉じて乱暴に机に置いたようである。――バンッと良い音がした。

「おい、人の家来て溜息ばかり付いてんじゃねー、嫌がらせか」
「…そんなんじゃないわよ」

 俯せ状態から首だけを横に向けると不機嫌そうに顔をしかめた玲がいた。――悪いとは思いつつも今はこんな気分だしかたない。滅多にあたしはこんな仕草おろか疲れた顔なんてしないもんだから若干、玲も心配そうにしている。

「珍しいな、なんかあったのか?」

 声が途端優しくなった。あたしはうー、だとか…あー、だとか唸るついでにさらけ出した。

「斗南さんが…」
「あ、斗南って斗南柊か?」
「うん。ああ、そっか玲去年クラス一緒だったわね」
「あいつがどうしたんだよ」
「なんか昨日喧嘩したみたいで、顔に傷があったの。しかも昨日電話してた時なんか様子がおかしくてどうかしたの?って聞いたらなんでもないって嘘付いて…」

 はぁ、とまた溜息。玲に、もう溜息付くなと禁止令をだされた。

「なんで喧嘩するんだろ」

 もう、最悪。とまた枕に顔を埋めたあたしは玲が顔をしかめていたのに気づかなかった。あの綺麗な顔に傷なんて、女性なのに跡が残ったらと、いらんことを考えてしまう。

「斗南なにも言わなかったのか?」
「え?」
「あいつ昨日友達助けるために行ったんだよ」

 思わずバッと埋めていた枕から顔を上げると玲の呆れ顔が目に入った。

「うそ…」

 その言葉に玲は――やっぱり。と呟き頭をガシガシと乱暴に掻きむしる。確かに喧嘩の理由を聞いていなかった。聞けば良かったのに聞かずに勝手に怒って困らせて、
――ああ、あたし何も知らずに


「馬鹿だなぁ。あいつが理由がないのに喧嘩するはずねーだろ」
「…斗南さんと中良いの?」
「仲良いっていう悪友?よく三人して絡まれるから」
「三人?」
「あぁ、もう一人いんだよ。ピンクのパンク馬鹿が」


 玲が何か言ってるけど後は何一つ耳に入ってこなかった。理由を聞かずに喧嘩したことだけに着目して怒っていたのなら噂を鵜呑みにして事実かもわからぬことを言っている人間と同じではないか。居ても立ってもいられず立ち上がると玲はうおっと驚きわたしに視線を送った。

「ど、どうした?」
「謝ってくる」
「あ?あいつバイトだろ」
「だからもうバイト終わるでしょ?待ち伏せする」
「はぁ?明日どうせ家行くんだからそこで謝ればいいだろ」
「駄目なのっ」

 拳を固く握った。頑なに譲ろうとはなしいわたしに諦めたのか玲はまた呆れ顔になった。

「斗南のバイト先知ってんのか?」
「あ、知らない」
「なんかお前たまにぬけてるよな」
「斗南さんと同じこと言わないでくれる」
「馬鹿だなぁ、斗南家の前のコンビいてててて、おまっ…ちょ離せっ!!」

 なんか悔しくて玲の耳を引っ張りながらそう呟くと玲は涙目になって抗議してきた。今回は何も言えない。玲は馬鹿だし阿呆だけどいつも真っ直ぐで正しいことを言うから。

「ありがと、玲」

 わたしは一言お礼を告げ走り出した。




***




 咄嗟だった。ほぼ勢いで飛び出したから外がこんなにも寒いだなんて思ってもみなかった。バイトが終了する時間は十二時。時計を見ると単身と長身がてっぺんで合わさるまで後少し。十分もすればその時間になる。中に居たら何かと気を使うだろうし邪魔になるかもしれないと思い、外で待機しることにした。我慢我慢と寒さをごまかすようにさらけ出した手を擦り合わせて口元に持っていく。はぁ、と息を吐けばほんのり暖かい。それでじゅうぶん。あと少しだから。


 コンビニの外には踏ん反り返って座る五人の派手な身なりの女性達がいた。頭も金髪、化粧もばりばり、不良特有のヤンキー座り?あれは良くないと思う。五人は大声で笑ったり、会話が丸聞こえで些か鬱陶しいが、それも我慢。しかし、そうなると聞きたくもない会話がこっちにも聞こえてきてしまう。知らないフリと目線さえ向けずにただ立ち止まっていると――斗南が、という言葉が耳に留まり思わずえっ、と振り返ってしまった。

 が、五人組は気付かずに会話を交わしていく。

「くそ、士道だけならやれると思ったのにあいつが来るから散々だった」
「斗南だろ?まぢあいつむかつくんだよね。あいつ図体でかいし、やたら馬鹿力だし」
「あとあいつ、神門」
「あー、士道は別としてあの二人は強敵」
「今度はもっと大人数でリンチだな」

 したら、もうボコボコだね。と軽口で言い合って笑うその五人組に怒りが込み上げてきた。かぁーっと頭が登り、奥歯ギリッと鳴る。気付けば身体が動いていて、五人が座る前に居た。五人はなんだよと言わんばかりに睨むがわたしは怯まず余計に目元に力を入れて睨みつけた。

「最低っ!寄ってたかって暴力ふるうなんて救いようがないわ」
「んだよ、てめぇ」
「斗南さんはあんたたちみたいのより全然強いわよ」
「ああー?」

 五人の中でも短気なのかショートカットで金メッシュが入った女とロングの目つきが悪い女が立ち上がり距離を詰めていく。

「なんで?斗南さん何もしてないじゃないっ!玲だって理由がないのに暴力ふるう人じゃないわ」
「お前あの二人の知り合いかよ。あいつらむかつくんだよ」
「目つきわりいーし、態度でけーし」
「あなた達のほーがよっぽど目つき悪いわよ」


 売り言葉に買い言葉。五対一だろうがわたしは怯まない。間違ってない。斗南さんも玲もきっとその士道さん?も何もしてない。そんな人じゃない。引かないわたしに苛立ちが募ったのか他の三人も立ち上がりもうつかみ合んばかりに近い。回りの行き交う人が心配げに見ているが助けに入る気配はない。あー、もしかしてヤバいかもと今更に思うが最後の抵抗にただ泣きそうな目元に堪え睨みつけた。

「あいつもあたしたちと同じだろ?」
「斗南さんを悪く言わないで。あなたたちと一緒にしないでっ」
「まぢムカつく…」
「喧嘩売ってんのかよ」

 ついに壁に追いやられ逃げ場が無くなった。ヤバいっと思い内心慌てていると横からわたしと彼女達の間に誰かが割り込んできた。うわっと石鹸の匂いとウェーブがかった黒い髪が舞う。少しわたしより高い背、斗南さんだった。

「ダイジョーブか?祈」
「あ、うん」
「怪我もねぇ?」
「…うん」

 振り返らずに交わしていく会話にへなっと安堵したようで今になって足が震えてきた。

「てめぇ斗南っ!」
「昨日はドーモアリガトーゴザイマス…。お引き取りクダサイ」
「棒読みなんだよ、なめてんだろ」


 斗南さんの胸倉を掴まれ一瞬わたしは肩が跳ねた。危ないっと思った時には一人が斗南さんに殴り掛かっていたが、斗南さんは避けるでもなく反撃するでもなくその拳を掴み防いだ。

「っこの」
「ちょっ、待った――…っ」
「待てって言われて待つ奴はいねぇんだよ斗南!!」

 ガツンッと鈍い音が鳴った。目の前にいた背中がガクッと下がり踏ん張るように靴底が擦れた。間髪入れずに違う人が斗南さんのお腹を蹴り上げ堪らず膝を付きかけてまた踏み止まる。

「――っ、」
「頑丈だなぁ、腕の一本でも貰おうか」

 斗南さんは手をださなかった。それなのに追い撃ちを掛けるように殴り掛かっていくのを見てプチンッと何かが切れた。

 ガンッと隣にあったパイプを殴ると煩かった喧騒が嘘のようにシーンと静かになる。目の前を見据えると呆気に取られた五人の女とこれまた呆然とわたしを見上げる斗南さんの姿。しかし、もうそんなの関係なかった。

「寄ってたかって、五対一って何よ。本当あなた達卑怯過ぎて泣けてくるわ」
「な、なに」
「黙って、キレるわよ」


 もうキレてるじゃねーかと言う呟きは流した。

「斗南さんを傷付けるならここからわたしがやります」

 近くにあった角材を取り、くるくると回した。そして、地面に思い切りたたき付けて真っ二つ。それを拾いあげて鋭い切っ先を五人に向け
――「殺るわよ」
とにんまりと笑った。


「と、とみな。今日はここまでにしといてやるよ」
「あら、また来るの。なら此処で始末しましょうか」
「いやいや、言葉のあやだろ。気付けよっ!うちらにもプライドあんだよ」
「そーだ、そーだ」
「そんなプライドなんてへし折ってあげるわ」
「「「「「えっ――…」」」」」

 五人は慌てふためき尻込みする。しかも誰かが通報したのか警察まで来る始末で、逃げるように走っていった。

「なんなのよ、あの人達。根性ないわね」

 そう呟きわたしは壁に背を預けて乱れた呼吸を整えている斗南さんの隣にしゃがみ込んだ。大丈夫?と呼び掛けるが何も反応がなく俯いている。何処か痛いのかと心配になって顔を覗き込もうとするとプッと吹き出し
「っ、アハハハ。やばっ。まぢすげぇーアハハ」
盛大に笑い出した。

「な、なに?」

 驚き見ると今だに笑いは止まらずお腹を抱えて笑っていた。

「っ――…いっ」

 そして笑い過ぎて痛みが逆戻りしたらしい悶絶した。

「ごめんなさい、わたしのせいで」
「へーき、へーき。良いもん見れたし」
「良いもん?」
「祈の怒りモード」
「なっ」

 必死過ぎてわからなかったが相当やばかったらしい。斗南さんはまた食いしばるように笑いが出た。――「あー、おもしろっ」、と呟く斗南さんは平然としているがわたしは腑に落ちない。


「ねぇ、なんで手出さなかったの」

 あんなの斗南さんなら勝てる。絶対勝てる。だって玲が斗南さんは強いって言ってたんだからあんなのけちょんけちょんなはずなのに。
 斗南さんはわたしの問いにキョトンとした後言いにくそうに顔をしかめた。

「そんなの当たり前だろ。アンタと約束したじゃねーか」

 ――あ、と思い出したのは昨日の出来事だった。

(そっか約束守ってくれたんだ)
 その事実が嬉しいと思った。しかしそれと同じだけ罪悪感も募っていく。

「あの、斗南さん。昨日はごめんなさい」
「へ?」
「理由も知らずに怒って困らして……斗南さんは理由もなく喧嘩するような人じゃないのに」
「…もしかして謝りに来たのか?」
「そうだけど」
「そんな自身満々に…」
「本当にごめんなさい」
「ん、気にすんなよ」

 ――取り合えず、ここからどこうと一言。回りを見渡すといつの間にか大勢のギャラリーにギョッとした。わたしは斗南さんの腕を肩に回しゆっくり立ち上がる。少し顔をしかめたが、幸い斗南さんの家はコンビニのすぐ前だ。

 キレたのは何年振りだろう。必死になったのも久しぶりだった。例えば玲が今の斗南さんの立場だったとしてもきっと同じだけキレてたにちがいない。心配だってするし、安心感だって同じだけある。でも違う。あの時は恐怖感だけだったのにわたしはその背に何かを見た。トクンッと暖かくなって安心して、今は肩を貸しその背に腕を回している。

――もうごまかせない。

 そう思うと同時に締め付ける胸の痛みが増した。








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