兵藤新が嫌いだった。態度がでかい。無駄に難癖を付けられ、おまけに口が悪い。ぶっきら棒で足癖も悪い。外見を言うのもなんだが目付きも悪い。現役時代にトラウマになりそうなほど、強烈な経験も植え付けられた。
 円は兵藤新が嫌いだった。それを口にしたこともあった。それでも彼女の存在が大きかった。傷をえぐり返されほど衝撃的に、悔しいほど鮮明に彼女ばかりを追い続けて。そして、届かなかった。

 嫌い、から苦手に変わったのはいつだっただろう。良い部分が見え始めてからだろうか。

 円はぼんやりとテレビに映る映像を観る。無機質な冷たい映像はあの時の熱を決して運んできてはくれない。
 点数でもないプレーでもない、悪いが勝敗なんてどうでもいい。と言ってしまったら言い過ぎな感じも否めないが、円が一心に見る先はコートを走る兵藤新だった。彼女が点数を入れれば嬉しい、良いプレーを見せれば凄いと思う。チームが勝てば称讃し負ければ残念に思う。しかし、そう言ったことではない。魅了される。きっとあの頃から今も、兵藤新は円を惹きつけてやまない。そして、それはとても悔しい。腹立たしいとさえ思う。
 

 丁度、後半戦に入る手前でテレビがプツンと真っ黒に染まった。
「なに見てんだよ」
 高校時代から大声を出していたからなのか、掠れた声が頭上から聞こえて円は恨めしく睨み付けた。
「録画とかすんな」
「なんで消すの…」
「嫌だから」
 新は濡れた髪をバスタオルで吹きながらタンクトップ姿で立っている。円は横暴だと諦めを含んだ溜息を吐いた。
「っつか本人居る前で見るなって言ってんだろ?」
「…さっきまでいませんでした」
「なに怒ってんの、アンタ」
 呆れ口調だ。呆れたいのはこっちだ、と言ってやりたくなる。
 新が円の座るほんの後ろから膝を抱えていた手のその上に腕を回し持ち上げられる。
 うわっ、と素っ頓狂な声をあげて円は胡座を掻いたその隙間にすっぽりとおさまる。
「なに、怒ってんの?」
 怒るだろう。突然、こんな。あり得ない。
 カーッと恥ずかしさに顔に熱が帯びる。横暴だ。自分勝手に人を振り回す天才だ。以前、人の悪口を言う天才だと新のチームメートが言っていたが、彼女にはいったい何個もの才能があるのだろう。その中にはバスケも入っている、努力だって、キャプテンとして人を引っ張る才能だって持っている。

 黙った円に新はどうしたものかと思案し、遠征の地で買ってきたお土産があることを思い出す。円をそのままに仰向けに伸びをして遠くのリュックを辿り寄せた。
「おい、やる」
 円の膝元に戻ってきた両手に四角い箱型の包み紙と片手に収まるほどの小さな紙袋が握られていた。
「なに、これ」
「見ればわかんだろ、お土産だつーの」
 本当に言い方が悪い。
 円は何も言わず四角い箱を手に取り、綺麗に包み紙を開く。中身はどうやらバームクーヘンのようだ。箱の開くと一つ一つに小分けされていない、特大そのままのバームクーヘンが入っていた。
「大胆ね」
「美味かったんだよ」
 だから買ってきてくれた、そう捉えていいほどの時間は共有しているつもりだ。背後から強引に抱きしめられている態勢やぶっきら棒な口調も日頃の物とは違い、照れ臭さを感じさせている。円は新が見えないことをいいことに頬を緩めた。可愛い。
 一緒に過ごす時間が増えて気付いたことは、新は案外可愛いことをするということだ。そして、こうしてわざわざ手土産を買ってくるほどに優しい。
 箱を閉じ直し、新の膝元に置く。もう一つの小さい袋を手に取り、テープを外すと中からバームクーヘンに手足が生えて顔があるキンホルダーが出てきて思わず吹き出した。
「くっ、どんだけバームクーヘン、っふふ、美味しかったの、、?」
「……うるせー」
 この顔の丸さ加減が似てるだろ、と新が言う。うるさい。おおきなお世話だ。
「ありがと。あとで食べようか」
「紅茶煎れて」
「はいはい」
 手持ち無沙汰になった新の両手が膝を通り過ぎ、円の腹に巻き付く。ギュッとやわい力を込め、円の肩に顎を置いた。
 ドライヤーをしていないのだろう、湿った短い髪がツンツン逆立ち円の頬にあたる。
「くすぐったいよ」
「我慢しろ」
 嫌い、から苦手に変わり、苦手から好きに変わったと思ったら苦手はそのまま円の中に止まった。横暴な彼女が苦手なのではない。口の悪さと足癖の悪さは直してほしい部分ではあるが、慣れてしまった今、さほど気にも止めていない。その尖ったつり目が優しい色を帯びる瞬間が好きだ。大きな身体に抱き締められるのが好きだ。扱いは酷いが愛されてる、と素直に実感できる。
 そうではない。この感情は好意とは別ものだ。隔離されたトラウマ。僅かに古びてしまった嫉妬感。こんなにも新は円の傍にいるにも関わらず、あの熱量が溢れかえる場所に、今も光り輝いて走る彼女に届かない。もう一つの感情が苦手だった。そんな稚拙な嫉妬が偶に出てしまう。苦手なのはその感情を持っている自分自身だった。

「ねぇ、覚えてる?新のこと嫌いって言ったの」
「…それ、今言う?覚えてるよ。ってか、その前にアタシが嫌いって言ったけどな」
「はは、そうだ。だから第一印象最悪でその後もいろいろやられたから嫌いになったんだ」
「ぐっーー!!…あのときは、その、」
 狼狽える新の胸に背を預ける。困った顔は付き合いだしてから結構多く見るようになった。少しだけ垂れ下がるつり目が円を見ている。
「好きだよ」
 こんな私にうつつを抜かしていいのだろうか。気に留めて、愛されてしまっていいのだろうか。こんなに輝いた彼女を一人占めしてしまっていいのだろうか、いつも不安でいっぱいになる。
「…ばか」
 伏せた瞼が綺麗に斜めに延びた。大きな手が頬に触れ優しく上へと促され柔らかい唇が重なる。触れるだけのキス。不安になるたびそれだけで赦されるんだと救われ泣きそうなるのを彼女は知らない。





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