第章:間違い


 












これは、何かの間違い。
だって、こんなの。

悪夢以外何者でもない。

嫌だ、嫌だ。


あたしの中で
何かが叫ぶ。

その何かが求めるのは
もしかして…

其処まで考えた所で
思考が途切れた。














この想い
この言葉

伝えるつもりは無かった。

…伝えるも何も。
今の今まで気付かへんかったし。




…嫌な予感がする。
昨夜感じた、あの感覚よりも。
もっとずっと、黒くて重い。


「隊長?
顔色が悪いですよ?」
「……イヅル…」


隊首会から帰って来たボクは、書類を目の前にしても、干し柿を目の前にしても。
手は動かへんかった。
黒い炎が、ざわざわとボクを掻き立てる。

本能が、何か、叫んどる。

聴こえへん。
せやけど、危険やっちゅう事は分かる。


「…これ、六番隊長サンとこ持って行くわ」
「あ、はい。宜しくお願いします」


ボクは書類の束を掴んで、隊首室を出た。
せめてなまえちゃんの姿を見れば、この胸騒ぎは収まるんやないか・という、賭けにも近い思いで。



六番隊舎の隊首室の扉をノックした。
妙に緊張するのは、扉がデカイからか、なまえちゃんの顔を早よ見たいからか。
どちらにせよ、早よ扉を開けて欲しかった。

阿散井君の応答する声が、やけに遅く感じた。


「はーい…市丸隊長?」


ボクは仮面を崩さずに、何時もの微笑みを向ける。


「お早うさん。これ、書類持ってきてん」
「え、わざわざ市丸隊長が?
有難う御座います」


どうぞ、と中に促される。
……なまえちゃんの霊圧が、無い。


「兄が書類配達とは…
どういう風の吹きまわしだ?」
「嫌やなァ、朽木サン。
ボクと君との仲やないの」


なまえちゃんの霊圧が無い?
なまえちゃんは何処?

そう訊きたいのに。
今すぐにでも飛び出そうな言葉を飲み込む。

此処でそれを訊いたら、なまえちゃんが困るやろ。
仮面、仮面。
言葉。
それだけで、この場をどうにか乗り切る。


「ほな、また」


取りとめのない話をして、ボクは隊首室から出た。
なして、なして?

目を閉じて、なまえちゃんの霊圧を捜す。
その時やった。
一匹の地獄蝶が、ボクの元に飛んできた。



=田中さんから、連絡が来ています。
至急お戻りください=



正直、嫌な予感しかせェへんかった。
ボクは瞬歩で隊舎へと戻る。

隊首室の扉を少々荒々しく開けると、其処には深刻な表情を浮かべるイヅルの姿があった。


「あ、お帰りなさいませ、市丸隊長」
「ああ。
ほんで、どないしたん、イヅル」


あくまで平静を装って。
そう問いかける。


「はい、あの。
田中さんが、至急屋敷にお戻り頂けないか、との事で。
詳しい事は僕にも教えてくれなかったので…」
「ふぅん…
ほな、ちょっと行ってくるわ。
こっちは宜しゅう頼むで?」


そう言うボクに、何時もの事です。と、イヅルらしい厭味が飛んできて少しホッとした。
ボクは隊首室を出て瞬歩を使った。
周りの景色が歪んで、目の端に流れて行く。






―バァンッ


勢い良く扉が開かれた。
慌てて駆け寄って来る足音。


「お帰りなさいませ、主」


ボクを"主"と呼ぶのは、田中。
初老の妙に身嗜みのきちっとした一流の使用人。


「どないしたん?」


仮面を半分崩しながらも、田中に話を促す。
しかし、田中はボクの言葉に目を伏せるだけやった。


「説明すると長いので、現状をご確認して頂いた方が早いかと」


その言葉も態度も、ボクを不安にさせる要素でしか無い。
なまえちゃんの事や・と、直感で感じたボクは気が付けば走っとった。
なまえちゃんとボクが何時も寝とる部屋。
扉を開けると、汗と少し饐えた様な独特の匂いと、異様な光景が目に入った。



「なまえ…ちゃん?」


声が震える。
なして、こないな事に?

地獄絵の様な其処に、一歩踏み出した。

なまえちゃんの白い躯が投げ出された布団。
彼女にそっと近寄って、顔を覗き込む。

彼女の瞳には生気が感じられず、息をする人形の様に無表情だった。


「なまえちゃん…」


声を掛けても、瞳すら動かない。
濁ってしまった漆黒の瞳は、ボクを捕えない。

この部屋に充満する、汗と体液、そして何かが饐えた様な臭い。
壁は焼け焦げていたり、剥がれていたり。
なまえちゃんの白い頬。
昨夜、ボクが触れた頬。
其処には幾筋もの涙の跡。
すぐ傍には、白い布切れ。
なまえちゃんの目元にある、締め付けた様なの跡。


ああ、なまえちゃんが壊れてしもた。


お気に入りの玩具が壊れた時よりもずっと。
胸が苦しかった。




せやから気付きとォ無かった。
失った時の苦しみを、知りとォ無かった。
それやったら最初から無かった方が良かった。

だってせやろ?

っほら、こんなにも
胸が苦しいなんて。
失う物が無ければ
感じる事さえ無かってんねやから。

……この痛みは
何かの間違い。





「なまえ…ちゃん…」


そっと、白い手に触れた時だった。
あれだけ無表情で、何も映さなかった瞳が揺れた。


『ッ…い…ゃ…!
触らないで!来ないで!』


掠れた声が、そう叫ぶ。
あの綺麗やった声は、何処に。


「なまえちゃん、大丈夫や。
ボクや」
『いやッいやぁ!!』


落ち着かせようと声を掛けても、半狂乱ななまえちゃんには届いてへん。


『ッ破道の六十三・雷吼炮!!』
「ッ!!」


爆音が響いて、鼓膜が痛い程震える。
辛うじて避けた鬼道が、壁にまた新たな跡を作った。
ああ、成程。
壁の焼け焦げた跡や剥がれ落ちた部分は、これの所為か。

それにしても、なんちゅう威力や。
この前ボクに放った鬼道よりも全然…
鬼道自体、強いモノを使てるけど、それ以上に鬼道が放つ霊圧が凄い。
それだけの憎しみが、鬼道に込められとる。

…なんて、冷静に観察しとる場合や無い。
狂った様にボクの腕から逃れようと暴れるなまえちゃん。

こら収集が付かん・思て、ボクは仕方なく鬼道を使った。


「縛道の四・這縄」


紐状の霊子が蛇の様に動いて、なまえちゃんを捕えた。
途端にバランスを崩した彼女は、そのまま床に突っ伏した。

せやけど、これで終りや無かった。


『ッああぁぁあッ!!』



―ブチィ!!



「なッ…」


この前まで、縛道の塞ですら解けへんかったなまえちゃんが、這縄を破るなんて。
それ程、彼女を取り巻く恐怖が強いっちゅう事か…


「ご免な、なまえちゃん…」


そう囁いて、白伏をかけた。
ドサッと、力無く崩れたなまえちゃん。

彼女の内腿に、白濁した液体がこびり付いとるのを、ボクは見て見ぬフリをした。
この胸の内を焼き焦がす様な苦しみに、これ以上耐えられへんかったから…

ボクはなまえちゃんをそのまま抱き抱え、空いとる部屋に移し、其処に寝かせた。
薄い肩まで布団を掛ける。
なまえちゃんはさっきの騒動が嘘の様に眠っとった。




「……どういう事や、あれは」


居間に行くと、田中が待っとった。
ボクは静かにそう呟く。
それはまるで、独り言の様に。


「……順番に説明させて頂きます」


田中はそう言って、ぽつり、ぽつりと言葉を落とし始めた。





ボクもなまえちゃんも朝食を摂らへん。
田中はその事を知っとったから、朝食の準備をせず、ボクが家を出た後に朝市に出かけとった。

そして帰宅した際、玄関に鍵が開いとった。
田中は、なまえちゃんが帰宅したんや・と解釈し、大して気にもせずに家事に取り掛かった。
家の掃除や洗濯等、家事を終えて、庭弄りをしとった時。
微かに悲鳴の様なモノを聞いた。

田中は慌てて家の中に戻った。
寝室には入るな・と言われとったけれど、この場合は止むを得ないと、寝室の扉を開けた。


「そして、なまえ様が…あの様な状態で…」


田中の最後の方の声は、掠れて聞き取り辛かった。
ボクは黙って机の上に置かれた湯呑を見つめた。


「手当をしようかと迷い、取り敢えず生死の確認だけでもしようと、彼女に呼び掛けたのですが…
御覧の通り、あの様にご乱心されまして…」
「……あの壁の跡は、田中の所為なん?」


ボクの質問に田中は頷く。


「は、はい。
私が近付こうとすると、ああして鬼道を放つので…」
「…っちゅう事は、あの部屋は田中が行くまで綺麗やったん?」


ゆっくりと頷いて見せる田中。
そうなると、なまえちゃんは抵抗せェへんかった事になる。
せやけど、ボク等が近付くとあない乱心して…
何や、この矛盾。


「……なまえちゃんの様子、見て来るわ」
「はい。
何か必要な物が御座いましたら、言い付け下さい」


頭を下げる田中を背に、ボクはなまえちゃんの元に向かった。



襖をそっと開けた。
その先には、上半身を起こして俯くなまえちゃんの姿が在った。


「起きたん?
なまえちゃん…」


そっと声を掛ける。
なるべく穏やかに、なるべく優しく。

ボクの声に反応して、ピクッと体が揺れる。
漆黒の髪から、白い顔が覗いた。


『…ぁ…』


ボクを見つけたなまえちゃんの顔が、一瞬安堵の様なモノをちらつかせた。

しかしそれも一瞬。
直ぐに何時もの強気な瞳に戻る。


『…ッ何』


こんな時でさえ、素直になれへんのか。
君は一体、どれくらい深い闇の底に居たんや。

ボクが其処に落としたとして。
其処から這い上がるには、ボクの死しか無いとして。

それでも、小刻みに震える君の傍に居りたい・と。
思うボクは間違っとるのやろか。


なまえちゃんをそっと胸の中に引き込む。
なまえちゃんの冷たく白い体。

彼女の漆黒の髪を撫で付けながら、呟く。


「大丈夫や」


それがきっかけの様に、なまえちゃんは涙を流し始めた。


『…ッ…ぅ…』


ボクの死覇装が、濡れる。
せやけど、そないな事気にならへんかった。
泣きたいなら、泣けば良え。
こうして、抱き締めて。
涙を誰にも見せへんから。


「大丈夫…もう…大丈夫や…」


まるで子どもをあやす様に。
子守唄を唄う様に。

唯、『大丈夫』と囁く。





胸に沸き起こる、この甘い炎こそ
何かの間違い。 





第十章:間違い
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間違いに目を瞑り、ボク等はまた答えを見失う。


(目隠しをされて、間違いを隠して。)





 

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