埃を被った恋心






『うー、あったま痛い』


偏頭痛持ちなのに薬を忘れた私は、クーラーの効いた図書室で、シャーペンの消しゴムの方でぐりぐりとこめかみを押し、時々襲いかかる痛みの波に耐えていた。


「まァた熱中症でブッ倒れるより良いんじゃねェの? バァカチャン」
『っ冷た…』


自主練をしない昼休みは、こうして荒北が図書室に現れる。そして当たり前のように、自分のベプシと一緒に私に冷たいミルクティーを買ってくる。

1度目は素直に感謝。
2度目は疑問。

3度目にして、違和感。
どうして私がミルクティー好きなのを知っているの?

今回こそは聞いてやろう、と。
相変わらず気怠そうな荒北の横顔を見つめる。


「あ?ンだよ」
『ねぇ、どうして私がミルクティー好きなの知ってんの?』


私の質問に、げっ。とでも言いたげに眉を顰めた。


「……別にィ?女は大概甘いの好きだろォ。買ってきて文句言われたら違うの買ってくるつもりだったんだヨ」


こういう時、不器用な荒北は言葉で上手く誤魔化しても、表情で隠しきることが出来ない。
それを本人も自覚しているからか、私が荒北の顔を覗き込もうとすると、明後日の方を向いてしまう。


『ふぅん…まあ、良いけど。だけど、貰ってばっかりじゃ悪いよ』
「てめェは放っておくと水分補給すらできねェみたいだからァ? 素直に貰っておくくらいで丁度良いんじゃナァイ?」


にやり、いつもの顔で笑うと、荒北は何時もの窓際の席へと向かった。
どうやら荒北は、人の失敗を見つけるとその1つのネタでずっと相手をつつくのが好きらしい。



昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴り、殆ど人がいなかった図書室からちらほらと人が出て行く。
2、3人出て行ったところで、図書室にいるのは私と荒北だけになった。


「ッあ゛ー! 次数学とか怠すぎンだろォ」


ぐっ、と大きく伸びをして、荒北は八重歯がはっきり見えるくらい大きな欠伸をした。


『荒北、数学苦手そうだもんね』
「…それを偏見って言うんだヨ」


口をへの字に曲げて、不機嫌そうな、不名誉のような、まあ…言うなれば、嬉しくねェ。と顔で言っている荒北を軽く笑って、私と荒北は図書室を後にした。


『荒北はベプシ以外に何か好きなもの、ないの?』
「好きなものォ?………あー、肉。唐揚げとか」
『なんかイメージ通り』


小さく笑う私に、荒北はまた偏見だと怒る。
こんな小さな言葉のやり取りが楽しくて、教室までの廊下がもう少し長ければなぁ、なんて思ってしまった。

時間はあった。2年とちょっとという、学生生活においてそれなりに長い時間が。
でも、荒北と過ごす時間はもう1年もない。

どうして今頃、やってきたのだろう。
忘れかけていた、私の恋心は。

勉強に打ち込みたい訳でもなかった。
将来のために自分に投資してる訳でもなかった。
部活で仲間と切磋琢磨する訳でも、恋をして充実な生活を送る訳でもなかった。

人類皆同じ、1分は60秒で、1時間は60分なのに。
私だけ1分は120秒で1時間は120分あるような。
時間の流れが人よりも遅い気がして…

唯、平々凡々な変哲の欠片もないような日々を、なんとなく送っていただけの私に、突然降って湧いたような恋心。

この気持ちの取り扱い方が分からない。


「ーい、おい!」
『いっ!』


ぼーっとしていると、何かでおデコを小突かれた。


「ぼーっとしやがって。水分摂った上に室内で熱中症とかなりやがったら、マジで笑えねェぞ」
『だからって、暴力反対ぃ』


涙目で荒北を見上げれば、その右手に握られているのは殆ど空になったベプシのペットボトル。
ああ、あいつが凶器か。こんちくしょう。


「オラ、教室着いたぞ」
『え、あ…』


荒北が顎先で示すのは私のクラス。
あれ、図書室からまっすぐ来ると、荒北の教室の方が手前にない?

不思議に思ってくるりと振り向いてみる。
そこには教室の扉の横にぶら下がった、荒北のクラスプレート。

と、いうことは。
荒北はわざわざ自分のクラス通り過ぎて私の教室の前まで来てくれたってこと?

いやでも、たかたが数mだし?
教室の前の扉と後ろの扉なんてそれこそ、歩数にしたら2、3歩だし?

深く考えるだけ無駄なことだって、分かってるけど。
それでも、教室の後ろの扉から入れば無駄な数mは歩かなくて済んだのに、教室と教室の境目にまで来てくれたことが、ちょっと嬉しかった。


『じゃ、苦手な数学頑張ってね』
「あァ?別に苦手なんて言ってないだろォ」


けっ、と不機嫌そうにそっぽを向く荒北は、しっしっ、と野良猫でも追い払うような手付きで私を追いやる。


「とっとと教室入れ、バァカ」
『うん、……またね』


私が先に教室に入るまで待っていてくれたり。
私のまたね、を拒否しないでいてくれる。

荒北の小さな小さな優しさに、産まれたての恋心はどんどん惹かれていく。

今はきっと、私だけ1分は30秒で、1時間は30分。
他の人の倍の速さで、時間は流れてる。

早送りしたみたいに、あっという間に流れる時間。
そこに突如現れた恋心。そいつが何処から来たのか、私は知らない。




埃をかぶった恋心


16 09/16




 

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