恋の予感
「お早うございま〜す」
語尾に"☆"マークがついてそうなくらい上がり調子の声。
加えて、カランコロンという下駄特有の軽やかな足音。
『…なんで私に構うんですか、浦原隊長』
振り向けばへらへらとした笑顔を適当に張り付けた様な男。
胡散臭くて仕方がない。
その後ろには不貞腐れた様な顔の―…あれ?
『ひよ里副隊長はいないんですか?』
「ああ、彼女は今副官集令かかって、そっちに行っていますから」
なぜ、ただの平隊士の私なんかに敬語を使うのか、と考えたこともあったけれど、それはこの男の性分なのだろうということでそれ以上深く追求しなかった。
垂れた瞳、緩んだ口元。
表情がなんとなくだらしないというか何というか。
威厳の欠片もないこの人が、何故隊長になれたのかは、きっと永遠に分からない…
( 強さだけで隊長になれるものなのかしら )
「あ、今なんか失礼なこと考えましたね」
図星をさされて少し焦ったけれど、否定も肯定もせずに謝れば、ははっと笑うだけで。
『…で、ひよ里副隊長がいないから、私に構うんですか?』
隊長クラスとなると、女に不自由しないと聞く。
それは権力に目が眩んだ雌ばかりだとも聴くけど。
そんな雌たちと一緒にされたくないから、私は自隊の隊長に対しても一線引いてきたのに。
この男はズカズカと、その一線が見えていないように土足で踏み込んでくる。
「嫌ッスねぇ、なまえ。アタシはあなただから構いに来てるんです」
変わらずだらしない笑みで言うから、これが冗談だということは分かり切っている。
でも、そんな冷静な頭とは裏腹に私の心臓はどくん、と大きく跳ねて、余韻を残すように小さく、早く、脈を打つ。
「あれ、なまえ…顔赤くないッスか?」
熱でもあるんじゃないんですか?
と、大きな掌が私に向けられた。
指先が微かに前髪に触れる―…
『ッだ、大丈夫です』
なんだ、この脈拍…
不正動脈かもしれない。
バクン、バクンと、有り得ないほど大きく鼓動する心臓。
脈を打つたびに送り出される血液が身体を巡回していく。
ちらり、と隊長を盗み見れば、きょとん、と不思議そうな顔をして私を見ている。
『あ、す…すみません』
「そんなにアタシのこと、嫌いッスか?」
少し眉尻が下がって、右手を後頭部にあてる。
やや斜め下を見ながら、やはりへらへらとした笑顔を付けている。
『いえ、あの…触れられそうになって吃驚したというか…』
ドキドキ、した…。
指先から仄かに香ったのは薬品のような匂い。
隊長の、匂い。
「なまえ」
『…はい?』
名前を呼ばれ、若干震えながらも返事をする。
「アタシが敬称を付けずに名前を呼ぶのは、なまえだけです」
そのなぞなぞのような言葉を頼りに記憶を巡る。
確かに、ひよ里副隊長のこともひよ里"サン"と呼んでいた。
何故、敬語を使うのか。
それは、この人の性分だからだと思った。
この人は誰を呼ぶにしても、必ず敬称を付けるから。
夜一サン 平子サン、ひよ里サン…。
勿論、自隊の平隊士の名前にも、敬称を付ける。
この人は、どんなに親しい間柄でも礼儀を忘れない。
一人一人を尊重するように、それぞれの存在を認めるように丁寧に名前を呼ぶ。
…でも、私だけ何時も名前。
呼び捨てで呼ばれる。
特にそのことを気にしたことはないけれど…
『何でですか?』
答えのわからないなぞなぞ。
「ちなみに、用もないのに話しかけるのも、なまえにだけです」
そう言われてみると、誰もがカランコロン、下駄の音に反応して挨拶をするけれど、浦原隊長から話しかけるなんて、ほとんどない。
勿論、用事や執務の時は別だけど…。
『何…で…?』
震える瞳が捕えたのは、珍しく笑顔を張り付けていない隊長の素顔。
へらへらと取ってつけた様な笑顔は其処には無くて。
垂れた瞳からは、真剣な色が窺える。
どうして、そんな瞳で私を見るんですか…?
忘れていたように、また小さくドクンドクンと心臓が鳴る。
耳元で、大きく、早く。
心臓の音と、穏やかな春の日差し。
風邪が吹いて、桜の花びらが舞う。
くすり、桃色の世界で隊長が柔らかく微笑んだ。
そして再び、大きな掌が私に向けられた。
私は桜の魔法にかかったみたいに動けなくて、隊長の動きが、やたらとスローに見えた。
ふわっ…
大きくて優しい掌が私の頭に触れた。
「少しは意識、してくれましたか?」
ふふ、と不敵に笑う。
その隊長の長く細い指が持っていたのは一枚の花弁。
血液が逆流していくみたいに、苦しくて、顔が熱い。
敬称を付けずに名前を呼ぶのは、私だけ。
自分から話しかけるのは、私だけ。
「こうしてアタシから触れるのも、」
今度は両手で、私の頬を優しく包み込む。
「貴女だけなんスよ」
鼻先が、触れる。
前髪が、重なる。
桜が、舞う。
キス、してもいいッスか?
恋の予感
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桜舞う、桃色の世界
(春先での、恋の予感)
13.03.21.10:33
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