痺れた唇





『っ、はぁ…』


熱く、掠れた吐息は声にならない声と共に部屋に溶けて消えていく。
首筋を汗が伝い、毛先は汗を吸って束を作る。

頬は紅潮し、目が潤む。
息が苦しい、体が熱い。

熱くて、熱くて、溶けてしまいそう…。


『熱い、よぉ…荒北ぁ』


目の前に居る荒北に手を伸ばすと、荒北はその真っ白な肌を一瞬で赤く染めた。


「ばッ…、バァカ!!! 変な声出すんじゃねェ!!」
『ッはぁ、はぁ…苦しぃぃい…』


現在、体温グングン上昇中。
季節の変わり目に、弱いタイプなんです。
保健室の薬臭くて妙に重たい布団の中で、悶え苦しんでおりまする。


「チッ、親と連絡取れたのかヨ」
『んー、正直携帯もいじれない…』


視界がぼやけて、全身が熱くて。
でも背中や肩が寒くて指先まで震える。

こんな状態じゃあ、携帯をいじるどころか、文章さえ考えられない。
完全に思考回路は停止している状態で、どうにか意識を浮上させておくだけで正直精一杯だった。

…ていうか、


『パパもママも、仕事で海外だしね』


掠れた声で搾り出すと、ベッドの横に座って私を見下ろしていた荒北の表情が硬くなるのがわかった。


『ま、いつものことだしね』


持病の喘息も併発したのか、呼吸するたびにヒューヒューと肺が苦しげに鳴く。


「ちょっと待ってろ」


荒北はそう一言残して保健室から出て行った。
荒北が出ていき、保健医が不在の今、独りきりの保健室は何だか心細い。


私は目を閉じて、ここに至るまでの経緯を反芻した。
それは、遡ること3時間前。
朝、家を出る時から嫌な予感はずっと、項のあたりを擽っていた。


( 何だか寒い…。もう秋なんだなぁ… )


背筋を登ってくる悪寒を、秋の所為だと言い聞かせながら歩く早朝の通学路。
だがしかし、こんな気のせいかも程度の寒気で、今日は休めない。

なぜなら、今日提出しなければいけない科学のレポートがあり、提出しない場合は強制赤点にされるレベルで脅されていた。
…にも関わらず。昨日は最近ハマっている恋愛小説に読みふけった所為でレポートの存在なんて全て吹き飛んでいた。


( いやだって、あそこで誠一が由美に別れを告げるなんて思わないじゃない )


と、小説の内容を思い出して心にもやもやしたものを抱える。
本当は小説の続きが気になって気になって仕方ないのだけれど、レポートをやらないといけないと最後の理性で小説は家に置いてきた。

学校が近くなってきたあたりで、チラホラとロードレーサーに跨る人たちが増えてきた。
箱根学園のジャージを着ている人たちが殆どだから、朝練かぁ、と勝手に自己解釈を済ませつつ、ある人物を探していた。


( 荒北はいないのかな )


きょろきょろと視線だけ忙しなく動かすけれど、お目当ての人物はこの辺にはいないらしい。
荒北は家が三軒隣にあり、私たちも同学年ということもあり必然的に小さい頃から一緒にいるようになった。
いわば幼馴染というやつ。
親同士の年齢も近いことから、一緒にキャンプに行ったり遊園地に行ったり、と家族ぐるみの付き合いをしていた。


若干道がそれつつあった荒北を、元の道に立て直したのが自転車だった。
以来、荒北は朝も夜も、夏も冬も、自転車に跨っている。
昔から荒北を知っているけれど、自転車に乗っている荒北が実は一番好きだったりする。


けど、どんなに探しても福富君や新開君などのトップメンバーもないことから、荒北ももう外回りを終えて学校に行ってしまっている可能性を考えて、視線を自分の足元に落とした。
時折つま先に当たる小石の行方を目で追いながら、秋の深まる気配を感じる。


( …って言っても、唯の寒気なんだけど )


と、風が吹いたわけでもないのにぶるっと身震いを一つする。
この悪寒の出処はなんとなく予想はつく。
けど、誠一と由美の所為でレポートができなかったから、今日休むわけにもいかなかった。


「ヨォ、こんな朝から珍しいじゃナァイ」


蹴飛ばした小石が、側溝に敷いてある金網の隙間に見事落ちたところで、耳が腐るほど聴き慣れた声が聞こえた。


『…荒北』


振り向かなくても、名前を呼ばなくても誰だかは分かっていたけれど。
なんとなく名前を呼んでしまうのは、唇がその名前を恋しがっていたから。


「何、もしかして科学のレポート忘れてたのかヨ」
『…なんで知ってるの』
「バァカ、目の下のクマ見りゃ分かるっつーの」


そう言うと、荒北はそっと私の目の下を親指でなぞった。
なんだその指遣い。キュン殺しにする気かこの野郎。死因はキュン死になんて嫌だ。


『荒北こそ、なんでこんなところいるの』
「あ?俺は三週目なんだよ」


言われてみれば、肌寒いくらいの気温なのに荒北は汗腺が壊れたように汗をかいていた。


「荒北、先に行くぞ」
「靖友、あんまり遅れるなよ」


前しか見ていない福富君と、パワーバーを咥えたままの新開君が一瞬で私たちを追い越していった。
巻き込んだ風が、福富君たちから少し遅れて私たちを追い越していく。

寒、と小さく震えながらも、風よりも早く走るってどういう気持ちなんだろう、ともう遠くなった福富君たちの背中を見つめた。


『ねェ、荒北。風より早いってどういう気分?』
「はァ?ンなこと考えたこともねェヨ」


荒北はそう言ってグローブをギュッと音を立ててはめ直すと、彼らの後を追う準備を始めた。
あァ、もう行っちゃうのか。と、目が腐り落ち、そこから三回は再生してるくらい見飽きた荒北の横顔を見つめる。


「それよりもォ、」


荒北は真っ白な腕を私に伸ばしたかと思うと、思い切り私の額を指で弾いた。


『い゛ッ!?』


突然の衝撃と痛みに、一瞬で目尻に涙が溜まる。


「レポート出したら早退しとけ」
『な、なんで』


痛みのあまり声が震える。


「良いから、言うこと聞いとけ。バァカチャン」


荒北はそう言うと、私の意志なんて彼には関係ないらしく颯爽と自転車で去っていってしまった。
荒北に遅れながらも付いていった秋の風が、荒北の匂いも一緒に連れいく。



無事に学校でレポートを仕上げて授業前に科学の担当教師のところに持っていき、赤点は免れたところで心配していたソレは起きた。


( あ、れ…なんか…目が回る )


ぐるぐると視点が定まらず、さっきまでは項で燻っているだけだった寒気が全身に飛び火して震えが止まらない。
あー、これやばいやつだ。と自覚した頃には全部遅くて、視界は既に完全にぼやけていた。

どうにか保健室に…と椅子から立ち上がろうと試みるけれど、面白いくらい足に力が入らない。
ダメだこりゃ。と半ば諦めに入ったところで、呆れたような声が飛んできた。


「だァから言ったろ、バァカチャン」


呆れつつ、気だるさを前面に押し出した声。
でも少しだけ心配も含まれている、優しい声。


『荒北ぁ…』


ぼやけた視界で荒北を鮮明に認識することはできなかったけど、絶対的な安心感が私を包み込む。


「チッ、保健委員ー」


荒北の呼びかけに近くに居た男子生徒が荒北に返事をする。
保健委員といくつか言葉を交わしたところで、不意に体が重力から解き放たれた。


『へ…?』


ふわり、とした感覚と一瞬ざわめく教室の異様な雰囲気に、溶けかけた脳が覚醒する。
お姫様抱っこだー!と、全身の細胞が叫んだ、


「じゃァ、こいつ早退させっからァ。ヨロシクー」
『ちょ、荒北…! 自分で歩け―…』
「ねェだろ、バァカ」


弱々しくも出来る範囲で抵抗してみるけど、荒北の細い腕は驚くくらい筋肉質で、私の微々たる抵抗なんて屁でもないらしい。
私は周囲の好奇の視線から少しでも逃れるように、病人らしく目を閉じた。


そしてどうにか保健室にまで連れてこられたものの、保健医は不在。
薬臭いベッドに寝かせられた途端緊張の糸が解けたのか、一気に熱が体中を覆った。

熱くて苦しくて堪らない。ぼんやりとした頭で荒北に救いの手を求めたところで現在に至る。




( …お姫様抱っこ、思い出したら死にたくなってきた )


数分前の記憶が容赦なく私を痛めつけたところで、再びガラリ、と音をたてて保健室の扉が開いた音がした。


「あら、じゃあ…よろしくね」


保健医の声とそれに応える荒北の声が聞こえたところで、ベッドを仕切るカーテンが少し乱暴に開けられた。


「オラ、帰んぞ」


口をへの字に曲げた荒北の手には、私の鞄と自身の鞄。


『え、何で…』
「送ってくんだヨ、バァカ。福ちゃんにも今日は帰るって言ってきた」


なんてこった。
あの自転車バカの荒北靖友が。私を送るために部活を休むなんて。


…熱が出てよかった、と思わず声に出してしまいそうになったのを寸前で我慢した。

重たい布団を退けて、どうにか体を起こしたところで荒北が私の隣で少し屈んだ。
私はもう何の抵抗もなく荒北の細い首に自分の腕を巻きつけると、荒北の腕が私の膝の下と脇の下に回された。


ふわり、宙に浮かぶ感覚と優しく揺れる感覚。
授業中ということもあって、誰もいない静かな廊下を荒北の熱だけを感じながら進む。


「…もうちょっと意識保っとけ」
『あい』


荒北の指示に力なく返事をすると、冷たい自転車の荷台に乗せられた。
熱の篭る体に、秋風に晒された金属はキツイ。


『ひゃ…』


思わず声を上げると、荒北もビクッと体を震わせた。


「悪ィ」


バツが悪そうに謝る荒北に、私は大丈夫と小さく答える。


『…これ、荒北の自転車?』
「な訳ねェだろ。クラスの奴に借りたァ」


それもそうか。流石に荒北のBianchiに、私は乗れない。
揺れるぞ、と言うと同時に自転車を漕ぎ出す。

普段ロードレーサーにばかり乗っているくせに、久しぶりのママチャリをもろともせずに抜群の安定感で進む。
荒北の制服の裾を申し訳程度に握っていると、前方から荒北の少し呆れたような声が聞こえた。


「そんなんじゃ落ちるぞ」


分かってるさ、そんなこと言われなくったって。
でも、荒北の腰に手を回すのはかなり勇気がいる。

恐る恐る両手を荒北の腰に這わせると、じれったいと言わんばかりに荒北が私の手を取った。


「ここォ、ちゃんと手ェ回しとけ」


片手を荒北のお腹に持って行かれ、仕方なくもう片方も荒北のお腹の前に持っていって先に待っていた方の手と組ませた。
熱い体を、荒北にくっつける。

私のドキドキが、荒北に伝わる。
二人分の鼓動が溶け合って、どちらのものかわからなくなる。

熱も、鼓動も、呼吸も、全部。
荒北と混じり合って溶けていく。

こんな幸せなひとときを、もっとずっと噛み締めていたかったのに。
荒北の自転車のスピードが尋常じゃない所為で、あっという間に家に着いた。

ガシャン、と少し荒い音をたてて自転車をたてると私の鞄を勝手に漁って家の鍵を取り出した。
そのまま玄関まで行き、鍵を開けて扉を全開にすると鞄を玄関先に置いて私の元へ戻ってくる。

そして、もう当たり前のように私を抱き上げる。
私も、当たり前のようにそれを受け入れる。

私を抱えて家に入ると、器用に玄関の扉を閉めて鍵をかけた。
鍵をかけた瞬間、一気に脳内を"二人きり"、"密室"という単語が侵食して、全身が心臓になったみたいにドキドキ振動する。


「オイ、震えてるじゃねェか」


私を抱く荒北にドキドキは直接伝導したらしく、心配そうな声が降ってきたもんだから、


『だ、大丈夫…』


あわてて取り繕うように笑って誤魔化すと、荒北は怪訝そうに眉を顰めながらも迷うことなく私の自室に向かう。


「下ろすぞ」


荒北は壊れ物を扱うみたいに、それはそれは優しく私をベッドに下ろした。
キシ、とベッドが軋む音が二人きりの部屋に妙に響く。


「ちゃんと寝てろよ」


荒北は私がベッドに入るのを見届けると、早々と立ち上がる。


『や、』


私は慌てて荒北の裾を引っ張って引き止めると、荒北はニヤリ、意地悪く笑った。


「なァに、俺が帰るとでも思ったァ?」
『違うの?』
「何か飲み物持ってくるついでに、玄関に置きっぱなしの鞄取りに行こうと思っただけだっつーの」


荒北の言葉に、私はホッと裾から手を離した。


「俺が帰ったら嫌だったのォ?」


くく、と小さく笑う荒北は見たこともないくらい意地悪な笑みを浮かべていた。


『そ、そんな訳ないでしょ』


熱で霞がかった頭でも、はっきり抵抗できてしまう自分が憎たらしい。


「じゃァ、大人しく寝てろ」


面白くなさそうにそう言って、荒北は私に背を向けた。
くそ、何でこの口はそんなに素直じゃないんだ。バカ野郎め。

行かないで、その一言が言えなくて荒北の背を見つめていると、不意に荒北が振り返った。



―…と、思ったら。
私はなぜか荒北越しに天井を見つめていた。

両手首に感じるのは、荒北の熱。


「素直になった方が良いんじゃナァイ?」


背中に感じるのは布団の感触。
目の前には口角をあげた荒北と、見慣れた天井。

押し倒されている、と理解すると途端に耳の先にまで熱を帯びていくのを感じた。


『な、何して…っ』
「声上擦っちゃって。可愛いじゃナイ」


久しぶりすぎる、荒北と二人きりの空間。
荒北の熱、荒北の吐息、荒北の匂い。

全部が痛いくらい私を刺激してくる。


『あらき…』
「靖友」


抵抗しようと荒北の名前を呼びかけると、その言葉さえも遮られた。


「俺のこと、いつから苗字で呼ぶようになったのォ?なまえチャン」
『ッ、』


幼馴染の荒北。
家は三軒隣で、小さい頃から仲良しで。

いつからだったか、今でも明確に覚えている。
中学二年のときまで、私たちは互いを"靖くん"、"なまえチャン"と呼び合っていた。

靖くんは目つきは悪いし口も悪い。言動も荒々しいし、狼みたい。なんて女子から敬遠されていた。


―…のに。
中学二年も残り僅かになった、バレンタイン。

靖くんは私と同じクラスの女の子に告白された。
野球部のエースで、口も目つきも悪いけどそんなところが堪らない!と言っていた少し変わった女子だった。

たまたまその現場に鉢合わせた私は、反射的に物陰に隠れて悪いと思いつつのぞき見をしていると、その女子が吐いた、好き。という言葉に、靖くんは耳も首も赤くして真剣に狼狽えるという、今まで見たこともないような反応をしていた。

そんな顔、知らない。

ぎゅっと胸を締め付けるような痛みと、今まで感じたこともないような焦燥感。
誰よりも仲が良くて、誰も寄り付かない靖くんには私が唯一の女友達だった。

…靖くんには、私しかいないと思っていた。
驕っていた。自分が情けなくて、靖くんが他の人のものになってしまうんじゃないか、という不安が心の中で渦巻いて。

初めて気がついた。



私も、靖くんのことが好きだって。





靖くんはその子と付き合いはしなかったらしいけど、その日を境に、私は靖くんを荒北と呼び始めた。
好きだと自覚しておきながら、自分の気持ちはひた隠しにして。

でも、幼馴染という立場を利用して靖くんのそばに居続けるのは卑怯だと思ったから。

距離を置いた。少しだけ、傍から見たらわからないくらいの僅かな距離。
でも、その距離はふたりの間に確実に溝を作っていて。

見て見ぬふりを今日までしてきてしまった。


だから今、目の前で靖くんにこんな顔をさせてしまっているのは、多分私のせい。
意地悪半分、寂しさ半分。不敵な笑顔でも、不機嫌な顔でもない。
切ない、曖昧な表情。



『靖、くん…』


数年ぶりに口にした言葉に、唇が痺れる。
本当はずっと、名前で呼びたかった…。それを邪魔していたのは、凝り固まった私の意地。


「あー、やっぱなまえチャンに名前呼ばれるのは嬉しいわ」


靖くんから曖昧な表情は消え去って、不敵ないつもの靖くんが目の前にいた。
私の唯一言が、靖くんの表情を変えた。


『誰に呼ばれても、嬉しいでしょ』


あァ、また。
この口は主人の意志に反して勝手に動く。

すると、目の前の靖くんの表情がまたガラリと変わった。


「…素直じゃない口は、塞いどくかァ」
『は?―…ッ』


靖くんの顔が近づいた、と思うと。
目を閉じる暇もなく、私の素直じゃない唇は靖くんによって塞がれた。

主人に背いて勝手なこと言うからだよ、ざまぁみろ。なんて一瞬思ったけど、この唇は私のもの。
つまり、この唇が塞がれているということは、私にとって―…


『ッッ…!!』


ぎゅわあ、と音がするくらい血液が勢いよく循環する。
血管が弾けちゃうんじゃないか、とありえないことを心配してしまうくらい、激しく。


驚きのあまり目を見開くと、何故か靖くんと目があった。

ちょ、なんで靖くんも目閉じてないのよ!

と、心の中でつっこむ。
薄く開かれたままの靖くんの、切れ長の瞳が唯々恥ずかしくて目をきつく瞑った。


それでも瞼の裏には写真でも見ているかの様な、鮮明な靖くんの瞳。
目を閉じても開けても拷問じゃー。

羞恥心で精神がやられかけた頃、漸く靖くんの唇が離れていった。


『ぷ、は…』


呼吸し忘れていたことに気がつき、空っぽになった肺に酸素を送り込む。
そんな私を見て、靖くんは満足そうに笑った。


「ハッ、良い顔ー」


靖くんは親指の腹で、私の口の端っこを拭った。
溢れた唾液が唇の端から漏れていたらしい。

私の唾液を拭った親指を、そのまま自分の口に持っていくもんだから、その姿の妖艶たることこの上なし。


「でェ、どうするゥ?」
『は?何が』


ぎゅっ、と眉間に皺を寄せて靖くんを見つめると意地悪く口角をあげた。


「続き、する?」


靖くんのその、獲物を狙う狼みたいな瞳が。
妖艶に弧を描く唾液で濡れた唇が。

全く知らない靖くんに見せる。
下腹部がズクン、と疼く。

何、この気持ち…。


心臓が跳ねる。
体が、熱い。熱い、熱い。


『熱い…』


逆上せたときみたいな、体の内側に溜め込んだ熱が放出できない状態で頭がぼーっとする。


「ッ悪ィ、熱…上がっちまったみたいだなァ」


靖くんは慌てて私から離れると、そのまま部屋の扉を開けた。


「やっぱ飲み物とってくっからァ、お前はそのまま寝とけ」
『靖くん、』


部屋を出て行く靖くんの背中に、声をかける。
名前を呼べば、彼は足を止めて振り向いてくれる。
でも、呼んだはいいけどどの言葉を繋げて良いかわからなくて、振り向いた靖くんを見つめる。


「何、物足りないのォ?」
『ち、違っ』


まさかの返しに、思わずムキになって否定する。
靖くんは楽しそうに笑って、


「続きは、熱が下がったらな」


なんて言うもんだから。


『バアカ!!』


思わず手元にあったクッションを靖くんに投げつけた。
大して痛そうもない軽い音がして、靖くんははいはい、と受け流しながら部屋を出て行った。

私は一人になった部屋で、大きく溜息を吐き出す。
靖くんの体温が、匂いが、唇の感触が。

まだ色濃く残っている。
体が熱いのは、きっと。熱の所為だけじゃない。


この熱が、下がらなければ良い。と思う自分もいるけれど。


―…早く、下がってしまえば良い。と思う自分もいた。






私たちはまた、名前で呼び合って。
私が一方的に作ってしまった溝は埋まったけれど。
それでもまだ、私たちの関係を的確に言い表せられる言葉は見つからなくて。

曖昧な関係と、痺れた唇が、今の私たちの全て。




痺れた唇

16 10/09











 

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