灼熱の恋心





「そろそろだねぇ、なまえ」
『そうだね』


帽子を被っていても、正直かなりきつい夏の日差しに既にHPを半分くらい削られている私に、びす汰はハイテンションで笑いかける。
箱学と総北が並んでいる、という実況に中々変化のないまま、ゴールまで残り3kmを切った。私たちのいるゴール付近では活気も熱気も溢れる。


「おい、今度は総北が前に出たってよ」
「おいおい、箱学は勝てるのか?」


王者箱学に張り合うのは優勝候補ではないチームらしく、そのチームに苦戦している=箱学が不調、という不穏な噂だけがロードが運ぶ風よりも早く出回っている。
がんばれ、とか。負けるな箱学、とか。様々な声援が飛び交う。隣のびす汰もまだ姿も見えない選手に祈るようなエールを贈っていた。


( きっと今頃荒北は、うっせェボケナス。とか頑張れじゃねェよ、おまえが頑張れ、とか思ってるんだろうなぁ )


私だって勿論、荒北…もとい、箱学には勝って欲しい。そのためには選手に頑張って欲しい。
でも勝ってほしいっていうのは私のわがままで、彼らは勝利するために異常なまでの努力を積み重ねてきた。
今までだって頑張ってきているのに、いざ本番で何も知らない外野から頑張れなんて言うのはエゴの押し付け。
精一杯応援しました、なんていうのも唯の自己満。私は両手の指を絡ませてぎゅっと握り、目の前を箱学が先頭で通り過ぎてくれることだけを祈った。


「箱学、やばいんじゃないのか」
「いや、俺は箱学ファンで色んなレース見に行ってるけど…。三年の荒北って奴とエース福富が組んだレースで箱学は負けたことがない」


ギャラリーの中から荒北の名前が聞こえて、私の耳は勝手にその会話を拾い上げた。


「しかも荒北はゴール直前で目の前に敵がいると、驚くくらい速くなるんだ」
「へー、そんな奴いんのか」
「オールラウンダーでリザルト取ることが少ないし、エースアシストだからゴールも殆どとらない。そんな荒北の存在を知ってる奴は少ないんじゃないか?」


以前、荒北と交わした会話が脳内を流れる。
オールラウンダーは万能型。特出していないけど、どの場面にも対応できる。そんな荒北が心底格好良いと思った。
その後に赤面した荒北が可愛いとも思った。可笑しくて笑ったのはつい先日のことなのに、あの日の記憶についた汚れは、まだ取れていない。


「―…おい、見えたぞ!」
「箱学と総北並んでる!」


一瞬で会場がざわつく。私もその場の人たちに合わせて視線を向けると、そこには信じられないスピードで走る選手が四人。
黄色のユニフォームは総北。白地に青が箱学。視線は無意識に四人の中から荒北を見つけ出して絡めるようにその勇姿を見つめた。

頑張ってって言わないって、固く決めていたのに。真剣で前だけを見つめる荒北に胸が締め付けられた。


『…っ頑張って、荒北…!』


登っては喉の奥に落ちていった荒北の名前は、いとも簡単に唇から滑りでた。
きっと、荒北には届かない。大勢のギャラリーの中で呟いただけの名前なんて、荒北に届くはずがない。

それでも、呼ばずにはいられなかった。
結局私も、エゴを押し付けてしまったことに後悔が姿を現したとき。私たちが立っているカーブに荒北が差し掛かった。
しかし、声をかけるどころか息を吸うよりも早く荒北は通り過ぎていいてしまった。
荒北たちが追い抜いた風が慌ててその後ろ姿を追うように、私たちの間を通り抜けていく。

巻き込まれた髪、巻き込まれたスカート。
香るのは夏の風とゴールの匂い。

空は青くて、信じられないくらい透き通っていて。その夏の空と同じ色をした自転車に荒北が跨っていて。
尋常じゃないくらいの汗を流して、尋常じゃないくらい呼吸を荒くして、

荒北は私の目の前で風になった。

それは、いつしか見た夏色の彼の姿と重なった。
あの日も同じくらい空が青くて、夏休みだけど図書室を開放するために通学路を歩いていた。
そんな私の横を、一瞬で駆け抜けたのは青い自転車だった。
それをロードと呼ぶことも、その青いロードが「bianchi」だということも知らなかった私は、私の髪を、スカートを。
心さえも巻き込んでいった風の正体は分からなかったけれど。

今、再び私の前で風になったのは紛れもなく荒北で。彼が跨るのは夏の空の色をしたロードで。


あの日、私の全てを巻き込んでいったのは荒北だったのだ、と。気付いたのはあの夏の次にやってきた夏。
思えばあの時から、私は荒北が好きだったのだと気づかされた高校最後の夏。


「なまえ、見た?箱学って凄いね」
『うん、格好良かった…』


興奮気味のびす汰に、同調する。
ねぇ荒北。やっぱり格好良いよ。どうしようもないくらい…。
ロードに跨る荒北は真剣で、獰猛で、獲物を狙う狼みたいだけど。勝利に飢えたその眼差しが、呼吸が、全てが格好良かった。


結局その日は異例の三校同着という結果になった。
同着は同着でも、一位。荒北があのスピードのまま、福富くんをゴールまで運んでいったのだと。そう思うとなんて名前をつけたら良いか分からない感情が湧き上がって、高揚感が胸の内側を焦がしていく。
あァ、今。どうしようもなく荒北に会いたい。


「ねェ、なまえ。格好良かったって箱学が?ロードが?それとも、荒北が?」


私を意味深な瞳で覗き込むびす汰。全て、見透かされている。
答えはわかりきっているのに、その答えに丸をつけてほしい子どものような表情だった。


『―…箱学も、ロードも格好良い』


私は諦めたように、びす汰の答えに丸をつける。
赤いペン先は、箱学とロードという単語の上を下から上へとくるり、一周して丸を描く。


『でも、』


ペン先が少し戸惑った。荒北、という単語の上で。
丸をつけるのを躊躇う指先。脳裏を過るのは、あの日ついてしまった一点の汚れ。


『……一番は、荒北かな』


瞬間。くるり、勢い良くペン先が丸を描いた。
良いよね、好きだって。格好良いって思ったって。

あの日、私は風に恋をしただけだと思った。青い夏の色をした風に恋心さえも巻き込まれて、攫われた。
でもそれはさっき、盗んだ本人がカーブを曲がったときにまた夏の風と一緒に返してくれた。

返ってきた恋心は、より一層夏色に染まっていた。シャボン玉の様に、私の中で芽生えた新しい恋心とくっついてもっと大きくなった。

この気持ちに、ウソはつけない。

ねェ、荒北。あの日埋まった五センチは私の心にブレーキをかけるのには十分だったの。好きだって気持ちが速すぎて、ついて行けなくて、視界の端に溶けて消えていく景色が怖くて、ブレーキをかけたのは臆病な私。

荒北はカーブのギリギリでさえ、スピードを落とさない。
ギリギリの角度をギリギリのスピードで、怖がることもせずにゴールだけを見据えて走る、風になる。

なのに、私は…。格好悪い、情けない。好きだって、こんなにも真っ直ぐな恋心なのに自分で歪めて、ブレーキかけて。


『びす汰、私…荒北のことが好き』


初めて、荒北が好きだって口にした。唇は甘く痺れるし、脳はくらくらする。でも、嫌じゃないの。
そんな私に、びす汰は満面の笑みを向けた。


「知ってた」


びす汰の笑顔も眩しくて、心はスッキリ晴れていて、これってきっと夏のせい。
灼熱のレースで、全てが暑くて熱くて、全部が眩しいのは夏の太陽のせい。


「なまえ、自分の気持ちにブレーキかけてるような気がしてさ」


そう言うと鞄からペットボトルを出して、喉を一気に潤すびす汰。


『どうして知ってるの?』
「それ、親友に聞いちゃうぅ?」


唇を尖らせて、わざとらしい表情で全てを悟った瞳を向けられた。その瞳に完敗。


『…ありがと』


その一言に全部の気持ちを込めて伝えると、びす汰は満足そうに笑った。


このレース、終わったら、言えるかな。あァ、でも受験か…。せめて、荒北との距離が縮まれば良いな…。
ううん、縮めよう、絶対。お疲れ様って言って、格好良いって伝えよう。
今はまだ、それだけで良い。


『いいよね、』
「うん、ゆっくりね」


唯一言にも、びす汰は欲しい答えをくれる。怖い人だ、と言って二人で笑った。








灼熱の恋心

16 12/15











 

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