深海王子
広い世界で、前も後ろも見えなくて。
ボクには家族も友達もいなくて。
一人で生きていけるって、ずっと思っとった。
強くなれば、孤独にさえも勝てる、と。
暗闇の中で手探りでもがいて、足掻いて、苦しい、と叫びながらも。
ボクはひたすら、泳いで、潜って、流されて…。
光を知らなかったボクに、君が笑いかけた。
深海に差し込む光のような場違いな灯りに、戸惑いと恐怖を覚え、いつしかそれを失うときのことを考えては泣くようになった。
「なまえちゃん」
君の名前を知って、君の名前を呼んで。
それだけで心が温かくなる。
『ああ、市丸隊長』
振り向いて微笑む君は、栗色の髪を揺らす。
少し細くなるその瞳が、ボクは好きやった。
『あ、そういえば隊長。この書類なんですけど…』
「ん?」
少しくたびれた書類を片手にボクの元に小走りでやってくる。
ボクの肩ほどしかない身長。
撫でたくなる位置に、君の頭があって、僅かに香る、花のようなにおい。
「―…で、こうなるんやけど」
『あ、なるほど!』
ピコン、と頭上に電球マークが浮かんだときのような、ベタな表情で笑って見せる君。
『だてに隊長やってないですね!』
「どういう意味や」
なまえちゃんの柔らかい頬をつねれば、二秒と経たないうちに降参の声。
君に触れて、君の優しい笑顔に触れて。
深海の如く、暗く、濁ったその世界に君はやってきて。
ボクの視界は一気に開けた。
約束された人だ・と、無意識のうちに思うようになった。
孤独と隣り合わせで歩いていて、強くなることで孤独を引き離そうとしていた。
せやけど、そないなことしなくても、ボクの孤独はあっさりと姿を消した。
ああ、君が好きや。
君を想う気持ち
それこそが、無敵で最強。
なまえちゃんにこの気持ちを伝えて、君が少し頬を赤くして頷いてくれたらきっと…
ボクは世界で一番、無敵で最強になれる。
「―…なまえちゃん」
呼べばほら、屈託のない笑顔をボクに向ける。
「大事な話があるんやけど…」
少し、きょとんとした表情でボクを見上げる。
ボクは少し眉尻を下げて、困ったように笑う。
そして伝えるんや。
「…あんな…」
君のことが好きやねん
深海王子
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ボクの世界は、暗くて寒くて…
(君だけが暖かい)
13.03.18.19:03
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