廊下の喧騒の原因を咎めるというより殆ど暴力で鎮圧させる長い脚が一目も憚らず前の背中に前蹴りを入れている。泣けべそを掻き始める原因は余計に喚いて、もう一度。今度も容赦ないハイキックが入った。周りはギョッと目を開き、困惑と焦燥と驚愕が入り混じる。それでも当の本人は全く気にする筈もなかった。
「あいつの何処がいいんだ?」
教室越しから眺める目は呆れ。それを物語るように玲は頬杖をしながら盛大に溜息を吐いた。
独り言のような呟きに何が?とは言わず、ぞんざいな作り笑いを浮かべる表情は全て理解しているようになぜだか柔らかい。そして紗枝は何処か楽しんでいた。
「口はわりぃーし」
「確かに玲より悪いわね」
「脚グセもわりぃーし」
「毎度困ったもんのですよ」
「顔こえーし」
「それは玲も負けてないけど?」
オイ、と不機嫌を前面に出して顔が僅かに上に上がる。本当のことを言って何が悪いのか。そう訴えるよう紗枝の顔はキョトンとしたものに変わった。
「なんかちげーぇだろうが」
素っ気ない返答に紗枝は直ぐに納得する。玲の言葉は的を得ていた。
容姿も違えば纏う威圧も違う。個たる人間なのだから当たり前とも言えるけれど、似ていると思い当たる仕草と表情は思い浮かべられる。
思考の片隅。後輩の声が耳を掠めた。怖いといった部分を差し置いて、それこそ玲も玲で隠れたファンクラブ(最早隠蔽できるものでもないけれど)が存在し、彼女はそんな存在は無いにしろ隠れたブームはあるようだ。目に付く長身と危なっかしい雰囲気。そして誰が見ても綺麗だと思わせるその顔付きは、俗に言うイケメンと相違ない。至って本人は気付いてはいないけれど。
「紗枝はどこに惚れたんだ?」
なになに。興味あるの?と紗枝が言えば即答。
「あのお前が、って部分に興味がある」
と、あの玲がこうもあっさり認める部分はとても珍しいと紗枝は思った。本当に興味があるのだろう。
何処が…。
今だに廊下を陣取るような周囲の目を惹きつける彼女に紗枝は僅かに目を向けた。
無造作に、それでいて乱暴に。強く強く拾い上げてくれたと思えば、触れる手つきは何時だって優しくて、その瞳は慈愛のもの。照れた顔は、タンポポのように柔く。呆れた顔は雑草のようで。欲情したギラついたそれは、上品な猛獣を思わせる。
そっと、視線を戻せば催促を促す目。
うん、やっぱり…。
「似てる」
「はぁ?」
「なんでもない」
でも異なるのだ。秘めた目の力もその奥も。
それを目の当たりにする度、手を包んでしまう大きな手を離したいとさえ願うのに、それでも祈るように縋って、それさえも掬い上げてしまう。
何処がなんて…
そんなの数え切れない。
知らないでしょ?
知らせないもの。
知らないままでいれば幸せだ。
だって苦しいから。
紗枝はニンマリと笑顔を貼り付けるばかりに留まる。それに玲は訝し気に眉を潜めた。
「なんだよ、言いたくねぇーって?」
「え?玲がそんなにもあたしを心配してるのかって思うと泣けてきて…。安心して痴漢ごっことかコスプレごっことかそんな事してないから」
「なんの話だっ!!!」
怒鳴らせれば勝ちだった。時間を稼げば勝ちだった。チャイムは待たずに鳴ってくれる。ごめんね。と大切な刃友に込めた謝罪を飲み込んで、同時にその顔も廊下から消えていく事に紗枝は心無しかもの淋しさを覚えて、苦笑する。言うなれば、重症の何物でも無い。
彼女の笑みにつられて心をドッサリと持って行かれたその先に、彼女の彼女らしさと、それに負けない可愛らしい部分は脳裏に焦げ付いてとれてはくれない。
どこがいいのか。
そう聞いてくる人間に安心を覚えて、好意な目線を彼女に送る不届きものは抹消してしまいたいとさえ思える。
どこがいいのか。
それを知っていいのはあたしだけだと、傲慢な欲は何時だって張り付いた笑みの裏側。
苦しみも悲しみも辛さも、
幸せも楽しさも可愛さも
自分のものだから教えてあげない。
紗枝はわけがわからないと首を傾げる玲にククッと笑って前を向いた。