泣き虫に、プロポーズ







『阿近さぁああん』
「どうしたー?」


台所から、俺を呼ぶ声が聞こえる。
その声は何処か不安げに震えていたから、隣の部屋で書類整理をしていた俺は、適度に大きな声で返事をしながらゆっくりと立ち上がった。


( …ついでにこれを捨てて、珈琲も淹れるか )


空になったマグカップと不要の書類を持ち、部屋を出ようとした途端。


『い、いやぁあぁぁああぁぁぁああああぁッ』


なまえの断末魔。
断末魔に一瞬でいろいろな想像が脳内を過ぎり、思わずマグカップを落としそうになった。
ただ事ではない、と判断した俺はカップを握りしめて台所の襖を勢いよく開けた。


「なまえ、どうし―…ッ」


スパァン!と乾いた音が響き、襖の向こうが露わになった瞬間。
目の前を黒い物体が猛スピードで飛んできた。


ブゥウウゥゥウウゥン


と、羽音を響かせる向こうで、なまえが小さくなって震えていた。

顔に直撃する寸前で、持っていた書類でそれをはたき落とした。

床に転がり、ひっくり返って足をバタバタとさせるソレ。
触覚が異様に長く、焦げ茶色をしたソレは、暫くジタバタとしたあと、不意に起き上がって逃げ去ろうとした。


( さすがの生命力と知能だな )


冷静に観察しながら俺は書類を丸めると、今度こそソレを叩き潰した。


叩いた音が、部屋に反響する。
余韻が消えた頃、俺はそっと書類を退かせると、そこには潰れて動かなくなった黒い物体。

俺は手早くティッシュを数枚取ると、ソレを掴んでゴミ箱に捨てた。
念のため手を洗ってから、もう一度台所に戻ると、なまえは未だ小さく震えていた。


「…なまえ?大丈夫か?」


そっと近寄って肩に触れると、一際大きくなまえは震えた。


『あ、阿近さ…や、ヤツは?』


ゆっくりと振り向いたなまえは大きな瞳に、溢れ落ちそうなくらい涙を溜めていた。


「え、あァ…ゴキブr『正式名称は言わないで!!』
「……Gなら、もう捨てた」


すごい剣幕で言われ、頭文字だけ取ってそう告げると、漸くホッとしたようで、強ばった体が緩んだ。


『よ、良かったぁ…今日は家に阿近さんがいてくれて』


いつもは居ないから。と、少しさみしそうに小さく呟くなまえ。

俺は本当は知っているんだ。
お前にそういう、寂しそうな顔をさせない手段を。

どうすれば良いか。なんてわかりきっている。

唯、それを言葉にする勇気がないだけ。


「―…あれくらい、自分で倒せるようにならなきゃな」


喉まで出かけた言葉を、無理矢理飲み込んでそう微笑った。
なまえの小さな頭を二回、軽く叩いてから、触り心地の良い髪を撫でた。


『いやァ、躊躇なくGを叩き潰す女の子って、どうなんですか?』


眉間に皺を寄せて唇を尖らせ、難しい表情をするなまえ。


「まァ、お前は潰せなくても良いんじゃないか?俺がいる時だけは」
『阿近さんがいる時だけって、限られてるよぅ』


少し拗ねるなまえ。
そんな言葉がほしいんじゃない、と目で訴えてくる。

分かってる、分かってるんだ。

お前が欲しがる言葉も、態度も、全て。
俺がお前のこと、分からないはずがない。


優しくて、頑固で、泣き虫で、強がり。
大丈夫って言うくせに、本当は大丈夫じゃないって怒る。


珈琲はブラックで飲めるくせに、紅茶は砂糖とミルクを入れる。

甘いお菓子は大好きなくせに、チョコレートだけは食べられない。

現実主義者のくせに、ロマンチックな雰囲気に憧れている。


本当は今だって、

俺がいる時だけ。の後に、ずっと一緒にいるけど。の一言が欲しかったんだろ?


『……阿近さん、お仕事はもういいの?』


考え込む俺を、なまえが覗き込む。
書類整理を家に持ち込んでまでやる俺は、ワーカーホリックだと言われても仕方がないくらい、仕事に埋もれていた。

なまえには、いつもそれで心配させている。


「…あァ、悪かった」


お前といる時間を伸ばしたくて、時間内に終わりきらなかった仕事を持って帰ってきたけれど。
それは結局、お前との時間を削っていただけだった。


『うーん。お仕事のし過ぎで、いつも私に心配かけさせてごめんってこと?』


口角をあげて、全てを見透かしたように笑うなまえ。

なんだ、知っていたのか。


『あのね、阿近さんの彼女、何年やってると思ってるの? 私のことなんでもわかるように、私だって阿近さんのことなんでも知ってるんだからね』


ふふん、と鼻を鳴らして笑うなまえを、俺は今まで見たことがなかった。


「それは初めて知ったな」


負けたよ。と笑えば、なまえは本当に嬉しそうに笑った。
俺は、その顔をずっと―…


今なら、言える。




「―…ずっと、見ていたい」
『…何が?』


きょとん、とするなまえに、しまったと眉を顰める俺。
端的な言葉じゃ伝わるわけもない。

俺は珍しい自分の失敗に、思わず苦笑してなまえを抱きしめた。
俺の好きな石鹸の香りが、優しく俺を包む。


「いつも、言えなくて悪い。今度こそ言う」


腕の中で、なまえが少し固まった。


「俺と、ずっと一緒にいてくれ」


俺の背中に回したなまえの手が、俺の白衣を握り締めた。


「本当はずっと言いたかった。言い出せずにいて悪かった。傍にいてやれなくて悪かった」


なまえが鼻をすすりだしたから、俺はもう一度小さく笑って


「鼻水だけはつけるなよ、泣き虫お姫さん」
『う、うるしゃい…ッ』


俺の腕の中で鼻声になっているお姫さん。

小柄で頑固で泣き虫で。
誰よりも愛おしい俺のお姫さん。


「泣き虫で弱虫なお前は、俺がこの先、生涯かけて守ってやるよ」


泣きじゃくるなまえをそっと離して、なまえの涙が伝う顎を掴んだ。


「俺と結婚すれば、の話だがな。……返事は?」
『ッし、しますぅう!守ってくださいぃ』


嗚咽混じりの返事に思わず笑いながら、なまえの涙で濡れた唇を奪った。
少ししょっぱくて、甘い。


コイツとずっと一緒にいると決めた、決意の味。







やっと言えた

き虫に、プロポーズ
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やっと言ってくれた。


( お前の寂しい涙は見納めにしたい )

15.03.12.21:29





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