キスのリズム






『……っ、だめだ…』
「…あーらら。どないしよか、なまえちゃん」


私たちは今、暗闇の中に閉じ込められています。


『…どうしましょうか、隊長』
「それ、今しがたボクが言うたんやけど」


こうなってしまったのは、原点をたどればサボり魔な我らが隊長、市丸隊長が悪いんだけど。

温厚代表の吉良副隊長が、ついに痺れを切らして…というよりも、ブチ切れたのが始まり。

夏の終わり、足元が少し涼しくなってきた日のこと。最早日常風景になった山の様に積み上がる書類の束が、山脈のように連なっていた。

その内の1つ。隊士達の間では三大山脈と呼ばれる主力の山が盛大な音を立てて崩れた。

それはそれは見事な雪崩だった。
真っ白な書類が、なす術もなくその山を滑り落ちていく。
こんな自然現象が拝めるなんて、と私はまるで他人後の様にその様子に圧倒されていた。

パサ…と静かな乾いた音がして、最後の1枚が山の麓で止まった。


「……隊長」
「は、い」


戦闘中の本気モードでしか聞いたことのない、まるで足元から這い上ってくる様な吉良副隊長の低くて冷たい声が、市丸隊長に向けられた。

流石の市丸隊長も、表情が強張っている。


「資料室の整理に行ってください」
「え、なしてボクが―…」
「口答えなんてするもんじゃァ、ないですよ」
「はい」


ひんやりとした吉良副隊長の有無も言わさない声に、そばに居た私の背筋まで凍る。
あぁ、どうしよう。ひっそりと想いを寄せる市丸隊長が、今日は珍しく隊首室にいると聞いたもんだから。
急ぎの書類でもないのに、隊長の判子が必要な書類を優先的に全力で終わらせて隊首室に来たことを、人生で1番後悔してる。

どうにかここから抜け出す方法を考えていると、吉良副隊長の生気を失った、けれど全てを悟ったような瞳が私に向けられた。


「みょうじ三席」
『ひゃい!』
「君もだよ。市丸隊長の監視役として、資料室の整理に行ってきてくれるかい?」


その依頼を断る選択肢は元より用意されていないことを、私は知っている。


『さ…サー、イェッサー!』


抱えていた書類を近くの机の上に置いて、私は軍隊顔負けの敬礼をして見せた。


『市丸隊長、行きますよ。さぁ、今すぐに!』
「え、ああ…ほな行こか」


私と市丸隊長が隊首室をそそくさと出た途端、背後で副隊長の発狂する声が聞こえた。
私と市丸隊長は目を合わせて、二人で逃げるように廊下を小走りで抜けた。

普段使っていない資料室はかなり汚く、足の踏み場もないくらい書類やら何やらが撒き散らされていた。


『うわぁ、想像よりひどいですね』
「あー、なまえちゃんが来る前からこうやからね」


へらへらと笑う市丸隊長に、私は呆れ顔でため息を落とした。
知ってはいたけれど、私の想い人の辞書に緊張感という言葉はないらしい。


『んー、取り敢えず、私が書類整理しますので隊長は力仕事任せても良いですか?』
「あァ、良えよ」


分担もそこそこに、私は早速足元の書類を拾い上げる。
市丸隊長は部屋の奥まで進み、大きな葛篭( つづら )を持ち上げた。


「何やこれ、重たいわァ…」


はぁー、とわざとらしいため息を吐きながらも、隊長は1つ、また1つと葛篭を廊下に出していく。

私は隊長の行動を見ながら邪魔にならないタイミングで足元の書類を拾い上げていた。

そんな単純作業を始めて二刻ばかり。
夏の終わりがけの夕刻は、日が沈むのが大分早くなった。


『? これ、題目がない…』


印字がかなり薄れていて、殆ど読み取れない書類。
灯りが欲しい、と咄嗟に近くの床に置いてあった灯篭へと手を伸ばすと…


「っ、あかん!」
『いった…え?!あ!!!」


何かに手を蹴られ、痛みに顔を上げるとそこには。
私の上に倒れこむ市丸隊長と、放り出された葛篭が資料室の外にまで滑り出て、側に積み上げてあった私の拾った書類にぶつかった。

そこからは声を出す暇もなく、書類は崩れて器用に資料室の襖を外側から閉めた。
その向こうでもどんどん書類の山が崩れる音がして、襖を完全に塞いだ。

試しに襖を引いたり押したりしてみたけど、ビクともしない。どうしたもんかと頭を抱え、現在に至る。


「…まァ、ボク達がいつまでも戻らへんかったら、イヅルかて気づくやろ…。廊下の惨状を見た他の隊士が気付いてくれるかもしれへんし」
『…すみません…って、あぁ!』
「何や、どないしたん」


こういう時、私に責任追及してきたり頭ごなしに怒ったりせず、冷静に状況判断ができる隊長は流石だなぁ。やっぱり好きだなぁ、なんて呑気に思っていたとき。
なんだか先程よりも薄暗い、と辺りを見回すと火の消えた灯篭か目に入った。


『火がぁ……』
「さっきの衝撃で消えてしもたんやね」


ここに来て灯篭に火を灯したときに、手持ちのマッチはなくなってしまった。

どうしようか、とチラッと隊長を見るけれど、隊長は子どものような無邪気な表情を浮かべているだけだった。


『し、就業時間の終わりまで、あとどれくらいでしょうか』
「んー? せやなァ…多分一刻くらいやと思うけど、」
『けど?』


変なところで言葉を切った市丸隊長に、嫌な予感しかしない。


「ここ、ほんまに使われてへん資料室やから、こっち側に来はる隊士は居てへんやろなァ」
『え!』


さっきと言ってること違うじゃないですか!と、一言物申してやりたかったけれど、この状況を作る引き金を引いたのは私だ。
そう思って、ぐっと堪えた。


「まァ、今のボク等に出来ることなんやあらへんし、気長に待つしかないやろね」
『…そうですよね』


部屋の中に残っていた葛篭に腰掛ける隊長に倣って、私も近くの葛篭に腰掛ける。
少しだけひんやりとした感覚を感じたけれど、その冷たさもすぐに私の体温に溶けた。

外界との接点を断たれた今、私と隊長しか存在しない、資料室という独立した世界ができた。
2人きりの空間はむず痒くて、少し息苦しくて、でも心地良い。不思議な空気が漂う世界だった。

とはいえ、こうして何もしないと時間の経過がひどく遅く感じる。
まだギリギリ手元は見えるし、足元の書類だけでも拾っておこうと、立ち上がって作業を始めた。


「続き、してはるん?」
『はい、なんだか落ち着かなくて…』
「…絶対怪我するで」


隊長の普段殆ど聞くことない小さな笑いを含んだような声を背後に、ちまちま書類を拾っていく。

しゃがみながら少しずつ動いていると、足元に転がったままの灯篭に躓いた。


『きゃ…っ』


体を制御出来ずなかった私は成す術もなく、埃臭い床に倒れ―…

あれ?
衝撃に備えて、ぎゅっと瞑っていた目を細く開ける。


「―…ほら、言うたやろ。怪我するって」


くく、と喉の奥で笑うような隊長が、私の腕を優しく掴んでいてくれた。
隊長のひんやりとした温度は、座ったばかりの葛篭の温度に似ていた。


『あ、ありがとうございます』
「もう良えから、ここ座っとき」


そう言って隊長は自身の隣の葛篭を指定した。
今まさに怪我をしそうになった私は、隊長命令に反抗できるはずもなく。
仕方なしにちょこん、と葛篭の上に座った。


「なまえちゃんも不運やったね」
『…何がですか?』
「あの場に居合わせへんかったら、こないな目に合うてへんのに」


そう言われて先ほどの吉良副隊長の冷たい音声が再生される。
ぞくり、と恐怖が背筋を駆け上った。


『本当ですよ。あんなに怒った副隊長なんて見たことないです』


あー、怖かった。とわざとらしく身震いする私に隊長は小さく笑った。


「まァ、ボクは良かったけど。君と二人きりになれて」


うわ。出た。
三番隊名物、女殺しの市丸節。

こんな歯が浮くようなクサイ台詞がポンポン、よくもまァ恥ずかしげもなく言えますねぇ、と。
心の底から思います。

…あと、少なからず勘違いしそうになります、とも。


『…知ってます?市丸節』
「何やの、それ」


きょとん、と口角を下げた隊長は本当に一瞬見間違えるくらい狐に似ていた。


『隊長が女性を口説くときの甘い台詞のことです。つらつらと、さも当たり前のように口説くので、最早名物ですよ』


私の話を、他人事のようにふぅん。と聞き流す隊長。
無自覚でやってたんだ、怖いわァ、この人…。


『これからは自覚された方が良いですよ。それで傷つく女性も多いんですから』


いつか刺されますよ、と言うと隊長は少し不本意そうに口をへの字に曲げた。


「なまえちゃんも、そういう風に思うとったん?」
『そういうって…どういうですか?」


質問に質問で返すと、隊長はより一層不機嫌そうに口元を歪めた。仮面の隊長がここまで感情を表面に出してくるなんて、珍しいなぁ。なんて思いながらその整った顔を見つめていた。


「…ボクが、女の子やったら誰でも口説くって。思うとったん?」


不貞腐れた子どものように、ムッ、と唇を突き出す表情は実に無邪気で可愛かった。


『誰にでも、とは思ってないですよ』
「、っ」
『相手が美人さんじゃないと言わないですよね』


私の言葉に一瞬その不貞腐れた表情は明るくなったけれど、次に続いた私の言葉に再び肩を落としていた。


「なまえちゃんも、ボクんことそういう風に思うとったんやね」
『…えぇ、まあ…』


そう思わないと、苦しいから。なんて言葉は死んでも言えない。
勘違いして、勝手に傷つくのは大いに想像できるし、それによって負った傷はきっとかなり深くなる。


『でも、市丸節が出たってことは、私も美人の部類に入るんでしょうか』


どうにか空気を変えようと冗談めかしてそう言うと、隊長は子どもっぽい表情から一転、真面目な顔で私を見遣る。


「何や、気づいてへんかったん?」
『へ?』
「なまえちゃん、相当モテんねんで」
『っ、えぇえ!』


初耳情報に、目を丸くする。
私が?モテると?なにそれ、何の冗談?
四月の嘘で済ませるには、時期が違いすぎますよ。


「知らへんなら、これからも知らんままで良えわ」
『え、そこまで言ったら教えてくださいよ』


勿体ぶる隊長は再び子どもらしい表情が、ちらり。こちらを覗いていた。


「嫌や。なしてボクが恋敵を教えなあかんの」


恋敵、という単語が頭を殴った。
たった5文字のその単語が、私に致命傷を与えるのは容易かった。


『こ、い…って…それも市丸節ですか?』


違う違う。これもきっといつもの名物。
勘違いするな、傷つくのは私だけ。

そう言い聞かせてはみるものの、不意打ちで食らった市丸節は中々の威力だった。


「まだそないなこと、言うてはるの」
『ええ、言いますよ。傷つくのは嫌ですから』


そう言うと、隊長は見間違いかと思うような顔で笑った。


「それやったら心配いらへんよ」
『いえ、それが1番心配なんですけど―…っん、』


突然、唇を食べられるような激しいキスをされ、体が硬直する。
ファーストキスなんですけど?!
なんて、この時はそんなことを考える余裕はなくて、隊長に全てを食べられてしまわないように必死に隊長のキスに合わせるので精一杯だった。


『ふ、ファーストキスだったんですけど』


漸く唇を解放され、酸素を2、3回肺に放り込んでから漸く言えた。


「嫌やったん?」


ん?と意地悪な顔で私を覗き込む隊長は、ずるい。
耳の先まで熱いのが自分でもわかるくらいなんだから、きっと私の顔に全部答えが出てる。

せめてもの抵抗に、黙ってうつむいてみる。
けれどこれが逆効果だったらしく。


「否定しィひんの?それやったらもう一回しても良えやんな?」
『ちょ、』


私の制止なんて聞きもせず。隊長は冷たい大きな両掌で私の顔を包み込むと、再び噛み付くようなキスをした。

頭の芯が痺れて、溶けて。
思考回路はショート寸前、なんて歌が現世にあったなぁと再び酸素を逃さないようにキスに応えていた。


「ボクが好きなのは、なまえちゃんだけやで」


甘い言葉が、口先0センチの距離で紡がれる。


「なまえちゃんが傷つくことは絶対せェへん。もう誰にも、甘い言葉なんて吐かへん」
『ん、』


言葉と言葉の合間に、唇に噛み付かれて上手く酸素が吸えない。


「なァ、他の誰かのモンになってまう前に…」


私の唇と隊長の唇を、銀色の糸が繋ぐ。
隊長の濡れた唇が酷く妖艶に見えて、感じたことのないような感情が溢れる。


「ボクのになって」


はい、と答える代わりに、今度は私から隊長の唇に噛み付いた。

どれくらい唇を重ね、重ねられたか分からないくらいキスをしたところで、漸く2人の呼吸が重なった。







キスのリズム

( …全然誰も来ないんですけど )( せやね…天挺空羅でイヅル呼ぶ? )

16 09/20








 

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